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「リメンバーミー」を観て改めて思うこと

先日の土曜日、家族で「リメンバーミー」を鑑賞した。
一度映画館で観、その内容の素晴らしさにすっかり魅了されてしまったので、先日発売になったブルーレイを母親と折半して購入したのだった。

3月上旬に父を亡くした。
その時のことはここのnoteの「茂みに実る」というマガジンにまとめてある(読み返すと絶対に泣いてしまうから読めない。笑)。
失意に暮れているちょうどその頃、「ピクサーの新作は死者の世界に行く話らしいよ」というのを風のうわさで聞き、色々なことが落ち着いてから、映画館へ向かった。
そしてぼくは、この映画に救わることになった。

詳しいことはネタバレになるから書かないでおくけれど、「死」というものの考え方が変わった。死後の世界はあの映画のようになっていて、死者たちがそれぞれ意思を持って楽しく暮らしてたらいいなと本気で思った。そう思うことで、心がずいぶんと軽くなったのだ。

死んでしまうと、もう何も聞くことが出来ない。話せない。触れられない。
あるのは思い出、ただそれだけで、その思い出と何度も何度も会話する。
そして聞いた言葉の真意を想像したり、見ていたであろう景色を同じ目線で見ようとしたり。
きっとこれからだってそうで、あれから先の世界を父は見ることが叶わなかったけど、場面場面で、多分こういうふうに言うだろうな、思うんだろうなというのが手に取るように分かる。居ないけれど、居るような。
そんな、自分の中にいる父の面影とともに生きよう。そしていつか自分の番が来たときに、積もり積もった話をしたいなぁ。

未だに涙が止まらない瞬間があって、まだまだ癒えてない部分があるのだけど、「リメンバーミー」のような作品があって本当に良かった。
同様に、音楽や本、ゲームと、ぼくには大好きなものが沢山あって、そのどれもがぼくに元気を与えてくれる。

そして、「人」。

いろんな人が気にしてくれていたり、声をかけたりしてくれるのが、とても嬉しい。父のことだけじゃなくて、普段のくだらない会話やTwitterのリプライやnoteのコメントでもね。笑
承認欲求ってさ、どうも悪いイメージがあるけど、本来持ってて然るべきものだと思う。自分がここにいるということを認めて欲しいというもの。
それって、欲求というよりももっと自然的なものだと思う。
だから、これからはぼくもなるべく人のことを承認していきたいな。いろんなひとと交わって、認めあっていきたい。そこにいることを。
完全に分かり合うことは難しいけどね。

最後に「リメンバーミー」の話に戻るけど、あの映画ですごいなと思ったのは、ギターのコードやフレーズをちゃんと弾いてるところ。Gというコードがあればそれをきちんと押さえているし、単音でフレーズを弾くときもその音の部分をちゃんと弾いている。
細かいところだけど、そういうところもしっかりしてるから、ピクサーの作品は信頼できるなぁと思うのでありました。

あ、余談。
noteの仕様で、noteのアカウントを持ってない人も「スキ」という「いいね」的なボタンを押すことができるようになったそうです。匿名で。
もう一度言いますね。
noteのアカウントを持ってない人も「スキ」できるようになったんですって。

よろしくおねがいします。笑

こんな駄文をいつも読んでくださり、ほんとうにありがとうございます…! ご支援していただいた貴重なお金は、音源制作などの制作活動に必要な機材の購入費に充てたり、様々な知識を深めるためのものに使用させて頂きたいと考えています、よ!