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Vtuberの何を好きになるのか――好きな人のつくる物 好きな物をつくる人

自分のオタクのはじまり

私がオタクになった理由(もともと小学3年生の頃からすでにネットオタクではあったわけだが)は、中学1年生のときにであった、とある動画である。

初音ミクに出会い、アニメやラノベにのめりこみ始めた。だから今のHNも39がつく。それくらい思い入れがある。

初音ミクの人気と拡大

ニコニコ動画(RC2)時代にニコニコ動画に登録した自分は、初音ミクが人気になりつつあるところから、ライブをやったり、多くの人に認知されるところまでを見てきた。しかし、その中でよく質問されたのが

「ボカロで好きな曲って何?」

これの答えがなかなか難しく、メルトも好きだし、初めての恋が終わる時も好きだし、いや全部古いと言われそうなんだけど。そして次に聞かれることが多いのは、

「○○ってボカロ曲知ってる?」
「○○Pって知ってる?」

そしてその曲を私はだいたい知らない。有名な曲やPなんだろうけども、聞いたこともない。

Vtuber誰が好き?

この問いも実は私には答えにくいものがある。現在チャンネル登録しているVtuberは

椎名唯華/葉加瀬冬雪/勇気ちひろ/周防パトラ/アルス・アルマル/月ノ美兎/黛灰/夜見れな/すもも/山神カルタ/おめがシスターズ/相羽ういは/アルタ_イル/出雲霞/鈴鹿詩子  (+αでASMR系の形式はVも何人かいるが割愛/Youtubeの21.8.21現在のチャンネル一覧順)

で、誰が好きかと言われても1人を選ぶことができない。

自分なりの価値観

これについて、結構理由もわからず、考えてもいなかったんだが、最近Vtuber関係のいろんなnoteを見て気づいた。私は「好み」について、非常に細分化したものに対して焦点を当てているのだと。
どういうことかというと、初音ミクの例を出すとすると、初音ミクとの出会いは絵であり、私は初音ミクのビジュアルを好きになって、曲を聞くようになった。すなわち初音ミクの曲は「好きな人のつくる物」ということ。逆にVtuberは、勇気ちひろのApex配信が好きであり、Vtuberは「好きな物をつくる人」なのである。そして、多くの人は「好きな人がつくれば好きな物」だし、「好きな物をつくれば好きな人」になるんだと思う。しかし私はそこに相関性がない。ある意味でハロー効果が通用しない人間であるということだ。
実はこれは日ごろから心当たりがあり、私は周りの人間すらも細分化している。嫌いな人でもつくる物が好きであれば、その人は「好きな物をつくる人」であるから、それを好意的に受け取るし、逆にいくら好きな人だったとしても、そのつくった物が気に入らなければ、つくった物に好意的な感情は一切向かない。

一般感覚とのズレ――嫌なら見るな理論

だからこそ、にじさんじはApexをやるようになって、Apexに興味がない人にとっては苦痛で仕方がないという意味がよくわからなかった。なぜかというと、私は普段、Vtuberの全てのコンテンツを追おうと思っていないからだ。あくまでVtuberは「好きな物をつくる人」であり、その人のつくる「好きじゃない物」は、見るつもりが一切ないからだ。

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再生されたことを示すサムネイル下部の赤線を見ればわかるが、自分が見たいものしか再生していないのがわかると思う。そういうコンテンツの消費をしてきた自分にとって、「嫌なら見るな」は当たり前のことだと思っていた。でも、世の中のオタクやファンはそうじゃないことがわかった。「好きな人のつくる物」はすべて見ておきたいと思い、「好きな物をつくる人」のことをすべて知りたいと思うのだと。

生きづらくないのかな?

これはVtuberに限った話ではなく、私は様々なことをそういう見方で見てきた。オフィシャルサイト会員だった声優さんも、曲が好きでライブには全部行くが、キャラソンのライブには一切行かなかった。キャラソンには興味がなかったから。その声優さんが出ているアニメを追ったかと言われれば追ってないし、それ以外のイベントにも参加していない。そういうレベルで「好き」という対象を「細分化」し、例えるならバイキング形式でおいしいところを取ってきた。別にこういったコンテンツはそれこそ定食としてドンっと出されるわけじゃないのだから、自分の好きなコンテンツだけを皿によそっていけばいいわけで、一度よそってみて苦手な物だったらもう一度よそうことはないと思うのだが、こういう生き方では生きづらくないのかと感じる。

価値観の違い

こういう話は結局価値観が違うため、議論に終着点はなく、よくて妥協点らしきものが見つかる程度にしかならない。ただ、「こんな価値観があるんだ」「自分の価値観ってマイノリティーなのか」ということに気づけることが大切なのだと思う。

余談――価値観で戦わないこと

私が価値観が違う相手と戦わなくなったとある思い出がある。私は小学生のころから「お前は喧嘩は絶対勝てないけど、口喧嘩だけは強いよな」と言われ続けてきた。それほどに口が達者だったのか、人の揚げ足取りが得意だったのかはわからないが、そもそも議論というものが好きだった。正論を並べ、相手が感情論でしか反論できなくなれば勝ち。そう思っていた。
ある日2ちゃんねるの「ライブチケット転売アンチスレ」に転売ヤーが現れた。そこで、せっかくの機会だからいろいろ質問をしてみることにした。転売ヤーは転売をすることに対して、何の罪の意識もなかった。

「お前らもチケットが余ったとき、友人に譲るとしたって定価では譲らないでしょ?」

私はこのレスに

「いや、普通に定価でしょ。」

と返すが、

「いやww善人ぶるなよww そんな人いるわけないじゃん。だって、儲けられるんだよ? 自分が必死に取ったチケットだよ? それと同じことをしてるだけじゃん。」

その後のやり取りの結果「私たちは分かり合えない」で終わっている。
この時に、「あぁ、そもそもこの人とは価値観が違うから、どうしようもないんだ。」と思った。人の価値観を変えるというのは、よっぽどのことがない限り難しいのだと。



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