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第73回 日米参戦の序章

1940年10月に、アメリカでチャップリンの『独裁者』が上映されました。明らかにヒトラーを揶揄した映画に、新婚のオッペンハイマー夫妻は、クリスマスに訪れた弟のフランクとジャッキーの夫妻と共に観て、特にオッパンハイマ―兄弟は自分たちの出自であるユダヤ人への迫害を憤りました。またオッペンハイマー(ロバートの方)は原子爆弾だけがヒトラーを追い詰める事ができるのではないかと思うのでした。

その年の12月29日、欧州からユダヤ人約900人がアメリカの移住を目指しましたが、1924年にできた「新移民法」を盾に政府は入港を認めませんでした。そして元のヨーロッパ各国へと戻されました。イギリス以外の国に戻された人々はそのほとんどが強制収容所送りとされ、命を落としたのです。

運命の1941年が明けました。
日本では1月13日、東条英機陸軍大臣が、「生きて虜囚の辱めを受けず」と演説しました。捕虜になるくらいなら死ねという事です。
日本は前年に紀元二千六百年として、初代神武天皇が即位してから二千六百年という事で盛り上がっていました。そして秘かに一部では最近冷たいアメリカとの戦争もあるのではないかと考える人もいました。

1月23日、アメリカでは親独派のリンドバーグが、ドイツと中立条約を結ぶべきだと演説しました。それを聞いて、ローズベルトは苦々しく思いました。(続く)

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