わたしの好きだった宝塚①

連日、タカラジェンヌの自殺とその原因について報道されている。noteに書くか迷ったが、勇気を出してかつて熱狂的な宝塚ファンだったわたしが思うことを書いてみる。

宝塚にハマったのは、まだ会社勤めをしている時だった。23歳の夏だった。今でもよく覚えている。

OLとしての毎日が絶望的につまらなくて、わたしの心は真っ黒だった。胸の中はいつも「つまらない」「やりたくない」「こんな仕事誰でもできる」という負の感情が渦巻いていて、そんな自分が嫌いだった。

そんな時、新宿のブックファーストの片隅で宝塚関連の書籍を見つけた。

「宝塚かぁ。宝塚はいいよな、綺麗なものしかないもんな」

パラパラと宝塚の関連雑誌をめくるうち、実際にこの目で見てみたいという気持ちが強くなった。当時のわたしは演劇もやっていて、勉強にもなるだろうとその夜さっそく宝塚のホームページにアクセスした。

その時、上演してきたのは雪組のエリザベートと月組のME AND MY GIRLだった。本当はエリザベートが見たかったけど、東京の劇場ではやってないらしい。でもME AND MY GIRLも再演を重ねている作品と書いてあったから、面白いことには間違いないだろうとその場で友人の分も含めて2枚チケットを購入した。

さて、観劇当日。

まずは東京宝塚劇場の近くにいるファンらしき人たちの服装にびっくりした。なぜか多くの人が全身真っ白なのである。調べてみたら、トップ娘役の彩乃かなみさんの退団公演なのだそうだ。宝塚ファンは自分の贔屓(推しのこと)の退団公演には、白い服装で臨む慣習があるのだそうだ。

真っ赤な座席が並んだ広い広い劇場の2階席に座った。オーケストラが音合わせをしているのが聞こえてきて、生演奏なんだ!すごい!と、その臨場感にワクワクした。

定刻になり静かに暗闇が広がると、当時月組のトップスターだった瀬奈じゅんさんから開幕の挨拶のアナウンスが流れた。すると次の瞬間、パッと幕が開いて、中世のイギリスの衣装を纏った細身で美しい娘役と男役が車に乗った態で明るく楽しいナンバーを歌い出した。

衝撃だった。

男と女という性別を超え、芸を究めた美しく人々が軽快なナンバーを軽やかな振り付けをつけて歌う。照明のせいではなく、一人一人が体の内面から輝いている。また、この芝居では「客席降り」と言って、一幕の最後のパーティのダンスシーンでタカラジェンヌたちが客席の通路まで降りてきて目の前で踊ってくれるという演出があった。ちょうど通路側の先だったわたしはもう大興奮だった。まるでティンカーベルに魔法の粉でもかけられたようにキラキラと輝く男役のみんなが、手を伸ばせば届く位置で額に汗かきながら一生懸命踊ってくれる。心からの笑顔をくれる。
誰のためでもなく、今この場にいる観客全員を幸せにするために。
そのひたむきさ、献身さにわたしは心からの手拍子を送った。

ME AND MY GIRLというミュージカルの主役はビルとサリーのカップルである。二人はイギリスの下町で貧しいながらも毎日笑い合いながら生きる可愛らしいカップルだ。

しかし、ある日ビルが大金持ちのヘアフォード家の跡取り息子だと判明してから二人の幸せな日々は崩れていく。

跡取り息子としての教育を受けて、ちょっとずつ変わっていくビル。サリーへの愛は変わらないとビルは言うけれど、サリーはこのままビルの側にいては彼の為にならないと身を引く。しかし、ビルはサリーのいない人生に意味はないとヘアフォード家を出て行こうとするが、そこへ立派なレディに成長したサリーが現れ、物語はハッピーエンドで終わるのだ。

宝塚ではお芝居の後にちょっとしたレビュー(ショー)があって、そこで男役トップと娘役トップが華麗なダンスや歌を披露してくれる。
そこで男役トップだった瀬奈じゅんさんが彩乃かなみさんを腰までの高さに持ち上げて回転する技があるのだが、その美しさといったらなかった。

瀬奈じゅんさんに向ける彩乃かなみさんの慈悲そのものの微笑み。彩乃かなみさんを力強く抱える瀬奈じゅんさんの腕や手の温かさ。くるくる回る彩乃かなみさんのスカートの裾までが「今までありがとう……」と言っているように見えた。

わたしは泣いた。

ビルとサリーの愛の高潔さに。

そして瀬奈じゅんさんと彩乃かなみさんの絆の深さに。

彩乃かなみさんの晴れ舞台を絶対成功させる!という月組たちのエネルギーの強さに。

気づいたら、終演後にわたしは一人でスタンディングオベーションをしていた。 

そうせざるを得なかった。

人の心の美しさと、素晴らしい芝居と歌とダンスの数々。

こんなに美しい世界があったなんて知らなかった。帰り道、食事をしながら次の公演のチケットをすぐに取った。真っ白な日傘を差して「世界一美しく素晴らしいものを見た」という多幸感でいっぱいで、地面から3センチくらい浮いてるようなふわふわした気分だった。

それから、わたしはわたしは宝塚に夢中になった。

関東だけでは飽き足らず、本拠地の宝塚市へも何度も訪れた。当時追っかけていた水夏希さんの対談公演は、合計で20回以上は観劇し、入出待ちや私設ファンクラブの集いにもよく顔を出した。思えばこの頃が一番楽しかった。そう、この時までは。

水夏希さんが退団した後に、わたしたち宝塚ファンは大きな事件と向き合わざるを得なくなる。

→続く



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?