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主題優勢言語 の0時限目 -私はうなぎ-

先生、トイレ

 よくネットで
「先生、トイレ」
「先生はトイレじゃありません」
ってジョークを目にします。ちょっとした冗談でみんなのノスタルジーに訴えかける会話文です。
 この冗談にマジレスしちゃうと、「先生、トイレ」が必ずしも間違った文法とは言えず、この教師が国語教師でないことを願うばかりです。

うなぎ文

 世界には主題優勢言語と呼ばれるものがあり、助詞やコピュラの省略など主語に様々な文法的意味を持たせ、日本語は特にその制約が緩いとされています。その例として「私はうなぎだ」という文が有名です。

「俺は、カツ丼を食べる。お前は?」
「私はうなぎ」

 さらに巨大ネット掲示板にもこんなのがありました。

スレタイ:105円以内で一番満足出来るお菓子
1.「50円+50円等の組み合わせでもおk
  俺はウエハース」
2.「うまい棒*10
  俺は人間」
4.「2のせいで1がウエハースにしか見えなくなってきた」

柔軟性の高い言語

 このように日本語は文法的正確性よりも動詞やコピュラの省略により冗長な表現を避け、文の響きやリズムを大切にしている様に感じられます。
「そこは言わなくても分かるよね」
と。だからこそ5と7の文字の組み合わせだけで、詩を読み歌を読める。共通の表現が共通の心情を想起させることができるから。

 契約書なども日本語のものは緩いものが多く、諸外国はもっと厳密に書かれていることが多いです。海外の製品やサービスに注意書きが多いというのは有名な話ですね。国内通してある程度の共通認識を持っている我々からすれば、言わなくてもわかるだろうということも記載しなければならない集団の苦肉の策です。

 この言語が辿ってきた歴史は集団生活を基に、「これは共通認識だよね」ってところは省略して、それが帰属意識となって結束する。
個性が大事だという話は、共通認識がある集団でのみ成り得て、その本懐を十分に理解しなければ個性ではなくわがままとなるのだと思います。

 ネット上では異論者と対面、いや対面どころか、たまたま流れて目に付いたあなたに投げかけてはいない言葉ですら過剰に反応といった方々もいます。ですが、一呼吸置いてから反応しましょう。その言葉は違う集団の共通認識なのですから。

土用の丑の日

 今日は’22/07/23。季節の変わり目です。今年は8/4にもあるそうなので、国の言語と歴史に思いを馳せ伝統に倣ってみるのもいいでしょう。

 あなたは今日の晩ごはんに何を食べますか?

「私はうなぎ」

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