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第78回 独ソ戦の始まり

1941年6月22日、ドイツは不可侵条約を破って約300万の兵を以て突如ソ連に侵攻しました。夏に攻め始め、冬までに完勝する計画でした。
不意をつかれたソ連軍は大量殺りくの被害を受けました。
スターリンも警戒はしていました。冬用の兵士用の毛皮のコートが何百万枚と必要な筈だから売れ行きを監視していたのです。その動きがなかったので安心していました。実はヒトラーは冬の用意をすると気取られるし、志気も下がると思って、あえてしなかったのです。

この侵攻は日本を大いに驚かせました。すこし前の4月に日ソ中立条約を結んだばかりで、独ソ不可侵条約と合わせ、松岡外相は四か国同盟を結んで米英に対抗しようとしていたのです。結局、日本とドイツは意思の疎通が全くなかった事が露呈しました。ヒトラーは、
「民族には優秀な民族と奴隷になる民族がある。スラブ人は下等な民族だ。優秀な我がアーリア系のドイツが発展するためには、東に向かって進むのだ」と侵略を正当化しました。

そしてソ連はスターリンの国内の粛清で有力な将校もなく、抵抗する力もなく、あっという間に死者は百万人を超えました。最終的にはこの独ソ戦で2千万人以上の被害者が出ました。
チャーチルはその惨殺の報を受けて恐怖しました。
ナチスがソ連に勝てば、またイギリスに向かってくる。そうすればイギリスは破滅です。
この独ソ戦がアメリカと日本を大戦に巻き込む事になるのでした。(続く)

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