【起業に役立つ哲学】ハイデガーの技術論

 今回取り上げるのは、技術!です。

 現代で起業を考える際に、工業技術、バイオ技術、IT技術など、「技術」に関する知見は欠かせません。

 今回は、ハイデガーの代表的講演、「技術とは何だろうか」(講談社学術文庫、初版第1刷)を読みながら、技術について理解を深めていきます。

 私たちは、技術をどのようなものとして捉え、どう向き合っていけばいいのでしょうか?

 技術の哲学的な探求

「技術とは何か?」について哲学的に探求していきます。

ふつう、技術とは、道具であり、手段です(p98)。

この定義は、間違いなく正しいですが、本質的ではありません。

正しさと本質とは違います(p99)。

技術が手段だということが正しいならば、その正しさをとおって、本質を、つまり、手段というものの本質を考えなければなりません。

手段の本質とは何か?

それは、因果性です(p100)。

では、因果性とは何でしょうか?

まず、因果性は、4つに分けられます(p100)。

質料因(causa materialis)、形相因(causa formalis)、目的因(causa  finalis)、作用因(causa efficiens)です。

銀の皿を考えたとき、金属の銀がcausa materialis、お皿の形がcausa formalis、どんなお皿が必要かを決める目的、例えば銀のお皿を捧げる儀式がcausa finalis、現実のお皿を作り出す原因、例えば銀細工の職人などがcausa efficiensです。

このように、因果性は、単純なものではなく、それ自体が目的も含んだ4重のものなのです。

因果性の本質とは何でしょうか?

それは、現前的でないものを現前させる作用、隠れたものを隠れなき真相としてもたらすこと、すなわち、顕現です(p108)。

つまり、技術の本質は、隠れた真相を顕現させることにあるのです。

家を建てる人、船を建造する人、お供え用の皿を鋳造する人は、物を、因果性の4つの仕方に照らして、顕現させます(p110)。

農夫は、畑を耕し、穀物のタネをまき、その成長力に委ね、世話をし、面倒を見ます(p113)。

風車は、任意に吹く風を、つばさに受けて廻ります(p112)。

いずれも、自然の力を、4つの因果性に照らして、顕現させています。

これらが、一般的な技術です。

現代技術の特徴

では、現代技術における顕現作用の特徴とは、何でしょうか?

それは、「挑発」です(p112)。

自然に対して、エネルギーを供給せよという要求を押し立て、そのエネルギーをエネルギーとしてむしり取って、貯蔵できるようにすることを意味します(p112)。

ウランからの原子エネルギーを取り出す原子力発電、石炭から熱エネルギーを取り出す火力発電、水の位置エネルギーを取り出す水力発電が典型です。

いずれも、自然の真相を顕現させるものですが、そのさせ方が、従来の技術とは異なるため、顕現されて現れたものは、「徴用物質」となります(p116)。

「徴用物質」とは、ある特定の目的のためだけに存在するもので、私たちに対立するようなもの、つまり、対象とはならないものを言います。

 例えば、飛行機は輸送手段を確保するためのものであり、飛べなかったら無意味です(p116)。

 したがって、挑発によって、真相は徴用物質として顕現させられますが、この徴用物質は、ある特定の目的のためだけに存立しているため、多様な真相を隠してしまうという作用を持っているのです。

 技術の本質と今後

 以上見てきたことから、技術の本質は、両義的だということがわかりました。

 明らかにすることと秘匿することです。

 技術は、真理を現前化すること、つまり顕現させるものなので、自然の真相を明らかにします。

 風車の羽が回ることで、風の存在を知ることができます。

 一方、技術による顕現には挑発という側面があり、自然から、ある特定の目的のためだけに存在する徴用物質を作り出すことで、真相を隠してしまいます。

 火力発電の視点から地盤を見れば、地盤は、単なる石炭の貯蔵庫になってしまい、石炭は単なる熱エネルギーを取り出す対象物になってしまいます。

 真相の1面だけを顕現させることは、他の面を隠してしまうことを意味するのです。

 このように、技術には、真相を1面だけ見せて他を隠してしまう側面と、真相を本来の形で明らかにする側面があります。

 前者を追求すれば、「人間は徴用物質だけを追跡し、稼働させ、そこから一切の基準を受け取る」こととなります。(p132)

 後者を追求すれば、人間は、「隠れもなく真であるものの本質とその隠れなき真相へと、より先に、より以上に、ますます原初的に乗り出していく」ことになります(p132)。

 技術が挑発に傾いていく中で、対決の糸口はあるのでしょうか?

 それが、芸術です。

 芸術は、挑発による顕現の正反対にあります。

 芸術は、唯一無比の、多様なヒダを持つ形での顕現です(p148)。

 芸術とは、「敬虔なもの、すなわち、真理のふるう支配および真理を安全にしまっておくことに従順なもの」、です(p148)。

 古代ギリシアの像を見れば、明らかですね。

 まとめ

 さて、技術による挑発は、随分進んで、最近は、人間を徴用物質に変化させつつあるように思われます。

 動画配信技術は、ある人を、単純に他者の関心を惹くためだけの存在、再生数、広告料を得るためだけの徴用物質に変えてしまいます。

 例えば、売れない芸人は、人の注意を惹き、笑わせ、再生数と広告収入を稼ぐために、つまり、関心と笑いを取り出すための徴用物質と化しています。

 また、Youtuberでも、人の関心を惹くためだけに奇行に走る人が大勢います。彼らも、視聴者の関心を刺激するための、徴用物質になっています。

 他方、同じ動画でも、人生観を一変させてしまうような感動的なものもあります。

 動画配信技術には、配信者を通じて人間性の真理を表現する可能性と、配信者を単なる再生数や広告料収入のために刺激と興奮を生み出す徴用物質に変えてしまう可能性があります。

 これこそが、ハイデガーの言う技術の両義性です。

 今後技術について考える際には、真理を明らかにするという側面と、真理の1面だけを取り出して他を隠してしまうという側面に、注意を払うようにしたいですね。

 お読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

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