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気になる存在。
「先生...助けて...削りすぎちゃいました...」
なんとも心細い声で、片手を挙げるサヤコさん。
毎週土曜に、一時間半かけて車で通われている4人グループのうちの一人、サヤコさん。
四月から通う陶芸教室で、毎週出会ううち、私は、このサヤコさんが気になる存在になってきていた。
ヘアスタイルは品の良い白髪のボブ、物腰も柔らかで、ニッコリと笑って、初対面でも優しく話しかけてくださる感じの良い方だった。
土曜の午後は、土練りからロクロで成形し、削り作業までの一通りを自分で出来る方ばかり。そして、作る物も大きな花瓶や皿、徳利やメダカ鉢など、高度な物になっている。
陶芸家の先生の、プロの視点から
「重厚そうに見えて、
持ったら『軽い!』という器がいい器だ」
という教えのもと、器の厚みを極めていく。
とはいえ、元々粘土なわけだから、ロクロで成形していく間に、手順を間違えてしまうと(たとえば花瓶の下部の方を先に薄くしてしまうと、上に伸ばして背が高くなったとき、クチャンと潰れてしまったりする)思ったような形になっていかない。上下のバランスを見ながら、腰はこんな感じ、上はスーッと、スタイリッシュに仕上げていくのだ。
そうして上手く成形できた物を、一週間ほど乾かして、それから『削り』の作業に入る。器を裏返したとき、お茶わんを持つとき薬指や小指の当たるあの部分、高台を作る作業。
成形したときの、器の底の厚みを計り、余分な土を、今度はロクロに、器を伏せる状態にして、外側からかきベラで削っていく。
削り過ぎてしまうと、器の底に穴が開いてしまうことになるのだから、慎重にことを進めなければならない。ロクロでせっかくかっこいいものが出来ても、この削り作業で「底に穴が...」という失敗は、初心者にはよくある話。
悲しいけれど、底抜けの器になってしまったら、一思いに潰してしまう。渾身の思いをこめて。
『クソったれ!!』と。
と、そんな大事な削りの作業をしていたサヤコさんは、私の隣のロクロ台で先生に叱られていた。
『あれほどよく見ながら削ってってな、って俺
言っとったやら...!』
嘆くような、諭すような、そして苛立ちを含んだ先生の声。
「見ていたつもりなんです...けど...」
しょんぼりとするサヤコさん。
あらら...。サヤコさん...。
可哀想...。
と思ってしまいそうだけれども。
しかしね、このサヤコさん、七年もここに通っていらっしゃるのだ。
そして、同じような会話を、確か先々週も聞いたと思うのだけれど。
サヤコさん...。
あまりにしょんぼりするサヤコさんに、先生はドベ(糊の役割をする土)をもってきてどうにか補習作業にとりかかる。そして作業をしながら、先生とサヤコさんのボソボソとした会話が聞こえる。
『サヤコさん、もうちょっと集中してやってもらわないと...何年も...毎週遠いところをきてやって...なんとか自分でやれるように俺も...』
「はい...すみません...」
『集中力が大事で...隣の柊さんなんてまだ二年目やけど...』
「やっぱりお若いから...」
『そんなもん関係ない...集中力や...』
「はい...すみません」
一つの器を二人で向かい合わせに、ボソボソと言い合いながら補習しておられた。
私はといえば、35cm超えの大皿の、まさに高台を削り出しているところ。
メジャーで計り、印をして、かきベラで地道に削っているところだった。
ひょっとしたらこれは、秋の美術展に出すかもしれないくらい気合いを入れている物の一つ。失敗はできない。慎重に慎重に削っていく。
外側の微々たるシェイプで、皿の表情は大きく変わる。品の良い、シュッとスタイリッシュなカーブを削りたい。
目を細め、少し離れて見たり、度々ロクロを止めて、厚みを見たり、慎重にことを進めていた。
隣のサヤコさんの器は、なんとか修復が終わり、もう今日は、終わって片付けをし始めていた。
ため息まじりに雑巾で拭きまわり、ほうきで穿きながら「見てたつもりだったんだけどな...」と小さな声がもれる。
「イヤになっちゃうな...」と、心の声が。
そうして片付け終わり、少し心を落ち着かせたのか、ちょこんと私のすぐ真隣に座る。
そして、体ごとこちらに向けている気配。
視線を感じる。
ん?
「ねぇ、柊さん。
見てていーい?」
いやいやいやいや、
気になるぅーーーっ!!!
(器が削れんからって、
人の集中力削らんでいいのよ。)
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