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中学生の頃の作文を振り返る

中3の頃、担任の先生(国語教師)が宿題(毎日大学ノートに1ページ以上勉強して提出するというもの)を忘れたら「1ページ以上何でもいいから文章を書く」というペナルティを課した。
私は小学生の頃から文章を書くのが好きで、ましてや何でもいいと言われれば喜んで宿題をやらずに書いた。

日々考えていることや過去にあったことなどを適当に綴った私の文章に、先生は毎回丁寧に赤ペンでコメントをくれて、それにまた返信コメントを書いたりと、それは交換日記ともブログともつかないノートと化した。
また、場面緘黙症だった私にとっては、全くペナルティなどではなく、貴重な自己表現の機会かつコミュニケーションツールとしての役割も担っていたのだった。

そのノートは保管しているので、その中のひとつを全て原文のまま書き起こして公開しようと思う。ちなみにこれは、私の小学校生活で10番目くらいに記憶に残るエピソードである。  

「恐怖」2010年6月14日
確か私は小学校2年生だった。ある日、私は友達とその弟と近所を歩いていた。どこへ行くわけでもなかった。
すると、前から「Kくん」と後輩から呼ばれる先輩が歩いてきた。
彼は2つ学年が上で、当時4年生だった。当時彼は50m走を8秒以下で走れるほどの俊足で、各学年の元気な男子グループの数人は彼を慕っていて、それ以外は彼を恐れていた。
誰も彼を“不良”とは呼ばなかったけれど、(でも実際も不良ではなかった)そういうイメージと扱いだった。だから嫌な予感がした。
予感は的中し、私たちはKくんに話しかけられた。
「ドッジボールやらない?」
「やる!」
あまり頭は良くなくて運動が好きで得意な友達姉弟は、そう即答してしまった。
“バカ、最悪だ”と思った。
私は恐れながら断った。
するとKくんは「やらないとちょっと、いや、ちょっとじゃないな、なぐるぞ」と言った。
そんなことを言われたら断れるわけがなかった。少なくとも当時の私は断れなかった。
そしてKくんが住んでいる、通称“山北(やまきた)”という団地の中庭でドッジボールを始めた。
友達の弟は進んでKくんと同じチームになった。彼はまだ幼くて、Kくんを慕うグループに入りそうな子だったから恐怖心がなかったのかも知れない。
最初は(私はコートに立ってるだけだった)一応ちゃんとゲームをしていた。
だけどもちろんKくんが一番力もあるし運動能力も高いし、だんだん崩れていってKくんが1人で投げていた。それも全力で投げるから怖かった。
しまいにはサッカーにしようと言い出した。
サッカーと言っても、Kくんが壁に全力でボールを蹴りつけるというものになっていた。
私はその壁のサイドにいたから怖かった。
そして私たちはやっと解放された。2時間ほど私は恐怖にさらされていた。
その後Kくんと関わることはなかった。
だけど友達は数回、ろうかですれ違うとき軽くビンタされていた。彼はただの遊びだったと思う。
学校で彼を知らない人はいなかったけど、彼は私を知ったこともなかっただろうし、私のことなんてすぐに忘れただろう。
もちろん覚えていたら困るからそれでいい。
ちなみに理由は知らないが彼は中学生になって警察につかまったらしい。

以下、先生のコメント

なかなかいいエッセイになりましたね。
当時は恐かっただろうけど、歳を重ねて少し大人になった今綴ったことによって、何だかしみじみとするような、ほろ苦いような、懐かしいような、おかしいような…素敵なエッセイになったと思います。
最後の8行程の文章(その後〜)が全体をよくまとめていて、読む人をぐっととらえるものがあります。思い出の持つ、不思議な力ですね。


この時からちょうど4年後、私は奇しくもその先生と同じ大学の同じ学部に入学し、ネット上で文章を書くようになった。

そしてこの前、

とツイートしてこのノートを思い出したのだ。

このツイートは思いのほか反響があって、リプや引用ツイートなどで、「でも実際若い頃に書いたものは本当に恥ずかしい黒歴史のこともある」「オフラインで残しておくのが最適解」などのコメントをいくつかいただいた。
なるほど確かに私も、今回載せた「恐怖」は今でも見せられるものの、他のページを見るとネタにすらできないほど恥ずかしいことが平気で書いてある。
消したツイートも残しておけばよかったと言ったが、他人には見せたくないようなものも多くある。
このノートはツイートと違ってある程度労力を使って書いたものなので愛着があり保管していたが、もしネットで公開していたら消していたに違いない。

よって、誰かに言われた通り、オフラインなど何らかの形で自分だけ読める状態で残しておくのが最適解なのだろう。

つまり、過去にネットに書いた恥ずかしいことを消去することではなく、過去の恥ずかしいことそれ自体をなかったことにすることが、本当に恥ずかしいことなのかもしれない。

生活費の足しにさせていただきます