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ことばと、誠意。

興味がないひとから向けられる好意ほど、
気持ちの悪いものってないでしょう?
              クズの本懐 第1巻

人気マンガの有名な一文である。物語の前後の流れを無視して、画像だけが貼られていることもおおいので、目にしたことがあるかたもおおいかもしれない。作者の意図とは離れて、ことばがひとり歩きをしている部分もあるような気がする。ただ、ここではあえて、そのひとり歩きしたこの言葉について書かせていただく。

好意ってほんとうにありがたいな、とおもう。時にはちょっと困ってしまうこともあるのだけど、スキだって言われることは、まちがいなくうれしい。

なので、好意に応えられないこと、お断りをしなければならないことに対して、ものすごく申し訳ない気持ちになってしまう。ひとの気持ちに対して、「気持ちがわるい」と一刀両断できるほどのつよさは、わたしにはない。いつもその、なんというか、罪悪感のようなものが付きまとっている。一生懸命に生きているひとの好意に応えられなかったり、時にはきらいになってしまうような資格が、わたしにあるんだろうか。という。


できるかぎり、ひとやものをきらいにならずに生きていきたいな、とはおもっている。わかっているよ、そんなものは理想だ。実際にはそんなことはできない。でもじゃあ、「なんかやだ、きらい」できらってしまうのは、なんかその、あまりにも申し訳ないとおもってしまう。

端的に言えば、「キモい」とか「ウザい」ってことばがきらいなのだ。極力言わないようにしているし、言われるのも、ものすごくいやだ。だってこのことばには、逃げ場がないでしょう。主観を相手に押し付けて全否定することばだとおもう。「生理的に無理」ってやつ。こんなん言われたら言い返せないじゃん。主観なんだから。胸を張って「は?ウザくねぇし」って、言えますか?わたしにはできない。言われた時点でもう、どうしようもないの。全面降伏。ごめんなさい、としか言えない。

もちろん、そう言わざるを得ないときもある。わかるよ。でも、日常的に気軽に使うことばとしては、ちょっとちがうんじゃないかなぁとおもう。

わたしのすきな曲の一節に、こんな歌詞がある。

どんだけ頑張ってみたところで好きにはなれない人がいて
けどその人もきっとどっかの誰かにとってかけがいのない人で
                       π/RADWIMPS

わたしがいやになってしまったあのひとも、きっと、わたしとは合わなかったってだけなのだ。たぶん。

だから、よほどのことがないかぎり、わたしはこの「逃げ場をふさぐ」ことばを使いたくない。たとえ相手に届かなくとも、いやになってしまった理由はちゃんと自分のなかで、説明できるように言語化していたいとおもう。自分の心のせまさと、申し訳なさと共に。

考えすぎなのかもしれない。偽善なのかもしれない。でも。それでも。明確にちゃんと言語化するということが、きらいになってしまったとか、好意に応えられなかったひとに対する、せめてもの誠意なんじゃないかなぁ、とおもったりするのだ。

#エッセイ #日記 #コミュニケーション #人間関係 #note



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