論理的に説明できなければ、現代社会では最終的に役に立たない場合が多い

タイトルが硬すぎたので、ちょっと直しました。
あと、途中に少し追記しました。


感覚とか直感を否定するわけではないですよ。
技術や科学を進歩させる、非常に重要なファクターの一つです。
ただ、そこで終わってしまっては、本当に求めていた未来に進めなくなってしまう。

社会人として働こうとすると、感覚とか直感だけではダメな場合が、多く出てくる。
昔ならば「職人技」として「目で盗め」とか言われていたことも、現在では文書や口頭で確実に伝えることが必要になってきている。
かのホーキング博士も若い頃に「科学的に説明できなければ仮説とは言えない」と言っている。

なんでこんなことを書こうと思い至ったのかと言うと、令和元年9月に再就職した会社でのことがあったからだ。

会社の同僚が今までの間に生産機械に施した対策の内容について、どのような論理でそのような改良に至ったのかを聞くと「色々試したら解決したので、これでやってる(意訳)」と言っていた。
つまり、ただ思いついたことを場当たり的に試していただけで、論理的に考えていなかったのだ。
その機械の名目は試作機だけれども5台が本稼働して生産を続けていて、随時改良を加えながら動かしている状態。
今のままでは、論理的でないまぐれ当たりの積み重ねが繰り返されて、最終的には再現性が極めて難しい機械になってしまうと考えた。
つまり、せっかく時間を掛けて改善したのに、論理が分からない&記録されていないというコンボのために、仕様に反映されることが困難になり、将来的に役に立たない可能性があるのだ。
しかも、解決した当人が理屈を分かっていないので根本的な解決になっておらず、中途半端な解決で満足してしまっている。
歯に衣を着せずに言ってしまうと、会社としてはかなり痛い状況である。

そこで「『どういう理屈かわからないけれども解決した』というのは、まぐれ当たりと同じ。どんなことでも、論理的に説明できるように考えて」と伝えた。
少なくとも論理的に説明できるものであれば、後に再現することが容易になるからだ。
あと、場当たり的なので当たり前だけれども、これまでの改良の内容も記録されていないので、機械に改良を加える時にその内容と論理と効果を記入するフォームを作成し、今後はこれに随時記録するように指示した。

目の前で動いているものには必ず科学的な法則が働いていて、その多くは計算できる。まあ、数式は必ずしも必要ではないけれども。
数式がなくとも論理的に説明できれば、高い確率で再現可能になる。

今後必要になるものは、科学的・論理的に説明可能な職人技なのである。



余談:
個人的には、前職の金属加工でも論理的・科学的に考えていた。失敗したらその理由を考え、回避策を考え、必要になったら新しい技術を開発した。
新しい技術については、まあ会社全体が旧態然とした職人技重視の考え方だったので、否定されるわけですよ。
実際には品質向上に必要な重要な技術だったのだけれども、自分が辞めると再現不可能な加工が幾つかあったりしてなー。
まあ、悪意を向けてくる奴に、技術を継承する義理はないしね。('∀`)

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