石牟礼道子・伊藤比呂美著「死を想うーわれらも終には仏なり」を読んで

石牟礼道子さんのことを知りたくて「死を想うーわれらも終には仏なり」を読みました。

伊藤さんとは気の知れた仲なのか、石牟礼さんは伊藤さんの質問に対してざっくばらんに答えます。また、石牟礼さんから質問することもたびたびあります。

石牟礼 役割とも違いますね。役割を自分でみつけたとしても、その役割を果たすというのは至難の業で、ただ、なんか「縁(ゆかり)」がある。ゆかりというのは具体的な結びつきではなくて、ただ、川を一人の赤ん坊が流れていくと、目に映る物が美しかったり、恐ろしかったりもするんだけども、せめて美しく見えたことを思い出すために、思い出すために書き留めておきたい、ということでしょうか。

石牟礼道子・伊藤比呂美
「死を想うーわれらも終には仏なり」平凡社 p.145


なんというか、草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)であったり、山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」を地でいくような人なんだと読んでいて思いました。何か詩的な表現をしようとか、社会に対して何か訴えようとかという意図を感じさせない。しかし、女性とは、差別とは、と人間についてしっかりと考えられている。そんな不思議な雰囲気を持っているように思いました。

石牟礼 畏れというか、融和しているというか、自分もその小さな生命の中の一つで……。宮沢賢治にありますね、「このからだそらのみぢんにちらばれ」(詩「春と修羅」)というのが。それと「宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう」(「農民芸術概論綱要」)というのもありましたし。

石牟礼道子・伊藤比呂美
「死を想うーわれらも終には仏なり」平凡社 p.147より


石牟礼さんの文章は、音読してこそ、その良さが感じられるように思います。本書の中で朗読していた自作の創作お経が素晴らしかったのでそちらを紹介して終わりたいと思います。

じゅっぽうむーりょ 十方無量
ひゃくせんまんのく 百千万億
せーせーるいごう 世々累劫
じんじんみーみょう 深々微妙
むーみょうあんちゅう 無明闇中 
るーるーそーげー 流々草花
おんりーいちりん 遠離一輪
ばくめいむーみょう 莫明無明
みーしょうおくかーいー 未生億海

創作 石牟礼道子

※追補

手前味噌ながら、南方の海を想って書いた詩を記しておきます。

海に撒き
山に埋めれば
生きし日の
記憶とともに
我が鎮魂歌

かえす波
光し水面
見守れば
遠い記憶の
海底の修羅

暮らす家
その傷跡を
触れながら
過ぎし嵐の
音は鎮まり

運ぶ舟
波打つ音が
重なれば
進む時間も
寄せて還して

拾う声
文字に写せば
魂の
震える言葉
語り継がれて

引用文献
石牟礼道子・伊藤比呂美(2018)死を想う われらも終には仏なり,平凡社新書.

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