障害というものは,生きることを問いただすと思うんです
生きることってなんなんでしょうか?
生きることの意義ではないです。生きるということは,どういうことなのか。
あんまり堅苦しい話をすると嫌がられるのもわかっているんですが,僕は生きるってどういう事なんだろう?と結構考えています。(答えはまだ出ていませんし,生きているうちに出すかどうかもわかりません)。普段そんな話は直接しないけど,こんな問いに悩んでいる方がいらっしゃったら,なんとなく嬉しいです。
そしてそんな僕が「生きること」に初めて直面した出来事が大学三年生の時にありました。当時20歳の僕には,あまりに重く,衝撃的な経験でした。
教員免許を取得するために必要な実習として,教育実習以外に「介護等体験」というものがあり,計7日間の実習を行うことが義務化されています(高校教員免許のみ取得では不要)。その目的は(文科省HPより)「教員が個人の尊厳及び社会連帯の理念に関する認識を深めることの重要性にかんがみ教員の資質向上及び学校教育の一層の充実を図る」ことみたいです。
僕が通っていた早稲田大学の教職課程では,5日間は社会福祉施設(老人ホームなど)で,2日間は特別支援学校で実習を行うことが基本でした。(各学校においてちょっとずつ慣習が違うようです)
今回取り上げるのは特別支援学校での実習についてです。特別支援学校とは一昔前の言葉で「盲・聾(ろう)・養護学校」とひとくくりにされていた,視覚や肢体不自由などの身体的障害や,知的障害をもった生徒が通う学校のことを言います。そして,その学校に実習に行き,レポートを書くという課題でした。正直,当時の僕は「えー実習行ってレポート書くだけなの!余裕やん!」みたいな感じでした。(当時の僕は,ぶっちゃけ特別支援学校の存在やその意味も,よくわかっていなかったクソ大学生でした。今の自分が最も関わりたくないタイプだと思います。)
結果から言うと,僕は「重度重複障害」をもつ生徒のクラスの担当でした。そう,重度重複障害というのは相模原の殺人事件でも出た言葉です。そしてこの実習を通して,「生きるってなんなんだ?」と初めて深く考えるようになりました。(以下のことは過去のレポートや実習記録をもとにできるだけ思い出して書いてあります。なにせ7,8年も前のことなので少し違う部分もあるかもしれません。)
実習初日。「実習はジャージで行いますが,実習先に失礼のないよう行き帰りはスーツで行くように」と大学から指示が出ていたので,言われたようにして,学校に着きました。そして門を通り,受付に行き,言われた場所に行くと「あなたが実習生ね!私は田中(仮名)です!宜しくお願いします!」と,担当の先生が明るくハキハキ,早口で挨拶をしてくれた。田中先生は少し太った(ふくよかな?)女性。いわゆる学校の先生という感じで”小学校の時の先生ってこんな感じだったな”と思わせる感じだった。「あなたにはクラスの子供達の生活のサポートをしてもらいます。"じゅうどちょうふく"障害の子達だから,少し大変かもしれないけれど,一緒に頑張りましょう!もうちょっとでバスが到着するので,そこのカーテンの裏でジャージに着替えて下の入り口に来てください」と言われ,「はい!」と明るく返事をしてカーテンの裏でジャージに着替えることに。”明るい先生だなー,カーテンの裏で着替えるとか男子校卒だから楽だなー,早く着替えなきゃー”とか,考えていたけれど,やっぱりさっきの早口の中の「じゅうどちょうふく障害」って言葉が離れなかった。”それって,やっぱりそういうことだよな”とうすうす思いながらも着替えた。
そしてエントランスに行く。いわゆる昔の学校の昇降口っていう感じで,多くの先生方がバスを待っていた。田中先生を見つけ,一言かけて隣に立つ。田中先生は同じ場所にいる時間がめちゃくちゃ短く,とことん動き回っていた。
そして,バスが何台か入ってきた。白い地味な大型のスクールバスの前面には「〇〇・△△ルート」というようにそのバスが通過するルートが書かれていた。そんなことに気づいたときには田中先生は隣にもうおらず,バスが止まる前に駆け足で向かって大きな声で誘導していた。"バスを誘導するのも教師の仕事なのか…"とか思いつつ,僕も追っかけ,そして,さっきの言葉の意味を確信した。
"やっぱりそういうことだったんだ"なんて思った記憶もないけれど,バスから降りてくる生徒たちを見て,一瞬で普段とは違う場所にギアが入った感覚だけは覚えている。”重度重複障害”という言葉だと理解させるには十分だった。(わかりやすく言うと,日テレの24時間テレビに出てくる子供達のイメージ)。ヘルメットを被り,身長もぼくと同じくらいで,ずっとうめいている女の子。とても華奢で,小さく高い声で常に何かをしゃべっている男の子など,普段の生活ではあまり会うことのない子供達がいた。「先生!こっち来て!」と言われ,走って田中先生のもとに行き小さい体の男の子の手を取り,一緒に歩き始めた。(先生という呼ばれ方に慣れてなかったけど,驚くヒマなんてなかった。)田中先生に「この二人がうちのクラスの生徒だから」と言われた。クラスは二人らしい。何があるかわからないから,なんて思って昨日の夜に用意しておいた自己紹介の文言は使うタイミングはなかった。
その後の実習でどんなことをやったか,少し書いていこうと思う。しかし,実はほとんど記憶がない。本当に本当に大変で,終わった後はぐったりして放心状態で帰ったこと,自分の向き合ったものは教育なのか介護なのか,それをずっと考えていたことを覚えているくらいだ。少し,覚えていることを書き残しておきたい。僕は二人クラスのうち,男の子の方をサポートしていたのでそちらのことを書いていく。
まず,移動にめちゃくちゃ時間がかかった。食堂に移動させてください,と言われ一緒に行こうとしても,途中で止まったりすることもしばしば。伝わりやすい表現をすると,4歳児の親戚の子供と移動しているような感じだ。"こっちだよー"なんて手をとって歩いても,うまく歩いてくれない。そして,そこに座り込んでしまう。さらに,なんとか立ち上がってもらおうと,手をとっても「いたい!いたい!」と強い力で僕の手は振り払われてしまう。また,強く腕をかきむしることがあり,これまで何度も掻いてきたのか,もうかなり大きめのかさぶたができていた。そしてそれをまた掻いてかさぶたが剥がれ,血が出て「いたい!」と言う。そんな状況に直面しながらも,なんとか移動できた。正直移動だけでそんなに時間がかかり,苦労するとは思っていなかった。そして移動先の美術の教室でお面を作る作業があったのだが,工作セットなどの持ち物一つ一つに,彼の名前がとても綺麗な字で書かれていたことは強烈に覚えている。
あとは,トイレの介助をした(と言ってもそこまで大変なものではなかった)。”自分のお尻は自分で拭けるようにはなったんだけど,一応お願いね”と言われて,一緒にトイレに入った。そして,彼はトイレの中に僕がいることなど気づいてもいない様子で,いつものように用を足した。小便のみであったようで,そのまま終わるかと思いきや,ズボンを下ろした状態で立ち上がり,ずっと腕を掻いていたので"ズボンあげるからねー"(とかだったと思う)と,一声かけてズボンを戻した。
そんなこんなで、大変な実習も終わりかけに。最後にホームルームと称したクラス内での遊びをやっていたところ,彼は明るく僕と遊んでくれた時間もあったし,笑って接してくれた。正直,自分は障害者とここまで一生懸命に対応を迫られることは今まで生きてきた中でなかったので,初めはトコトン使えない奴だったと思うが,実習中にも自分の中の精神的な皮が一枚むけてしっかり向き合えてきているな,と思っている時の笑顔であったので僕はちょっと嬉しかった。
話を障害に戻す。重度重複障害って,なんなんだろう?(児童生徒に適する言葉なのかもしれないが)国立特別支援教育総合研究所のHP(重複障害児の概念)にはオカタイ文言の他に「言語障害、自閉症、情緒障害等を併せ有する場合も含めて良い」と書いてある。
ちなみにオカタイ文言は「(1)盲・聾(ろう)・知的障害・肢体不自由・病弱の各障害を二つ以上有する重複障害者、(2)精神発達の遅れが著しく、ほとんど言語をもたず、自他の意思の交換および環境への適応が非常に困難であって、日常生活において常時介護(看護)を必要とする精神発達の重度遅滞者、(3)破壊的行動、多動傾向、異常な習慣、自傷行為、自閉性などの問題行動が顕著で常時介護を要する者、の三つの場合を示している。障害が「重複」しているだけでなく、精神発達または行動上の「重度」の障害をも含めて重度重複障害者として広義にとらえている。教育的にもっとも支援や配慮が必要な障害者の総称といえる。」となっている。
さらに同HP内の重度重複障害による困難についての項には「特に重度の障害が重複すると単に困難が加算的に「追加」されるだけでなく、相乗的に「増幅」されるということを理解することが重要です。その大きな理由は、単一障害の場合に用いられる主要な支援方法の多くが、障害を受けていない他の機能に依存あるいは他の機能によって補っているからです。」とある。
また,他に挙げられる困難としては以下の文面が載っている。
「周囲の人の重複障害への理解がないためにもたらされる困難です。その困難の原因は大きく三つに整理できます。1)一つの障害についてのみの知識及び理解だけで教育を行ってしまう場合,2)複数の障害についての知識と理解はあるが、障害が重複した場合に追加・増幅される困難を理解していない場合,3)最後は、特に重度・重複障害の幼児児童生徒に生じやすい状況ですが、生活すべてにおいて介助を必要とする状態にあり、しかも周囲には分かりにくい表現方法しかもっていない場合、その幼児児童生徒の潜在的能力は極めて低く見なされがちになってしまいます。そのために幼児児童生徒の自発的、自立的成長がそれによって阻まれてしまうという困難です。」と書いてある。
(どちらも強調は私によるものです)
上述の通り,障害者の方の中には自分の口で言葉で話すことができず,自由に体を動かせなかったり,自分で頭をぶつけて体を傷つけてしまうためにヘルメットを被せてもらって生活をしている方もいる。もしあなたが「自分の足で歩き,自分の口で話し,自分の目と頭で学び,自分の口で美味しいものを食べ,寝る」ことができる存在を「生きている」と定義するのであれば,重度重複障害者ではそれに入ることのできない人が出てきてしまう。何より,急な事故や病気でそこから外れる可能性はいくらでもある。(僕も介護体験に行くまで,特に考えたこともなかったけれどガラリと考えが変わった)普段何の不自由もなく暮らしている人に対して,重度重複障害の現実は,そのような疑問をぶつけるに値するものだ。そして障害者をサポートする現場の方々の苦労というのは想像を絶している。何も知らない人がいきなり体験したら,心を折られるかもしれない。それが現実だ。ちゃんと明言しておくが,僕は障害者を差別していない(つもりだ)。自分だって脳梗塞などでいきなり障害者になる可能性は大いにあるし,そう言った事例も知っている。主張としては,違いをしっかりと理解してそれに対する策はかなり綿密に講じていかなければならないと思っている。障害者の方も等しくみんな尊重されて生きられる社会が良い。
ただ,僕は生きる・暮らすという行為について,あまり考えたことのない人が障害者の生活とサポートする側の実態を見ることもなく,振りかざされた正論を鵜呑みにしてしまうのは正論を盾に現実から目を背けているだけだと思うし,危険だと思っている。
今回の相模原の殺人事件の加害者について考えてみる。またちゃんと言っておくと,加害者を弁護するつもりはないし彼のやったことは全面的に悪い,障害者だからといって殺害していいなんてことは全くない。絶対にない。しかし,彼が"重度重複障害"という言葉の意味がよくわかっておらず,介護の実情のこともわからずに現場に飛び込んでしまった可能性はゼロではないとは思う。もともと小学校の教師を目指してたと聞く。実態を知らない人からすると,"小学校のセンセイ”と重度重複障害の介護の現場では行う業務の内容が違いすぎる。警察の対応も悪かったとは思うけれども,彼がちゃんと真実を知る機会があったなら,事態はマシになっていたのかもしれない。
今回の事件をきっかけに,「障害」という言葉について様々な議論が起こった。芸能人や,有識者と呼ばれている人たちが「障害者を差別してはいけない」,「命の重さはみな同じ」と声を大きくして叫び,それをマスコミは報じている。ヘイトクライムに対してのレスポンスとしては大切かもしれない。しかしマスコミが障害者という存在と関わり方,彼らが生きることにどう向き合っているのかをもっと上手に伝えられていたら,こんなことにはなっていないんじゃなかろうか?
(何度も言うが,僕は彼を肯定するつもりは全くない。重度重複障害をもつ方と,その介護の大変さの実情を伝えても,彼の殺人を肯定することとは異なる。)
こんな僕でも,学生の時の体験をこれだけ発信できるし,ここでの内容は特別支援学校の日常なわけだから,マスコミの力を使えばいくらでも取材と発信ができるはずでしょう?障害者の方々が未だにこれだけ苦労してんのは,ジャーナリズムの責任もあるんじゃないのか?
今回の事件から,マスコミや世間に対してどうしてもモヤモヤが取れず,一般の方の理解が深まるように,また,障害者の方々や介護に携わる方がもっと明るく暮らせるように筆をとりました。
事件の被害に遭われ亡くなった方のご冥福,怪我を負った方のご回復を,心から祈っています。
以下の記事で泣きました。読んでいただけたら嬉しいです。
それではまた!
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