見出し画像

今日の文章は、いつも以上に、思いつくままツラツラと書いたものだ。まとまりはない。

……

子供がほしい、と妻が言っている。
強い気持ちでそう言っている。
おそらく僕たちは子供ができる方へ向かって進むことになる。

僕は、記憶に残っている範囲で言えば、且つ、僕一人の個人的な気持ちの範囲で言えば、「子供がほしい」と思ったことはない。
(ちなみに同じ範囲で言えば「結婚したい」と思ったこともない。)

僕にとって「子供がほしい」という気持ち(や「結婚したい」という気持ち)は、なにか「遠い」ことのように思える。

そういう気持ちを持つ人がいることは知っているが、なぜその人がそういう気持ちを持つのかは上手く想像できない。全く想像できないわけではないが、なにか核心的な部分は分かっていない感じがする。

これは、妊娠や子育てが大変だから子供がほしくないとか、子供が嫌いだから子供がほしくないとか、そういうことではない。

僕は「子供がほしくない」とも思ったことがない。

「子供がほしい」とか「子供がほしくない」という「言葉の意味」がよく分からない、ということである。その言葉を「実感を伴って」は理解できない、ということである。

違う世界の言葉、違う星の言葉、という感覚である。

「遠い」というのはそういうことだ。

ただ、出産や結婚のことで僕個人の中に一切なんの気持ちもない、ということでもない。

僕の中には「出産や結婚は「良い」ことであると汎く思われているこの社会で、そんなことをしてもいいんだろうか」「それに踏み切って多数派になることは、出産や結婚に「遠さ」を感じる人を抑圧する結果になってしまうんじゃないか」ということである。

「数の多さ」はそれだけで抑圧的な力になる。
例えば、自分とは別の性別の人ばかりの空間に一人放り込まれれば居心地悪くなるだろう。

でも僕は結婚したし、おそらく出産へと動いていく。
なぜなら、妻がそうしたいと言うからだ。

これを「愛」と呼ぶのか「バカ」と呼ぶのか、「社会問題に対して意識が低い」と呼ぶのか「自分の気持ちを言えない人のいる不全家族」と呼ぶのかなどは色々と考えられるが、とにかく僕は今それを選んでいる。

……

妻は統合失調症と今のところ診断されている。

そして、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)の診断も以前されている。

統合失調症(をはじめとする精神疾患)は、妻においては、幻覚、幻聴、妄想、解離、不安、恐怖、活動力の低下などとして表れている。今は薬で症状を抑えている。

多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)とは、卵胞がうまく成長せず、多数の卵胞が卵巣内にとどまってしまう病気だ。排卵が起こりにくくなる。

妻は生理が起こりにくく、生理が長期間起こらないことはいくつかの病気のリスクを生むため、PCOSと診断されてからはピルを飲み続けて生理を起こしている。

妻は、この前、妊娠を希望していると婦人科で医師に伝えた。
妊娠するためには、ピルを飲むのをやめなければいけないとのことだった。

今度、検査をする。
ピルを飲まなくても生理が来る状態、排卵ができる状態になっているのか、それとも、排卵が難しい状態のままなのか、を確認する。

……

妻は今、病んでいる。
「排卵してなかったら病む」と言っている。
自分には子供ができるのか、と不安がっている。

……

今日、精神科に行った。

抗精神病薬による胎児への影響はほとんどないと考えられる、と教えてもらった。

しかし、妊娠・出産・育児の大変さを考えると、病状や生活がもっと安定してからの方がいいと思うと主治医は言っていた。

でも、妻は「いま」ほしいと言う。
きっと、僕たちはその「いま」の気持ちを優先する。

……

最近、「自分と子供が熱を出している(自分38℃)のに、36.6℃の夫が「微熱があるから看病してほしい」と言ってきた」(要約)というツイートを見た。

僕は妻にそれをやっているのではないかと不安になった。

僕は、寝不足がとても嫌いだ。
寝不足になることに大きな不安を覚える。
寝不足のまま活動すると腹痛が起こる。
たぶん、寝不足であることが直接腹痛に繋がっているのではなく、寝不足になることへの「不安が」腹痛を起こしているのだと思う。

寝不足になることの「何が」不安なのか、というのは難しいが、思いつくままに挙げれば、「車の運転をして事故を起こさないか」「仕事でミスをしないか」「イライラして妻に暴力的な態度を取らないか」などの不安がある。
根本的なところはよく分からないが、とにかく、僕は、寝不足になることに対して大きな不安を感じるようなのだ。

安心を得るためには、少なくとも1日9時間は寝たい、というのが今の感覚だ。

でも、妻と関わっていれば、毎日そんなに寝ることはできない。
寝不足になる(と言っても6〜8時間は寝ている)。
そんなとき、その不安と、それに伴うイライラが、妻の前で態度に出ているかもしれない。

妻のツラさは僕の寝不足のツラさの比ではない、と思う。

理由のない不安に襲われたり、記憶をなくすほどツラい気持ちになったり、薬の副作用で眼球が上転したり、今は薬で抑えられていてあまりないが、怖い人を見たり(幻覚)怖い人の仲間になったり(妄想)、また、それらの症状に襲われるんじゃないかと不安になったり(例えばテーマパークでショーを観ようとしたら眼球が上転して全然観られなかった、なんてこともあったから、またそうなるんじゃないかと不安になる)。

僕の寝不足で不安でイライラする気持ちが、妻の前で態度に出てしまっていたら、それは「36.6℃の夫」が「38℃の妻」に「看病してよ」と言うようなものかもしれない、などと考える。

……

今日妻と一緒に精神科に行って、主治医に、

「(舞佳さん(妻)の気持ちを優先するばかりでなく)ゆずれない部分があったら舞佳さんに言っていいと思いますよ」

と言われた。僕は、

「えー……(妻に)ゆずるために生きてるようなもんだからなぁ」

と言った。
主治医はそれに対して「かっこいい!笑 僕もそんなこと言ってみたいけど」とも言っていたけれど、僕は、妻の気持ちに反することももう少し言った方がいいのだろうか、と思った。

でも、本当に、妻の気持ちに従って行動することは、僕の意志なんだと思う。

もちろん、妻が僕にしてほしいと要求することをすることは、かなり労力がかかるし、「僕の時間」(なんてものに意義があるのかも分からないが)は大幅に削られる。

僕は妻に振り回される。
でも、僕は振り回されるために生きているのではないか、と思う。

……

昔、大学の時の僕の先生がこんなことを話していた。
その先生は、思ったことを素直に何でも言うし、生じた感情は素直に何でも出す人だ。当然、人とぶつかることもある。
その先生はある日、自分と一緒に暮らしている男性に、「なんで私と一緒にいるのか」と聞いたらしい。
その男性はこう言った。

「檻の中にいる虎を見て、本当に美しいと思った。それで檻の中に入った。入ったら、相手は虎だから当然引っ掻いてきて自分は傷つく。でも、引っ掻かれても、傷ついても、虎が美しくて、その虎と一緒にいたくて、その檻の中にいる」

……

シンプルだよな、と思う。

これから僕や妻がどうなっていくのかは分からない。

でも、まあ大丈夫だろうな笑、と思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?