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最近の映画はなぜ長いのか【映画時評】『デューン 砂の惑星PART2』

原作は1965年出版のフランク・ハーバートによる小説で、幼いときにこれを読んだ監督が、ずっと映像化したいと心に念じていた一作である。

過去に二度の映像化と、一つのボツ企画が立ちあがったことがあり、初めは1976年に『ホドロフスキーのDUNE』として結実するはずだったが、未完のプロジェクトとなってしまった。
ホドロフスキーといえば、『エル・トポ』や『ホーリーマウンテン』といった、シュルレアルなアート映画を撮る監督で、その監督が急にSF超大作を撮るという暴挙に出るわけですが、この頓挫した企画がとんでもない怪物であった。
後年、ドキュメンタリーとして、企画の内容がどんなもので、なぜ頓挫してしまったがまとめられ、全然完成してない映画の構想を聞くだけなのに、すごい大作SFを見終えた錯覚を抱いてしまうクリエイティブの原液みたいなドキュメンタリーに仕上がっている。未完だけど必見の名作。

全人類が欲しがるであろう、メビウス×ホドロフスキーの絵コンテ

そしてこの企画が頓挫した直後に、デイヴィッド・リンチに声がかかり、1984年に初の映像化となります。しかし興行、批評的にも失敗作で、カルト映画として記憶されます。ビジュアルは一見の価値がある。その一点でいえば傑作映画です。

その後、2000年にドラマ版というのも制作されますが、あんまり触れられることがない。それでも『デューン』の完全な映像化に加え、原作の続編である『砂漠の救世主』と『砂丘の子供たち』までカバーしているようなので、力作なのは間違いない。

そして2021年にようやくドゥニ・ヴィルヌーブが、オーバーグラウンドで大々的にヒットさせる『デューン』を作ったという流れが、私の理解です。

パート2の所感

パート2では、さらに白人酋長もの(先住民を外部からやってきた文明人が率いる)に対しての批判的な視点をチャニが担うという構成になっていて、そこらへんが現代的な改変部分かなと思います。
もっとも、この視点は原作に存在したもので、監督がきちんとそれを読み取っているという感じなのですが。
その点、似たジャンルの『アバター』とかは、やらかしまくってて、キャメロン……お前ってやつはよ…。という感想がつい。

ネタバレをしてしまうとパート2の結末は、主人公の闇堕ち…ということになって、バッドエンドだと思うんですけど、すでにパート3の制作が決定していて、そこで初めて全体のテーマが決着するのではないかと思う。現時点で例えるとスターウォーズの『帝国の逆襲』までって感じですね。

細かい話をしていくと、本編の魅力もやっぱりパート1と同じく、洗練された美術と撮影、imax形式を活かした劇場体感型のシネマであることに集約されるだろう。
美術は徹底して既存のイメージを避け、新たなイメージを創造する意思と工夫に満ちていて、ゴジラはこれと競わなくて本当によかったねとしかいえない。
ハルコンネン陣営のジエディ・プライムは特殊なモノクロ撮影になっており、ゴシック趣味に溢れる外観で非常にクール。液状の謎の花火が打ち上がったりするのもよい。

撮影はサンドワームの砂乗りシーンが白眉。前作でポールとジェシカが、オーニソプターで脱出するとき、砂嵐のなかを突っ切るのも、ライドアトラクションじみていたが、今回はワームがそれだ。
レイアウトとかもいちいちキマっているのだが、今回通常の劇場でしか見れなかったので、imax画角用に構成したシーンが一部崩れていたのが残念。全体的にもimaxで見ないと、魅力が激減する映画ではあるかも。

一つ付け加えるなら、俳優の存在感もあって、キャストが素晴らしい。
オースティン・バトラー演じるフェイド=ラウサが、リンチ版のスティングに負けす劣らず魅力的だったのが嬉しい。
クリストファー・ウォーケンもフローレンス・ピューも、レア・セドゥとかもね。
いうまでもないけど、ティモシー・シャラメが真ん中にいるのがデカいですねやっぱり。

劇場で映画を見るということ

本作は上映時間が166分と長尺です。オッペンハイマーは3時間でした。
最近の映画は上映時間が長い……というばやきが散見されますが、私は、別に長くてもいいじゃんかよ!と、今日まで毅然としておりました。
しかし、これは冷静に考えると、今日のハリウッドが以前の大作主義に戻ったのではないだろうか。ヌーヴェルバーグ以前の、『ベン・ハー』とか『十戒』みたいな映画を作るスタジオに。あれはテレビが急速に普及して、テレビドラマとの差別化を図るために、長尺で豪華なエンタメを志向したが故にできたもので、Netflixなどのサブスクが浸透した今、再び、劇場で見る映画とは何かを問われているのかもしれない。
大音響、大スクリーン、長尺の大作映画も、90分の小品も、チケット代は同じであるのだし、それなら前者を見に行きたくなるのも当然ではないか。
例えばノーランだとそれに加えて、観客に集中力を求める編集をあえて施して、それを見る映画として、劇場に足を運ぶ理由にしている。
でもヴィルヌーブの『DUNE』に音響と映像以外のものがあるかと言われたらどうなんだろう。とんでもなく難しい要求だが、ドゥニ監督にはそれを超えた何かを見せてほしいという思いがある。
劇場でしか成立し得ない映画、人々が映画館に足をはこぶ理由。
『DUNE』が素晴らしい映画で、監督も才能あふれる人だからなおさら期待をかけてしまうのです。
それでも、劇場で観るべき傑作SFなのは間違いない、最高峰の一作だと思います。

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