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物語と人との間の聖域

noteで一次創作キャラを呼ぶとき、
私は必ず仮名で呼びます。



なぜかというと、
一次創作に登場するキャラの
プライバシーを守りたいからです。


奇妙な言い方に思われるかもしれません。
でも、シンプルな話です。


たとえば、
三次元の友人のことをnoteに書くとき、
どんな風に呼びますか?



おそらく「友人」とか「Nさん」とか
ニックネームやハンドルネームなど
本名以外の呼び方をすると思います。


私がキャラを仮名で呼ぶのも同じことです。
三次元の友人に対してすることを
二次元の友人にもしているだけです。

私の中にいる彼らは
私が生み出したキャラクターですが、
このnoteはキャラたちにとって舞台裏です。

本編は物語の中に書かれていることのみ。
それ以外の創作メモはすべて物語の外です。


つまり、
このnoteの「彼らとの会話ログ」は、
創作メモの一部というわけです。


生身の人と人との関わりのように、
キャラの表情も関係性も日々変わります。
そのキャラたちとの対話の中でしか、
私の書く物語は生まれません。


私の真ん中を通る大切な想いは、
こうした「キャラとの対話」です。
この感覚を素直に出したいと思いました。


私にとって
とても大切な感覚です。
堂々と大切にしたいと思いました。


書くからには
読み物として面白いものになってほしいと願い、
本編を書くのと同じ熱量で更新しています。


とはいえ、
一次創作の物語と地続きにはせず、
仮名で呼び分けることにしました。


この呼び分けは、
キャラと物語と物語の読者に対する
私なりの敬意です。


物語と読者の間に生まれた感動は、
その人だけの聖域だと思います。

物語と自分の間に存在する聖域で、
人は生涯の支えになる言葉と出会ったり、
生き方の指針を見つけたりするのでは
ないでしょうか。

FロマやFセクの方が想い人と出会うのも
この聖域の中だと考えます。


私は物語を書く者として、
この聖域を大切にしたいです。

会話ログは、
作者の私にとっては大切な創作メモですが、
イコール本編ではありません。


物語と読者にとって、
作者である私の言葉がノイズになるようなことは
避けたい。



ただ、作者の私は一人目の読者でもあります。
だから私自身の聖域も大切にしたい。


物語と読者と作者の三方よしを考えた結果、
キャラの本名を伏せることにしました。


仮名は本名と離れた名前にしています。
離れてはいるものの、
全体の印象は留めたような名前です。


そういう仮名をつけられるのは、
私の一次創作だからだと思います。


二次創作の彼にはそれができません。



彼の名前は出しませんが、
私は彼の名前が大好きです。




字も音もかっこよくて、
彼の名前を見聞きするたびに嬉しくなります。
本当に彼らしい名前だと思います。


彼の仮名はどうしても思いつきませんでした。
なので、代名詞の「彼」で呼んでいます。


それでは、また。

毎日読んでくださって感謝します。明日もコーヒーを飲みながら更新します☕️