見出し画像

自分の中の哲学


2024年1月9日。
今日は神戸三宮にある『カフェケシパール』で過ごしていた。
本を読みながら過ごしていた中で、感じたもの、そして自分の中にあった哲学を書き殴っておきたいと、ふと思って今に至る。

自分の感性が研ぎ澄まされるとき、それは家に籠っているときではない。やはり外にいるとき、静かな空間にいるとき、自分の中の感性が豊かになる。

ずっと気になっていたのが、『20代で得た知見』という本だった。この本、かなり尖っている感じで、斜に構えている感じがとても好きだ。一般論に流されない、正解も不正解もない持論を展開する文章が面白い。
これに感化されてしまい、自分の中での知見も書きたい!と思ったわけである。
特に意味もない、好きか嫌いかもよく分からない、結論があるわけでもない哲学だって面白いじゃないか。という話です。



01.優しさとは想像することである

今まで行ったことのあるお店で、もう一度行きたいと思えるところは多いわけではない。
ただ、コアなファンが多いところには、ある種優しさというのか、想像力が凄まじい方がいると思う。

それは接客なのか、空間作りなのか、お客さんの質なのか、色々あるが。
土地柄でもその優しさのあり方は異なっているように思うし、個人差もあるにしても特徴はある。

今日読んでいて面白かったのは、京都の喫茶店特集だ。歴史的なお店では、常連客が多くコアなファンも増えていく。そうなると、常連さんに特別扱いしてしまうものだが、あえてフラットに接する(新規の方、常連の方に関わらず)ことで、そのお店の雰囲気を保っているそうだ。
これは京都らしいというのか、おもてなしの心を感じた考え方である。
自分なら何度も通ってくれる方がいるとしたら、間違いなく特別扱いしてしまうと思うからだ。

そういう想像力を発揮した優しさもあるらしい。

02.よくある名言にうんざりするとき

自分のうつ状態があまりにもひどいとき、SNSで流れている当たり障りのない名言にうんざりすることがよくあった。

こういう精神的な疲労があるとき、自分の場合ネットサーフィンしかできないが、それすらも気休めにならないというかなり地獄な状態になる。

うつ状態の特徴のひとつとして、「攻撃性が高くなる」というものがあるのだ。まさにこれが当てはまって、どんなことでも斜に構えて論破したがるようになってしまった。

批判(というか論破したいくせに論理が破綻してるから暴言だと思う)することで自分は正しいと思いたい。その小さな快感でドーパミンを出しているにすぎない。これも中毒みたいなものだろう。

そういうときはひどく疲れているので、とりあえず寝かせるか、美味しいもの一緒に食べるか、自然の中に放り込んだほうがいいと思う。残念ながら携帯の中に救済法は無かったので。
自然にいたほうが人は生き生きする。持論です。

03.やりたいことはすぐにやったほうがいい

やりたいことはなるべく思ったときにすぐやったほうがいいと思う。それはなぜか。

これもうつ状態で療養しているときに感じたことなのだが、単純に今日体調が良くても、明日めちゃくちゃ体調が悪くなるなんてザラだからだ。
気持ちでも同じことが言えて、今日思っていることが明日になったら全然違うことなんてよくある。

つまり、今日動ける状態で、何かしたいと思ったらそれが絶好の機会だということだ。
明日になったらやりたくないかもしれない。なのに、引きずってやろうとしても、なんか気が乗らなくてモヤモヤすることだってある。

行きたいお店が閉店しているかもしれないし、会いたい人が遠くに行ってしまって、なかなか会うのが難しくなるかもしれない。事故に遭ってしまう可能性もゼロじゃないわけだ。

思い立ったら行動するのがまさに吉だということです。

04.信用の基準

リアリティを重んじる人にとって、信用の基準はかなり高い。空想とかノリとか勢いを嫌うからだ。
「そんなん簡単だよ」とか「あの人のことは少し話せば分かる」というセリフを聞くと、かなりモヤッとしてしまう。

自分は何でも「簡単だ」というより、厳しさとかリアルさを教えてくれる人のほうが信用できる。
あくまでスタンスの話でしかないけど。

05.できないことはどれだけ頑張ってもできない

得意を伸ばすのがいいのか、それとも苦手(あるいは必要なこと)を補ったほうがいいのか。
キャリアにおいてよく出てくるこの話。

自分は長期的に物事を考えるクセがあり、そのせいで後者を選びがちだ。大きな目標のためなら苦手でも必要性を自分の中で落とし込んで、納得させて進んできた。

その結果どうなったか。2回適応障害になって早期退職した。これ以上言わなくても分かると思う。

当時はがむしゃらにやっていたが、何度も怒られたものだ。できないことに対して向き合ったが、いつまでたってもできなかった。

やっとそのときに、できないことはどれだけ頑張ってもできないことを理解した。

何でもできると思っていた20代の特に前半は、もはや可愛らしいが。
昔の自分がそこにいるなら、好きなことか、得意なことをやっとけと言うだろう。当時の自分は素直に聞かないと思うが…

06.話を聞くのが上手い人

どうやら話を聞くのが上手い人は重宝されるらしい。あなたの周りにもそんな人はいるだろうか。

話を聞くのが上手い、と言ってもいろんな種類があると思う。話しやすい空気を作るのが上手い人、質問の仕方が上手くて、相手の話を引き出せる人。他にもいるだろう。

自分はあまり自分のことを話さない。ほぼ9割ぐらい相手の方が話していると思う。
ただ、自分は質問が上手いかと言われたら全くそんなことはないし、むしろ会話の中で質問はしない。
なぜか相槌だけでそんな現象が起こる。これは不思議だなぁといつも感じている。

逆に自分はどうしたら自分の話を自然にできるのか、そういうことを考えている。自分語りばかりするとうんざりされると知っているからだ。
聞いてもないのに話されるのはしんどいだろう。
人は自分のことが本当は一番好きで、可愛がって欲しいものだ。自分のことが嫌いだと言う人でさえも。心の奥では聞いてほしい。と思っている。
じゃないとこんな文章書かないからね。

ただひとつ、自然に自分の話をできるパターンはある。それは自分が相手に貢献できる何かを持っていたときだ。教えてほしいと言われたら、その瞬間に自然と自己開示できるようになる。多分上手い人はそれを自然にやっているのかもしれない。

そういえば、誰かに「〇〇(自分の名前)はいやらしさがないよね」と言われたのを思い出した。
確かに。自分は会話をするとき、いやらしさが伝わらないようにしている。

ちなみにその人には、「だよねー、だっていやらしくないからね」と返しておいた。ナンヤソレ。

07.甘いものは正義

こんなタイトル、言わなくても分かるだろう感満載だが、やっぱり甘いものは正義である。
もう砂糖が健康に悪いなんて分かりきってる。
しかし一度の人生、甘いものを封印されたら生きる意味を失うのも当然だ。

とりあえず行き詰まったら甘いもの。疲れたら甘いもの。イライラしたら甘いもの。元気になりたかったら甘いものを食べればいい。

甘いものは世界を救う(大事)。
この世にチョコという素晴らしいものを生み出してくれた人に一生感謝を伝え続けます。

08.頭の中の9割はどうでもいいことを考えている

こんな自分ですが、滅多に真剣な話はしません。
なぜなら疲れるからです。はぁしんどってなります。
ただ、ときには話をしなければいけないタイミングはあると思う。そういうときにはきちんと話はします。
昔の自分は真面目な話がメインで構成されていたから、けっこう周りをかき乱していた(わかりやすく言うと浮いていた)。考えすぎる人ってやつ。

今はそのスタイルに限界を感じて、大体はテキトーなちょっとクスッと笑える話をするようにしてるし、そう考えている。
だってみんな仕事して疲れてるのに、そんなされたらたまったもんじゃないだろうと。家帰っても仕事ですか?ってね。
なのでお笑い番組とか、YouTubeの変な動画とか、面白おかしい話を集めといて、一緒に見るみたいなやつがいいと思う。疲れたなら寝ればいいし。

09.ご飯に行くときのお店の選び方

ご飯ってすごい力があると思う。なんかへこんでも美味いもの食べれば心が軽くなる。ただ1人で食べてもさみしいもので、やっぱり誰かと食べるほうがいい。

ご飯を行くときは結構お店選びを大事にしている。
味はもちろん大事なんだけど、相手によってジャンル、お店の雰囲気(規模)とか客層とか、色々想像しながら選んでいるのだ。

だから、1人で食べるのはさみしいと思いつつ、リサーチの意味で1人で探索することもある。あの人がもしここに来たら勧めてみよう、と思いながら食べるのは、それはそれでいい時間にもなる。
いろんなジャンルを知ってると、話のネタにもなるし良いことしかない。

10.居場所に関する考察

少し前から話題に出てきたのが「居場所」という言葉だ。サードプレイスという言葉も最近よく聞くようになった。

それだけ今の人には第3の居場所が求められているということだろう。家、職場以外のもうひとつの場所、それがその人にとってのサードプレイスである。
一番イメージしやすいのがカフェだろうか。とくにスターバックスコーヒーなんかは、そのサードプレイスとしての価値提供が上手い。

というわけで、そういう意味も込めて、色々なカフェや純喫茶を巡ることがひとつの趣味になった。

もう少し踏み込んでこの居場所について考えてみるとしよう。
自分はサードプレイスにとどまることなく、もっとたくさんの居場所をもっていい(というか無意識にそうしている)と思っている。

プライベートの居場所は、本当にだらけてどうしようもない感じで過ごせる場所だし、職場はキリッとスイッチが入って、それはそれで別の自分として相手に貢献できる居場所になる。

うつ状態になって分かったことは、仕事をしないことで、社会との繋がりが無くなるような感覚になる、ということだった。
「仕事なんてしたくない」と思うことは多いが、失ってから気づくもので、かなり大きな役割や居場所を与えてくれているようだ。

また、サードプレイスや趣味などの居場所も大切だろう。ゲームをしてる自分、ファッションを楽しんでいる自分。自然にいる自分、カフェにいる自分。推し活をしている自分。

いろんな居場所を持って分散させていると、かなり心にゆとりが生まれると思う。
これは投資や仕事でも同じことが言えるけど、分散してリスクを抑えているほうが安定するものなのだ。

自分がカフェや純喫茶を好きな理由は、程よい緊張感とリラックスできる状態が上手く混ざっているからだ。他のお客さんに配慮しながら、自分の時間も過ごすのは、とても快適な時間になる。ダラーっと過ごしているときでは出てこないアイデアも湧いてくるし、逆に仕事のような張りつめているときとも違う感覚になれる。

居場所という物質的な話だけでなく、「誰と過ごすか」でもその人の居場所は作られる。家族や仕事の人間関係、趣味の仲間などいろいろなコミュニティでその人の心は作られている。拠り所は多くて困ることはない。
残念ながらお店も、ゲームも、仕事も、推している人も、無くなってしまうときがやってくる。だから拠り所が少ないとダメージも大きくなってしまう。

そういう意味も込めて、居場所は複数持っておいたほうがいい、ということだ。

最後に

今回は『20代で得た知見』に感化されて、それっぽい持論を展開してみました。これはじめてやってみたけど、結構面白いからおすすめ。
ありきたりじゃないオリジナルな文書が作れるし。

やっぱりカフェに行くとアイデアや言葉がたくさん浮かんでくると思う。でもそのときに書いておかないと忘れてしまうなと思って今日は書きました。
帰りに電車に乗っていたけど、あのときの感覚には戻れない。なんか違う感じがするなぁと思いました。

エッセイなんてそんなたいそうなものじゃなくても、自分の考えをまとめておいた本は作りたいなと、ぼんやり思っているところです。

うつ状態に2回なり、いろんな気づきを得ている自分にこそ見える世界や書けるものがあるだろうと、少し前向きになれている状況です。

『カフェケシパール』はとても良いところでした。
ケシメイツ(ケシパールで働く皆様の総称)やお客様と一緒に作り上げる空間がとても快適で、一瞬で時間が過ぎていきました。

次もこういう感じで書いてみようと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?