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鎮目のどか加入は、私のZOC他界を決定的にするものだった

この記事は鎮目のどかという女の子を貶める意図は一切ありません。
あの純粋でピュアでひたむきな女の子がこれからアイドルのてっぺんを目指す物語が始まる前の、混沌としてドロドロしていたZOCを回顧する老害の記事です。

「大森靖子は、ファンのことを大切にしてくれなくなった」
とうっすら思っていたことが確信に変わったのはいつからだったっけ。

兎凪さやかを脱退させて、すぐ後に元ハロプロの巫まろを入れたから?
戦慄かなの卒業の後に、ファンの心をざわつかせることを言ってからTwitterを更新しなくなってから?
「AGE OF ZOC」のコメント欄を封鎖してから?

色々と不安になることはあったけど、いつかは大森靖子が戻ってきてくれると思っていた。
自分の気に入らないメンバーと喧嘩のようになって卒業させたり、脱退メンバーからは地獄のようなタレコミがあったり、お気に入りの女の子とすぐにソロでコラボしたあり、ダンサーまでもアイドルグループに引き連れたり傍若無人っぷりは甚しかったが、いつかはファンのことを考えてくれると心のどこかで祈っていた。
あの頃の「孤独を孤立させない」というメッセージを掲げてファンと同じところにいてくれた大森靖子が完全にいなくなったと思ったのは、鎮目のどか加入だった。


違うんだっ、違うんだよ。
ZOCはもっと居場所がない女の子たちがピアの場所としてどこからともなく集まったシスターフッドだったんだ。

シスターフッドとは女性同士の連帯を表す語で、友情と似ているものの利害関係を超えた関係性のこと。 一つのイシューに向かって理念を共有したり、共闘できる、そういう関係のことだと認識されている関係性のことで、元々はフェミニズムの標語として使われていましたが、昨今の#MeTooで再注目されるようになった言葉です(https://tsutaya.tsite.jp/news/movie/41575089/より引用)

キラキラとして、応援してくれる両親がいて、澄んだ透明感ある歌声で歌える女の子はそれこそすべてを持っているじゃないか。

オーディションで何千人の中から選ばれるなんて、生まれ持った【才能】がなければいけないはずだ。
ドキュメンタリーで一言ひと言を紡ぐ意志の強さや、平凡な容姿に見えてみなぎる自信がある彼女は、私たちが足りなくて、その足りなさをよしとしていたZOCには不釣り合いすぎるほどに「完璧」だった。

ハロプロにでも、乃木坂でも、望むところのオーディションを受けたらどこでも受かるはずだ。なんで、ZOCだったんだろう。

僻み、とかではないと思う。
私が思っているZOCはここで終わったんだな。そう思った。
プロデューサー・大森靖子を困らせてきた戦慄かなの・香椎かてぃの穴を埋めるように無垢な中学2年生を迎え入れたというのは、そういうことなんだろう。

かつての治安の悪さに惹かれ、愛を知らずに生きてきたような女の子たちが自分の人生を重ねて歌う曲にはもう魂がこもっていない。

「PvP」、聞いたけど、私の知っているZOCではなかった。
大森靖子の作曲作詞能力は変わらずに素晴らしかったが、カウンセリングのようだった大森靖子が作る安全地帯が、また、キラキラとしたあの子達しかいない場所になっていった。

#印象的だったのは「SHINEMAGIC」の一節。

私がヤンキーのlover
私が幻killar

(この歌詞を他の人が歌うことが嫌だから)良かったと思う反面、やっぱり戦慄かなの的/香椎かてぃ的なもの=ZOCだったんだなと改めて感じた。

中学校時によくクラスに馴染めないことを気にかけてくれた先生が、実はクラスで一番優等生で陽きゃの女の子のことを贔屓していると知った時と同じような虚脱感を覚えた。

期待させないでくれ。最初から。


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