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異動

8月の終わり、緊急でnoteを書いている。

これまで5ヶ月連続で月1のnote投稿ができていたようで、「連続投稿記録を伸ばしませんか?」みたいな催促のメッセージがnoteから送られて来たからだ。連続記録を伸ばすには今日投稿するしかない…。何かとこの季節は、目の前の楽しそうなことや予定に振り回されて、習慣にするべき課題を後回しにしがちになる。小学生の頃から変わっていない。

投稿者側にもnote利用を動機付けることで、このプラットフォームの滞在率を上げようという運営側の仕組み化された意図にハマりつつ、かくいう僕も、「そろそろ何か最近のことを残さないとな」と思っていた所だったから、背中を押してくれてとても助かっている。夏休みを退屈なものにしないために日記を課される小学生と同様に、社会人になった僕も課題を出されて初めて内省に時間を取ろうかと思える。

さて、最近会社で異動が決まって、大阪を離れることになった。それに伴い、引っ越しの準備をしたり通勤用の車を準備したりで慌ただしく8月は過ぎていった。異動先は、少なくとも今住んでいる大阪に比べると車が欲しくなるくらいには田舎町だ。1年半の大阪生活で大阪に愛着が生まれていたので、正直離れたくないなとここ最近ずっと思っていた。そんな矢先の内示だった。

異動が決まった後の自分の投稿↓


上司から異動を告げられた時、この場を離れたくない気持ちや、自分の生き方に関して積み上げてきた価値観や葛藤(自分なりの)など色々あったはずなのに、会社に忠誠モードの別人格の自分が、二つ返事で「あ、異動…。そうなんですね。分かりました。」と答えていた。

僕は仕事中、会社忠誠モードが優位であることは他者評価(君って真面目で寡黙な感じだよねとよく言われる)からも明らかではある。だけど、引っ越しを伴うという、このような人生の節目となる場面でさえも、うまく別人格の二役を切り替えたり融合させられない自分の不器用さを痛感し、辟易としたその日の帰り道を覚えている。もっと自分の理想の働き方や価値観を主張して交渉しても良かったのではないか、という後悔があった。

ただ、こうして大阪を経験できたのも会社が連れ出してくれたからと言えば本当にそうで、会社のおかげで勝手に大阪を好きになっておいて、文句を言う筋合いが無いのも確かなのだ。会社には本当に感謝している。

ここ数年、他人に思わされていることと、自分の本当に思っていることの違いをずっと気にしてきたつもりだった。自分のする一つ一つの行動に、何故そうするのか結論を出そうと意識していたし、自分は割と孤独でも生きられる方だと自負していた。
そんな中でも、会社の意思と自分の意思を器用に切り分けてコントロールできなくなるくらいには、僕も週5日を社会人として費やしている。そして、何故異動する方が良いのか結論は出せていない。こうして振り返る時間だけでも確保できて良かった。

というわけで、それから数日後に引越し先を決め、色んな人に連絡を取って手続きを進め、車を契約し、もともとやりたくもなかった生活の転換作業を着々と進めた。そういうタスクを着々とこなすストレスから逃避するように、転職サイトにも登録したりした。また、自分が本当に楽しく熱中できることが何かも考えるようになった。(それについてはまた掘り下げていこうと思う)


大阪は本当にいい町だった。
生まれてから20年以上の間ずっと地方でぬくぬく育てられた僕は、コンテンツの多さと、人の集まりやすさと、機能重視の社会システムに、刺激を受けっぱなしだった。東京とかニューヨークとか上には上があるんだろうと感じたし、設計、制度化された社会で、人はどこまででも孤独になれるんだと怖くなったこともある。

そんな色んな発見をさせてくれた街を離れて、どう感情が動くのか、それを大切にしたいと今は思っている。
人生経験がまだ浅い社会人2年目の、拙い戯言かもしれないけど、この文章を書き残さず、このまま流れていくよりはましだと思って書いた。


おわり




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