記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

書評『図南の翼』

netflixで配信していたアニメ版にハマって、原作も順番に読み進めてきた『十二国記』シリーズも今回の読書で6作目。『図南の翼』は94年まで脅威的なペースで作品を刊行していた小野不由美先生の体調が悪化し、約2年のブランクを経て96年に刊行された小説です。アニメでは描かれていないエピソードなので読むのを楽しみにしていました。

ブランクを経ての刊行のため、待たされるファンの熱も上がり、なおかつ北上次郎氏が本書を絶賛し各地に宣伝して回ったため、爆発的なヒットとなったようだ。
ファンによっては本作を最高傑作に推す人もいるようだとか。

あらすじ

先王が崩御して27年がたつ恭国は、妖魔が出没し国が傾いていた。首都連檣に住む珠昌は、誰も昇山せず王を名乗りでないことに腹を立て、騎獣を連れて一人で家を飛びだしてしまう。12歳の少女が自ら昇山して、王を名乗り出ようというのだった。道中の用心棒として朱氏の頑丘と、鄒虞という珍しい騎獣をつれた利広を引き連れ、珠昌は妖魔が蔓延る黄海の中央、蓬山を目指して歩く。

感想

『図南の翼』が痛快な点は、子供だが芯の通った、頑固で未熟だが聡明な、少女珠昌が、大人と冒険をすり抜けて成長してゆく点であるのは、満場一致の感想だと思う。

珠昌はシリーズ屈指の人気キャラだろう。アニメではちらっとだけ登場する。物怖じせず、いかつい大人と堂々渡りあい、とにかく負けん気が強い。さらに裕福な出身である自分の境遇と、食べるものにも困る“浮民”との生活の違いに、違和感を感じる聡明さも持っている。この聡明さは祥瓊(風の万里、黎明の空)には無かった気質だ。

珠昌は自分の意見を曲げない性格ですが、それが子供っぽい屁理屈やワガママでなく、珠昌なりの論理のもとであるというのが、未熟と聡明さのギャップで引き立ていると思う。

そんな珠昌は、頑丘という朱氏(海で妖獣を狩る浮民)を、剛氏(蓬山を登る時のナビゲーターみたいな職)として雇い、仲間にします。
頑丘は妖魔が跋扈する黄海で仕事をしてきた人間で、食うか食われるか、珠昌より現実的でシビアなものの考え方をしています。

作中では“誰かを犠牲にして生き残る”という理屈がたびたび繰り返される。昇山して王に選ばれるには、妖魔の蔓延る危険な道を通って行かねばならない。それは犠牲なくしては絶対にたどり着けない道だということだ。一国の王ともなれば、多数の民を生かすために、少数の民を犠牲にする選択を取らなければならない。
思い返せば、珠昌の裕福な境遇も、貧しい人間がいなければ存在しえない。剛氏が他人を助けないのは、守ることのできる人間が限られていて、全員に情けをかけようとすれば、全滅してしまうからだ。

珠昌は、頑丘や他の昇山者とのやり取りの中で、現実的な命のやり取りというものを納得してゆく。

珠昌のもう一人の連れ合いに利広という青年もつきそう。利広は頑丘と比べて、物腰が柔らかく、飄々としたところがある。この利広のセリフが作中で極めて重要なテーマを指し示している。

利広は珠昌が王になるなら、他人を犠牲にしてでも自分の命を優先させなければならないという。王には責任がともない、大勢の命を救うために少数の命を犠牲することを求められるからだ。だが利広はこう続ける。

「その通りだね。けれどもそれが、王を欲する世界の理屈なんだよ。ーーそして、王はその世界を制するがゆえに、その理屈を踏み越えねばならない」

臣下が王であってはならない。王たる資質を持ったものが王座につくのであって、臣下が玉座についてはならないのだ。それだと王はただ、てっぺんの歯車にすぎなくなる。大勢を助けるのに少数を犠牲にするという理屈は、臣下であれば誰もが考える損得勘定、官僚的思考に過ぎない。正義でもなければ、倫理でも道徳でもない。
“臣下の理屈”を踏み越えて選択を下すことができるのが王という存在なのだ。僕的には延王が一番それっぽい。というか臣下の理屈を全然聞かない王だ。

珠昌は、単純な損得(そういえば珠昌は商人の出だった)の理屈ではなく、正義を示すことができた。だから王に選ばれたのではないだろうか。ちなみに“図南の翼”とは諸子百家である荘子の言葉で、大きな翼を持って南の果てを目指そうとすること、転じて大志を抱いて進むさまを指すそうだ。

『図南の翼』はプラグマティックで、行動することに重点を置く。荒れ果て、餓えた民が溢れる恭国は、直視したくない現実世界の問題だ。96年という年だとそれはなおさらリアルな感触を持っていたのではないだろうか。地下鉄サリン事件と阪神淡路大震災の翌年に書かれ、裏ではエヴァに端を発するセカイ系の萌芽、さらにはサバイバルゲーム化していく現実世界で、『図南の翼』と珠昌が辿った道は、足跡のついた確かな道標のようなもの。本を開けばそれを辿ることができるのだ。

犬狼神君の正体にはニヤッとさせられた。
シリーズものを読む醍醐味だ。次は『黄昏の岸 暁の天』を読むかもしれません。シリーズももうあと少しで最新作に追いつきそうです。

この記事が参加している募集

#読書感想文

188,357件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?