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サイゼリヤの天使

 2016年8月12日、私は1人サイゼリヤにいた。夏休みはバイト終わりにサイゼリヤの平日限定500円ランチを食べることが日課だったからだ。別にサイゼリヤが特別好きというわけではない。お金さえあれば代官山あたりでインスタ映えするランチを注文していただろう。
 500円ランチは10種類ほどあり、この時はデミグラスハンバーグにした。私は右手にナイフ、左手にフォークを持ち、置く時は先をお皿に、柄をテーブルに八の字になるようにする。小さい頃によく祖父母にステーキ屋に連れて行かれてナイフとフォークの使い方のマナーを教えられて以来、たとえサイゼリヤであろうと、誰も見ていなかろうと、正しいマナーで食べる癖が付いているのだ。しかしサイゼリヤのナイフとフォークにはお皿に引っ掛けられる窪みがないので、滑り落ちてしまいそうになる。それでも慎重にバランスを取って置きながら食べていたのだが、半分ほど食べたところでついに落としてしまった。ナイフが洋服に落ちてデミグラスソースが付いてしまい、急いで紙おしぼりで拭く。私は基本的に洋服を大切にしている。なるべく洗濯したくないし、なるべく汚したくない。
「よかったら使いますか?」
 顔を上げると、隣のテーブルの女性がおしぼりを2つ持って立っていた。
「あっ、ありがとうございます!」
 この時の「あっ」は「あ、はい」「あ、ありがとうございます」などの意味の無い「あ」ではなく、心からの感嘆詞だった。私は基本的に知らない人と話す時あまり大きい声を出せないのだが、この時ばかりは反射的に大きい声が出て、自分でも少しびっくりした。しかも、ありがとうございますありがとうございますと3回くらい繰り返したと思う。今までの人生でこんなにお礼を言ったことはなく、本当に心から感謝していると何度もお礼の言葉が口を付いて出るのだと知った。そのくらい衝撃的な優しさだった。上京して2年、東京の人は冷たいなんて嘘だと思った。世の中にこんな聖人のような人がいるのかと、感動のあまり泣きそうになりながらデミグラスソースを拭き取った。
 大方拭き終わったところでふと顔をあげると、斜め前のテーブルのおじさんのTシャツにプリントされた「WAR IS OVER」の文字が目に飛び込んできた。サイゼリヤ、ここはユートピアか? 世界平和は実現できるのはないかという気さえしてきた。心なしかいつもより美味しい気がするハンバーグを食べ終わり、最後にもう一度お礼を言って帰ろうかとも思ったが、同席していた人と何やら真剣そうに話していたので、諦めて何事もなかったように席を立った。代わりに、その女性がわざわざ持って来てくれたおしぼりの2つのうち1つをバッグにしまった。今でも開封せずに記念として保管していて、時々眺めてはあの人の優しさを思い出している。

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