中3の頃、担任の先生(国語教師)が宿題(毎日大学ノートに1ページ以上勉強して提出するというもの)を忘れたら「1ページ以上何でもいいから文章を書く」というペナルティを課した。
私は小学生の頃から文章を書くのが好きで、ましてや何でもいいと言われれば喜んで宿題をやらずに書いた。
日々考えていることや過去にあったことなどを適当に綴った私の文章に、先生は毎回丁寧に赤ペンでコメントをくれて、それにまた返信コメントを書いたりと、それは交換日記ともブログともつかないノートと化した。
また、場面緘黙症だった私にとっては、全くペナルティなどではなく、貴重な自己表現の機会かつコミュニケーションツールとしての役割も担っていたのだった。
そのノートは保管しているので、その中のひとつを全て原文のまま書き起こして公開しようと思う。ちなみにこれは、私の小学校生活で10番目くらいに記憶に残るエピソードである。
以下、先生のコメント
この時からちょうど4年後、私は奇しくもその先生と同じ大学の同じ学部に入学し、ネット上で文章を書くようになった。
そしてこの前、
とツイートしてこのノートを思い出したのだ。
このツイートは思いのほか反響があって、リプや引用ツイートなどで、「でも実際若い頃に書いたものは本当に恥ずかしい黒歴史のこともある」「オフラインで残しておくのが最適解」などのコメントをいくつかいただいた。
なるほど確かに私も、今回載せた「恐怖」は今でも見せられるものの、他のページを見るとネタにすらできないほど恥ずかしいことが平気で書いてある。
消したツイートも残しておけばよかったと言ったが、他人には見せたくないようなものも多くある。
このノートはツイートと違ってある程度労力を使って書いたものなので愛着があり保管していたが、もしネットで公開していたら消していたに違いない。
よって、誰かに言われた通り、オフラインなど何らかの形で自分だけ読める状態で残しておくのが最適解なのだろう。
つまり、過去にネットに書いた恥ずかしいことを消去することではなく、過去の恥ずかしいことそれ自体をなかったことにすることが、本当に恥ずかしいことなのかもしれない。