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リリィ・シュシュ二度目

岩井俊二映画祭
期間限定配信『リリィ・シュシュのすべて』

これ観たら
私はまた傷つくし胸糞悪くなるしと思っていたのに、
ちょうど、部活から帰ってきた娘は眠っているし、
息子はバイト遅くなるし
夕食を作った後の隙間時間につい全部観てしまう。

一回目この映画を観た当時
独身でこの先子どもを持つことも想像できない時代
私はどの立場でこの映画を観て吐きそうなほど「傷ついた」のか。

今回『リリィ・シュシュのすべて』を改めて観て視点が変わる。


蓮見と星野

中一で同じ剣道部になり、めちゃめちゃ仲良くなった二人と思っていたが
今観てみてると、一回実家に泊まりに行った、それから、沖縄旅行に一緒に行ったくらいで
他の子たちと同じ剣道部の仲間 くらいの関係。
だから、蓮見は星野が悪く変わろうが、いくらでも距離はとれたはず。
そのまま剣道部の仲間たちと部活していたら、星野とはそのまま疎遠になっていた。
では何故星野に従うようになったのか
何故、あんなにくっきりといじめる方といじめられる方になっていたのか。
子どもたちだけの世界の中で
誰にも言えず、SOS出しても救われず、暴力が濃縮されていく。
全然暴力行為に関わっていなくてだたそこにいる何も言わない男の子が
いじめる側の一員として”その場にいさせられている”のもすごい不気味だった。

担任の女教師

クラス合唱の練習の時に
級長らしき男子から
「これいじめですよ」って
ピアノが上手い久野には弾かせず、弾けない女の子にあえて伴奏を強いる意地悪な女子グループ
のことはっきり示されているのに、何も分からない風の教師。
本番の合唱のステージで、伴奏をせずピアノの前に棒立ちしている久野を見ている女教師の姿が何度も映る。
ここで、彼女ははっきり「いじめ」に気が付いていると分かる。

その後、クラス内で自殺があったりレイプがあっても女教師は淡々としていて
主人公の蓮見が急に教室で吐いて、保健室で、彼女と保健の先生、その複数大人がいる場で
蓮見は自分がいじめられているという証拠を見せ、誰にやられているのかを言うのだけれど、大人たちは最後まで何もしない。
映画のほぼラストシーン。
担任の女教師が蓮見と面談している。
淡々と成績が下がっていることを告げ、がんばって と言っている。
ぞっとした。

この作品の中では、大人が徹底して誰一人子どもたちを助けない。


アラベスク

当時、映画で伊藤歩さんが久野役でドビュッシーの「アラベスク」を弾くシーンが出てきて
中学生で「アラベスク」はかっこいいとインプットしてしまっていて
娘ねっちが中学生の時に発表会でドビュッシーをお願いしたことがあった。
で、わっ、ほんとに中学生で弾けるんだ って思ったことを思い出した。



チケット

ひどい暴力が続く中でも一番ひどいシーンが
リリィ・シュシュのライブ会場で蓮見と星野が会うところ。

ネット上でリリィ・シュシュについて親しく交流していた二人だが、実はそれが自分たちとは知らない。
蓮見だけは、相手が星野だったとその時彼が持っていた青林檎で気が付くのだが、
蓮見からチケットを取り上げた星野は、嘲笑するように蓮見のチケットをぐしゃっと丸めて遠くに放り投げ去っていく。
これ、、もう殺されても仕方ない行為だわ。
これまで星野が蓮見にしてきたことが全部なかったとしても
チケットにこんなことしたら殺されるよ。

中学生男子

全員きれいな俳優さんですが、
主演の市原さんが当時”ものすごい中学生”の体型で、もう、ものすごい”中学生”なんです。
顏はもちろんきれいなんだけど、薄くシンプルに特徴なく撮られていて、
主人公の蓮見の姿やキャラ、日本全国全ての中学生の息子さんを投影できてしまうの。

一回目この映画を観た時には、中学生男子のサイズとか質感が分からなかったが、
割と最近まで息子を通して中学生男子と接していたので、リアルで。

もちろん、”時代”は違うんだけど、
この映画、、、今現在中学生男子の息子さんを持つお母さんにお薦めできないって思っていたところ・・・

同僚のOさん
時々映画が音楽の話でくわ~と話すことがあり
この前も岩井俊二作品のことで盛り上がっていたので
つい「今、リリィ・シュシュやっていますよ」と教えてしまう。
彼女の息子さんがちょうど中2・・・ドストライク

いつも”岩井俊二です!”って映像美ですよね~って岩井作品をネタに笑って話をしているんだけど
リリィ・シュシュこればっかりは、胸糞悪いし、お薦めできる話ではないし、絶対子どもと一緒にとかは観れないし、
主演の市原さんがめちゃめちゃ”中学生男子”で、どんな息子もそこに投影できちゃいそうなんでお母さんたちには辛いかも、、と散々言ったんだけど、
リリィ・シュシュの役をやっているシンガーを彼女が知っていて
彼女の「Salyu、カラオケで歌ってました」に感動して
この人ならば、Salyuが好きならば、この映画を観れるかも、、と。

Oさん、早速「観ました!!途中でやめられなくて」と。
怒涛の感想バトルが始まる。

一回目で、ある意味トラウマになったような作品が
で、誰とも話ができなかった作品が、今やっと、あれやこれやと二人で考察できて
生徒が来るまでの短い時間だったけど、
今日一番くらい生き生きと話してしまった。

これだけは絶対に許せないポイント 共通したのが
星野がチケット丸めて放り投げるところ
これ、、絶対殺す って思う と、めちゃめちゃ平和主義者な私たちでも 殺す!!ってなる行為。
そのライブ会場でのシーンだが、
星野にチケットを取り上げられて「コーラ買ってこい」と言われた蓮見
星野に青林檎を渡され、誰かが声かけてきたら林檎を渡せと言われている。
蓮見がコーラを買う時に、声はかけないけれど、その場にいた女の子が青林檎をめっちゃ見ている。

リリィ・シュシュのライブが終わって、星野が会場の外でずっと立っていた蓮見に
誰か声かけてきたかと聞くが、青林檎は蓮見の手元にある。

その時の星野の心情を私はくみ取れなかったのだけれど
Oさんの考察。
唯一、好きなアーティストのことを話せる掲示板で交流している人と
ライブ会場で会えたら、、もし声をかけてもらえて会えたら
現実の世界は暴力だらけでどうしようもない星野はそこに救いを求めていたのに、
誰一人青林檎に気が付いて声をかけてくれなかったってことに絶望したのではないかと。

彼は絶望したまま、本当は一番自分を救ってくれただろう大事な友達をそうと認識しないまま
何度も死ぬほど傷つけて、その一番大事な存在になり得た人間に殺される。

二度目観た時に
こうなってたかもという未来を想像する。

蓮見があの後、星野とは距離を取って、剣道を続け、リリィ・シュシュのファンで
悪くなっていく星野と、お互いが大好きなリリィ・シュシュだけでつながっていたら。
実は掲示板でつながっているんだけど。
それが、普通に学校でできていて、CD貸し借りしたり、掲示板でしているみたいな会話を毎日廊下でしてたり、一緒にライブに行こうぜ ってチケット争奪戦に参加してたり、
それが蓮見とできていたら星野はああはならず、あの学校の地獄はなかったのでは。

ドビュッシーとリリィが好きな人から、青猫はリリィを知り
蓮見は星野の家に張ってあったポスターからリリィ・シュシュを知る。
その時系列でいいのか?

Oさんと話していての、私の考察。
ドビュッシーとリリィが好きな人っていうのは、星野とは小学校が一緒だったみたいな
アラベスクを弾いていた久野なのでは。

この子たちの地獄の中学時代

彼らが「リリィ・シュシュ、めちゃいいよね」って普通に学校で話して、一緒に音楽聴いて
ライブ行って、なんだったらみんなでバンドもしちゃって、いじめてくる奴らは軽やかにスルーして。
そこは地獄になんかなるわけなくて
全然違う時間になっていたかもしれないのに。

観れば観るほど、違ってくるのかも。作品は。

観直すとか読み直すとか
一回目との差分が面白いのもあるし、
作品について話せる他人がいるってことは、一人で抱えるのとは全然違う。

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