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[聲の形]硝子と将也が死ぬための資格と贖罪

なんで死ぬ前に筆談ノートを見ていたのですか?

という質問を頂いた、

1つめは、このノートが手元に戻ってからの4ヶ月間、そこで得られた幸福を見直すためです
2つめは、自らが小学校の頃から何も変われなかった=人を傷つけている事を再確認するためです
そして3つめは、自分は死に値する人間だと再確認するためです。

さて、この回答だけではなんのこっちゃだと思うので解説を入れたいと思う

質問の元になっている話は私が花火大会の日、つまり硝子が行動を起こした日と目される8月19日の打ち上げ開始19:30〜20:30に合わせて、連続ツイートした発言の一つからだろう。

まず、あの行動に移る前、筆談ノート見てたの?については「死」を彼女に献策したこのコマを参考に、彼女は手すりに登る前、ノートを見ていたと考察している。

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このコマを見ると居間のテーブルに将也が躓くと筆談ノートが落ちてくるので筆談ノートが居間のテーブルに載っていたことがわかる。
普段どこにおいてあるのかはわからないが、硝子以外の人が見た時「よし、水門小の奴らは悪、よって悪即斬を実行する、人誅の始まりだ」としか思わないノートを居間のテーブルにおいておく事はありえない。


さて、ではやっとここで本題に入れる、と見せかけてさらに大前提の話をする。 ノートを見る以前の行動についてだ。

ネットに「硝子は花火が綺麗だあったからとっさに人生もういっかって思っちゃったからなのデス」みたいな事書いてる人いましたが、それは公式ファンブックで否定されている。
彼女が決意したのは川井にバラされた将也が友達を切り捨てた時、硝子が人生の中で自分が壊してしまったもののカウントがまた1つ増えたことで決意したと明確化されている。(詳細はファンブック買ってね!)

そして彼女は身辺整理を初める、イトの死により崩壊寸前になっている西宮家を立て直すため、写真をコンクールに出して結弦が学校にいけるきっかけを作る、その写真を八重子に選ばせ仲を取り持つ。
友達0人の結絃の悲しみを癒やすためには石田が必須だと考えた硝子は将也を西宮家にさらに巻き込むことを画策し八重子と石田の仲を取り持つチャンスと誕生日に誘った。

初めはブチ切れた八重子が渋々ながら受け入れた姿勢に隙の糸を嗅ぎ取り

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「 ”みんな”でいこう」と花火大会に誘い出すことに成功した。

「みんなで」花火を見上げることができた。


そう、できてしまったのだ。


以前も彼女が机を拭いていた理由を考察したが(※ https://note.com/sysopjp/n/na5ff804a90ec)

将也と硝子は同じような思考回路をしている、という基本コンセプトがある
将也が高いところから飛び降りるのを辞めたのは硝子にひと目惚れしたからでは無い、ここに関しては超明確に描かれていますが

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彼の認識では足りなかったのだ、死ぬための資格が。

転じて、硝子は死ねための資格を得られたと、そう自認できたのか。

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いま貴方に時間が1分でもあるならば、花火に照らされる彼女の横顔を1分でいい、じっと見つめてみてほしい。
お盆周辺に打ち上げられる花火大会とは元々「鎮魂」であった事を考えながら、天から降り注ぐ光に微笑む彼女の横顔を見つめてみてほしい。
星空の下で「お前のわからない所を都合よく解釈していた」と述懐し謝罪する将也は、この瞬間に隣に座っていたこの男は「この笑顔があれば、俺はそれでいい」あぁ、そう思っていた。


作者は本当にどれだけ、どれだけなんだろう。

自殺を画策する人の中で満足のいく死を迎えられる人は少ない
満足のいく死を迎えることは満足の行く人生だったということだ、そんな達観を彼女がどこで知ったのか、それとも知らずに自力で到達したのか、それはわからない。

だが彼女が花火を見ながら得ることのできた満足は将也がもたらしたものであり、ここに至るまでの道も、やはり隣に座る将也が連れてきたものだったことを思うと、やるせない気持ちになる。


硝子が好きな相手だから、結絃と仲良くしてくれているから、あのツンデレ八重子さんが石田を受け入れようとしている姿が硝子の満足を後押ししたのであれば、そんな悲劇を描ける作者には本当に頭が下がる、私なら絶対にできない、今もこの文章を書きながらダメージを受けすぎたので、ここで何時間もお蔵入りにした。


さて、読んでる皆にとってはすぐだろうが、私にとってはぶっちゃけ一晩泣きはらした後である

やっと本題に入ろう。何故、行動に移す前、最期の風景に筆談ノートを選び取ったのか。

筆談ノートに潜んだ彼女の思いはこちらで考察しているとおりだ。


ノートが手元に戻ってからこの日まで約4ヶ月、佐原に謝ることができた、友達ができた、やってみたかったカラオケにいけた、友達とプールで遊んだ、遊園地でみんなと遊んだ、自分の悩みを理解し気がついてくれる直花がいることを知った、妹は以前よりずっと明るくなった、そして自分にも恋心があることを知った。
彼女は人生で初めて幸福な時間を得たはずだ、しかし自分は加害者でありいつかその報いをうけると、橋の上で思い知った、思い知ってしまった。


小学校の時も、将也へのイジメが始まったのは自分のせいだった、将也のもっていた友達との関係性を壊したのは自分だったのに、将也の笑顔を見ていてそれを忘れてしまっていた、自分は小学校のときから何も変われなかった、今度は小学校の時とは違う、将也は
今の将也は自分の、硝子の、想い人だ。それなのに、自分は何も変われなかった、なんにもだ。変わらなければならないと知っていたのに、そしてまたも将也が傷ついた。

将也が無理に明るく振る舞えば振る舞うほど、彼女の心は深く、深く傷つけられていった。

星空の下の約束で彼女は語る

「私がいけない、私が何も変わらなかったのがすべての原因である」と

ここらへんの機微に関して語りたいことはたくさんありますが、また長くなるしお蔵入りになる可能性が高い気がしてきたからぱぱっと結論にいきましょう。

なぜ、最期に筆談ノートだったのか

1つめは、このノートが手元に戻ってからの4ヶ月間、そこで得られた幸福を見直すためです
2つめは、自らが小学校の頃から何も変われなかった=人を傷つけている事を再確認するためです
そして3つめは、自分は死に値する人間だと再確認するためです。


以上が、彼女が他の

将也がくれた猫のポーチでもない、ずっと自分の耳を補助してきた補聴器でもない、告白する時に選んだヘアゴムでもない、直花に書いた手紙の片鱗でもない、そして結絃が家中に貼り付けた死骸写真でもない。
あと数分でこの世からいなくなる自らへの餞別として選び取ったのものが、筆談ノートだった理由である。


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