《光の授受》の挿話─ナゴール的な、もしくは非ナゴール的な─ ウルトラマン第1話の形態学[0]
まえがき
ウルトラマンの“存在の仕方”には、ウルトラマンとそれに変身する人間が別人である場合と、ウルトラマンの方が人間の姿に変身している場合(同一型)とがあるのは周知の通りです。前者は憑依型とも言われるようですが私の用語では不同型と呼びます。
この「《光の授受》の挿話─ナゴール的な、もしくは非ナゴール的な─」は、平成第2期までの主な不同型ウルトラマン9作品の第1話について考察したものです。
もともと私の関心は、ウルトラセブンをはじめとする、少数派の(苦笑)同一型に対する方が大きく、それは今も変わりません。が、6年ほど前、平成第2期までのほぼ全作に渡ってその第1話=物語の端緒を比較しつつ論じてみようと思い立ち、進めるうちに、まず不同型だけをまとめて扱うのが適当と考えるに至りました。それから数か月で「光の授受の挿話」としてほぼ完成したものの、発表の機会のないまま眠らせていました。今回、noteデビューの記念として公表してみようと考えました。連載という形にして数回に分け、手を加えつつ徐々に投稿していく予定です。
以上のような経緯ですので本稿のベースのアイデアは2015年頃のものであることをお断りしておきます。
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