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第45回 清少納言の挑発

香子の書く『源氏の物語』がちらほらと京の中で評判になっている頃、従兄の信経(父為時の次兄為長の子)が憤ってある書物を持ってやってきました。
ここからは勿論推測で、拙著『源氏物語誕生』に述べています。

信経が持ってきたのは清少納言が書いたという『枕草子』でした。
『枕草子』も成立・発表が不定です。清少納言の敬愛する皇后定子が崩御したのが、1000年の12月。その前から書いていたという説もありますが、私は香子の『源氏の物語』が評判になってきてからぶつける様に公表したという説を摂りました。

信経はまず自分の悪口が書かれている所を見せます。
「信経という方が書いた絵図面の漢字の書風や字体が何とも言えず下手糞なのを見つけたので『この指示通りにお作りしたら変てこなものになるでしょうよ』と書き付けて殿上の間に届けたので、みんなが手に取って見てひどく笑ったらしいのを、信経は大変腹を立てて私を憎んだことです」
とある。
「信経兄様は書がお上手ではないですか。何故こんな事を」
すると信経は言います。
「そなたの夫・宣孝殿の事も書いてあるぞ」
として「あはれなるもの」との題の所を読むと、
「どんな身分の高い人でも粗末な服装でお参りするという御岳詣でに、右衛門の佐(すけ)宣孝という人は、派手な格好でお参りして行き会った人々は驚き呆れた事だった。けれどその後、出世したのだった」
ともう亡き夫を変人扱いした文章だった。

「なぜ清少納言は今更こんな文章を・・・」
「そなたの『源氏の物語』が評判になっているからではないか・・・」

推測ではありますが、後発の才女・香子の書く物語が評判となっているので4つ上の才女の先輩が、一発お見舞いした?
芸能界やスポーツの世界でも頭角を現してきた後輩には洗礼をするとか。錦織選手もデビューの頃、ボールをついたらアメリカの有名選手が「フォルト!」と叫んで嫌がらせ?をした記事を見た事があります。

後年、『紫式部日記』で清少納言の事を、罵倒とも言うべき辛辣な表現で書いてあるのはその前に才女同士のバチバチとした火花が散っていたのかも知れませんね。

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