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小説:54歳マイクエで奇跡をみた【11】人生、いや世の中は予想外だらけだ。


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54歳マイクエで奇跡をみた【登場人物】
シュン 主人公  54歳独身
クトー 旅の仲間 小中学生のラグビーコーチ
アンリ 旅の仲間 心理カウンセラー
ホリアーティ 旅の仲間 占い師
ナスちゃん 旅の仲間 看護士
ニバミン 旅の仲間 ダイエット指導者
神林(株)ゴールデン•スパイラル 開発担当
千川部長 シュンの出向先の元上司
籠井先生 シュンの小学校の担任
平山先生 シュンの中学校の陸上部顧問
魂の指南役 正体不明
少年 シュンの小学生時代
片次 シュンの描く漫画の主人公
もやい様 片次の旅仲間

【自信】

今日できることは、今日やる。昨日から引き継いだ課題のゴールがみえないものだとしても、挑んで明日へつなぐ。
と誓ったが、早くも心が折れそうだ。CDGが眼前に出題してきた本日の「夢を叶える自分になるためのワーク」は、自分が残してきたよい結果や出来事を書き出すこと。ワークはどれも苦手なものばかりだが、これは頭を抱えるところ。1番苦手。中学の時の部活では本気を出して結果が出ないなんて恰好悪いと逃げたような奴だから、中途半端な人生だったことは明らかだ。呪いのことがいまだ頭を占拠していて、なおさら、難易度が高く感じる。でも、泣き言を言っている場合ではない。「こんな自分」という限界を突破するために自己探求「マインド・クエスト」へ旅立ったのだ。今日突破できなくても明日のためにやるのだ。コツコツと。

さて、何が良かった出来事だろうか?高校も大学も希望の範疇のところに合格した。これだ!とメモした。しかし、わずか0、2秒で削除。本当は美術系の工芸高校に進みたかった。でも、雰囲気的に普通科を選ぶのが無難じゃないかと選んでしまった。受験戦争に加わり、大学への進学、就職という流れがごく普通に見えていた。そんなだから思い出も少ない。同級生のロックバンドがライブをするというので、出かけた。数十センチも変わらない高さのステージなのに、軽くメイクした姿でライトを浴び爆音を響かせる彼らに度肝をぬかれ、無心で称賛した。しかし、うち一人が音楽の道に進むとドロップアウトしたとき、夢を追うカッコよさに共感できなかった。中退扱いで何ができる?親はなんていうのだろう。そんな考えがずっと頭にあった。もちろん自分が夢を追う?美術系に進む?それで?と話にならないつまらない人間だった、、、興味あることなのに。

人生の選択争奪選が僕の中でいろいろ開催されたが、いつも勝利したのは出来のいい息子だった。親の期待に応えたい!そんな主張が強かった。でも、親から勉強やれ!いいところに就職しろ!なんて具体的に言われたことはない。親の生き方を見てそうするのが正しいと思っただけだ。おかげで、大きな挫折はなかったが、大きな喜びも得ないまま二十歳を過ぎた。そして、就職。親、親戚のコネの力だ。就職先は、いわゆる世間的には申し分のないネームバリューのあるところだ。当時は嫌で卑屈の種にもあった。今でこそ、無力で世間知らずな若者を安全なレールの上にのせてくれたことを感謝している。

このワークに向き合う間も、ダメな自分が記憶のどこからか引きずりだされ、エネルギーバンパイアとして現れた。しかも次々と。その都度、心を沈めては、感謝したことや些細な思い出に微笑んで、敵を撃退していった。結構くたびれる。これがゲームの世界なら、レベルの低い敵はアルゴリズムの力で、出現頻度が減るか、オートで倒せるかだ。そうはうまくいかないのが生身の身体だ。ネガティブな思いとはいえ、どれも事実だから、丁寧に戦わないと行けない。放っておくと、何回でもしつこく襲ってくる。もう逃げられるだけ逃げてしまいたい。ずっと、自分が向き合ってこなかったことだとはいえ、そうすれば、ラクになれるのに。

ふいに景色が変わった。古い映画に登場するようないかにも暗黒街風のマフィア十数名が眼前に現れた。ヘッドライトを背にしているため、よくわからないが、間違いないと身体が教えてくれる。中の一人が「どこまでも逃げきれると思ってんのか?」と呼びかけてくる。
その言葉に反応したかのように僕の左腕がギュッと締め付けられる感覚を得た。僕の背中側にはマフィアのところから、一緒に逃げてきたと思われる娼婦風な女性がいた。ガタガタとひどく震えているのが、しっかりとつかまった腕から感じとることができる。彼女が消え入りそうな怯えきった声で僕に告げる。
「あいつらの言うとおり。私たち、逃げるなんて所詮無理だったのよ。」
周囲を見渡す。後ろは切り立った崖。正面には数台のマフィアの車。マフィアは手にマシンガンを構えている。なんで、こんなにも、しかもいつのまに、追い詰められてしまっていたのだ。B級映画っぽいシチュエーションだったがリアルだ。背中には崖の下から吹きあげて来る生暖かい風を感じる。汗まみれのシャツを冷たくさせ、それにゾッとする。理由はどうあれ自分で脱出・逃亡を選択した結果だ。だが、このざまだ。機械設備の歯車のようにキチンと働いていればよかったのだ。何も考えず、飛び出すなんて、無計画もいいところだ。
リーダー格の男が言う。顔は見えない。
「女。今すぐ帰ってくるなら、ボスも多め見てくださるそうだ。」
女は僕を見て、一瞬だけ罰が悪そうな表情を見せたものの、素早く僕の手から拳銃を奪い取ると、男の元に走って行った。拳銃を渡した次に、大きく打たれ、横倒しにされた。思わず僕は声を上げた。「暴力は辞めろ!」男は女に目線もくれず、続けた。
「ボスは多めに見てくださるが、オレはそうじゃねえ。だが、拳銃を取り返してきたご褒美だ。今の一発で赦してやる。感謝するんだ。」
女は渋々うなづいた。次は僕の番。幸せを思い浮かべようとした。そうこれがオズウェイでの戦い方だ。映画の中のトム・クルーズはここから窮地を脱するのだ。ミッションインポッシブルを名場面を思い浮かべる。見どころだ。自分にワクワクしてきた。地面にぼんやりと光の筋が伸びる。ヤツらはそれに気づかない。チャンスだ。マシンガンが火を吹く前に一斉に攻撃するのだ。男が女を部下に引き渡しが終わると、僕に言った。
「ボスからお前のことは何も命令されていない。だから、殺しもしない。どこへでも行き好きにするがいい。」と言い放つと、マフィアたちは一斉に車を走らせた。
呆然としている間に僕の攻撃が発動した。僕のいた場所つまり崖の先端は切り取られ、僕は重力にしたがい落ちていった。平成23年の年末のあの日が浮かんだ。心身、体調に支障をきたした。交渉や折衝、指導のような業務は僕向きではなかった。社会的対面と給与のために20年近く勤めてきたが、面接の中で僕は泣き崩れてしまった。「すみません。もう頑張れません」場所をわきまえることなく、ひたすら泣いた。頑張るというタガが外れた感情の樽から涙は止まることなくあふれ出て、止める力もなく、ただ身体の思うままに委ねるだけだった。そして引き潮が去るように職場を去った。

マフィアから追っ手がなかったように、孤独の日々を生きることになった。突然の退職に携帯がなり、メールは次から次へと入ってきた。でも複雑な思いから、僕は誰とも話したくなくて、一切連絡を取らなかった。10年経った今もだ。全てを捨てたかった。誰かと繋がっていればよかったと思うこもあるが、向こうはそうでもこちらは友人だとは思ってなかったのかもしれない。とにかく崖から転落しながらかけがえのない財産を失った。
でも生きている。しばらくはこの世の終わりを感じて何度も消えたいとは思ったが、そう思うだけで、また同じ時間に朝がきた。瘦せ衰えてくたばるものだと妄想していたが、これまでどおりお腹が空く。

振り返っても仕方ない。ドラマの端役のチンピラ。その世界にしがみついて生きるしかないの自分。それがセルフイメージだったのだから。チンピラはやがて、ハローワークへ行き、就労支援の学校を探すことにした。窓口では、ファイルシャル・プランナーの資格を活かした前の職種に近いものばかりすすめてくる。
余談だが、FPの資格取得ではめちゃくちゃ勉強した。頭のいいとされた先輩が不合格だったからだ。それだけに正月休み返上で取り組み、詰め込めるだけ詰め込んだ。見事合格!職場では貴重な初期合格者数人になることができ、職場のノルマ達成に貢献した。しかし、本部長に合格を報告したところ、返ってきたのは無慈悲なものだった。
『アンタ、勘違いしたらいかんで。税理士の資格なら自慢もできるけどな』。5分後、僕は合格証を丁寧にゴミ箱に葬った。
さて、ハローワークでの話に戻ろう。
掲示板には就職支援学校の情報がチラシが並んでいて、その一つに目が止まった。WEBデザイン講座。デザインは学生時代に意図的に避けてきたことだ。しかもWEBって最先端!求人があるなら、勉強して仕事にしたい!グラフィックソフトの操作を習い、デザイナーになろう。迷いはなかった。就職支援の学校に通いながら、地元四国を離れ、大阪でも就活してみた。
初の作品集を見せたら、『上手ですね』と褒められた。しかし、40歳過ぎた実績のない人に紹介できるところはないと一刀両断。凹みはしたが、なぜか絶対的な自信があった。20年続いた会社時代で、素行も悪くない。そんな人間がチャレンジしようとしている。お買い得な人材じゃないかと。PHP(プログラムの資格)ももってる。
それからも落ち続けたが、最終的にはデザイン会社に就職できたのだ。
決め手は、作品集でなかった。過去に勤めていた職場の名前と、FPの資格を持っていることだった。採用の理由はこうだ。大手のキャリアを投げ捨て、デザイナーになりたいというのに興味津々だったのと、資産運用の話を聞きたかったという。
人生、いや世の中は予想外だらけだ。
その後、デザイン会社で水彩画の仕事を受けてきたものを担当させてもらった。それが絵葉書やうちわとなり販売された。また、大学案内のパンフレットを作ったりとチンピラはデザイナーとして新しい生き方を手にしたのだ。
それと平行して、ブログを始め四コマ漫画を発表。1500本ほど描いた。そのブログからのご縁で企業のサービスを漫画にする仕事をさせてもらったり、キャラクターデザインとLINEスタンプの製作もさせてもらったりと、新しい道へと広がっていった。
なぜ、根拠のない自信を持てたのか?それは分からない。人生やるか、やらないではなく、『やる』か『する』かだと言う人もいる。あれこれ考えるのはよそう。ワークがすすんだでいいじゃないか。

《つづく↓》


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