僕のライブ・ヴァージン
夜眠る前にふと思い出して「ウワーーーーッ!!」となってしまう思い出の一つに、初ライブの事がある。
高校を卒業してすぐに音楽の専門学校へと進学した。
音楽の専門学校なんていうと「ほえ〜」という感想を抱かれそうだけど、大手の専門学校ではなく「音楽塾」のような学校だった。学校法人でも無かったしね。
僕が入学したときの生徒は、僕ともうひとりだけだった。ふたり。
いや生徒少なッッ!!と、とても不安になったけど、腐らずにいられたのは周りの人が優しくしてくれたからだと思う。
その学校は良く言えば「生徒の自主性を重んじ」て、悪く言えば「放任」していた。
だから学生でライブをするよ、と言っても先生方はほとんど何もしてくれず、自分たちで企画し、ライブハウスにアポを取り、出演してくれるアクターを募集したりした。チケットを制作したりね。右も左も分からない状況だったけど、今ではそれが良かったなぁと思ったりもする。追い詰められた状態で学んだことって、忘れないものだから。
その学校は社会人用に、歯医者みたいな予約システムでマンツーマン授業も行っていた。夕方から夜の時間。主にはボーカルレッスン。だからアクターには困らなかった。
なんとかかんとかして数人の出演者が決まり、ライブ当日になった。
蓋を開けてみれば、観客ほとんど内輪の人間しかいなかった。
僕は、越してきたアパートに住んでいた10個程年上のお兄さんを招待していた。
そのお兄さんは、僕が引っ越ししてきたときにたまたまアパートに帰宅してきて、「だいじょうぶですか」と大きい家具などを運ぶのを手伝ってくれ、そこからちょいちょい声をかけてくれる、関西弁を話す人だった。どこにも知り合いがいない僕にとってはとてもありがたい存在になった。
彼は彼女さんも連れてきてくれ、先生は「こっちに知り合いいないのに2人も呼んだのか!凄いな!」と褒めてくれた。
(後に分かるのだが、彼はある大きな宗教団体の信者で、僕を勧誘したいがために近づいただけであった。彼の信者仲間にoasisのアルバムを借りパクされたことは忘れられない。けどまぁそれは別のお話)
僕にとっての初ライブはそんな場面だった。ほとんど知った顔が並ぶ、お遊戯回のような。
それでもド緊張していた。人前で歌うのはなんてしんどいんだろうと思った。それを楽しむには、まだ僕は若すぎたのだ。
何度も何度も頭の中でシミューレーションした言葉を話す。初MCである。
その初MCで僕は『自分の音楽遍歴を語る』というクソしょうもないMCをした。何も面白くない。なんであんなMCをしたのだろうと思うと今でも「ウワーーーーーーーッッ!!」となる。
何を歌ったのかも覚えていない。オリジナル曲を歌ったことは覚えてるけど。でも僕はあまりに未熟だったから、きっと聴いててしんどいライブをしたのだろうな。
片付けなどを終え、僕はまだ未成年であったから打ち上げもそこそこにして、ヘトヘトになって帰宅した。
ライブのあとにひとりになるのはとてもさみしい気持ちになった。理想と現実のギャップを身をもって体感した。僕がライブをしたところで世界は何も変わらないのだと、えらく落ち込んだ。そんなの当たり前のことなんだけどね。未熟なミュージシャンはそういうイタいとこあるから。仕方ない。
自分の部屋に入り、電気も点けず、気付いたら実家に電話していた。
母が出、ライブの顛末を話すとうんうんと聞いてくれ、最後に「なんか美味しいものでもたべれば」と言ってくれた。
歩いて行ける距離に「フォルクス」という肉料理を出すファミレスがあったから、そこに行くことにした。自分の部屋を出て、ふと思いつき、例の関西弁のお兄さんの部屋のインターホンを鳴らした。三回ほど鳴らしても出てこなかったので諦めて階段を降りようとすると、ガチャリと扉が開く音がした。
お兄さんはパンツ一丁で僕を見つめ、「どないしたん?」と聞いた。
僕が戸惑いながら「あ、いえ、今日は来てくださってありがとうございました!」と伝えると、「ああ〜良かったわぁ、聴き惚れたわ」と言ってくれた。もちろんお世辞。
「どっか行くん?」と聞かれたので、「ろくに食べていないのでちょっとフォルクスにでも、と思って」と言うと「そうなん?それやったらちょっと待っといて。メシ連れてったるわ」と言ってくれ、僕の返事も聞かずに部屋に引っ込んだ。チラリと見えたお兄さんの部屋の玄関には女性モノの靴が見えた気がした。
何も言えないままその場に立ちすくんでいると、すぐに服を来たお兄さんが現れ、「行こか」と、自分の車が止めてある駐車場まで歩き出した。
僕はよく知らない街の、よく知らない繁華街を抜け、よく知らない焼肉屋に案内された。
お兄さんは歩いている間「ここらへんは俺の庭やで」と笑いながら言った。真に受けた僕は「へぇ…」と感心していたが、今思えばあれは「ボケ」なんだったんだろうなぁと思う。なんで関西弁のあんたの庭がここにあんねん、とツッコんであげればよかったとちょっと後悔している。
焼き肉の味はあまり覚えていない。それよりも僕は夜でもこんなに人がたくさんいることに興奮していたのだと思う。
知らないおっさんが注文していたビビンバがやけに美味そうだったことだけ、なぜだかよく覚えている。
自分の分は出しますよと僕が言うのを「初ライブのお祝いや」と制し、お兄さんはその焼肉屋さんの支払いをしてくれた。
申し訳無さと、照れくささと、嬉しさが胸にこみ上げてくる。
結局そういう優しさも、すべてが僕を宗教団体へ勧誘するための布石だったのだけど、その時はほんとうにいい人だなぁと思ったのだった。
アパートに帰り、お兄さんと別れ、自室に戻る。
ついさっき帰ってきた時よりも少しだけ浮ついた心持ちで、僕は部屋の電気を点けた。
そんな、約11年ほど前の思い出である。
今になると分かることや、思うこと、やり直したいことが山ほどある。
でも僕らはそんないくつもの過去になにも手を出せないまま、あっという間に遠い未来に来てしまった。イタいイタい思い出を、こうして苦笑しながら綴れるような歳になってしまった。
あと何度、眠る前に「ウワーーーーッ!!」となってしまうだろう。
取り戻せない時間を思って、僕はいつまで歳を取るのだろう。
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