記録 深夜のドライブ

一昨日の出来事なので、自分や妻が言ったことややったことをきちんと覚えているわけではないが、記録として残しておきたいので書く。

夜、妻が「無茶なことを言って翔ちゃんを困らせたい」と言った。

例えば何なのと訊くと、

「今から北海道に行く」と言った。
(ほんとに行きたいわけではないけど、例えばね、と言っていた。)

僕は「いや〜、それは……無理だよなー……」と言った。

妻は「ひどい」と言った。
そして、布団をかぶってしまった。

僕がそばに行くとやはり「ひどい」と言う。

「ひどい、ひどい」
「何がひどいの。北海道に行くのは無理だと言ったこと?」
「うん」

「いいよと言ってほしかった」と妻は言った。

僕は、実際に無理なのにもかかわらずいいよと言うのは、難しいと思った。
でも、「いいよ」と言いたいと思った。
そこで、「いいよ」は「北海道に行こう、いいよ」という意味だけを持つわけではないと考えた。ほかにも、「《今行かないと死んでしまうくらいの強い気持ちで行きたいと言っているなら》いいよ」というふうな但し書きを付け足した上でのいいよ、あるいは、いいよと言うことが単なる同意や許可ではなく実質的には「君の気持ちを受け取ったよ」という意味を持つ行為として機能する場合など、僕が言いやすいいいよをいろいろと考えた上で、僕は、

「北海道行くの、いいよ」と言った。

そうしたら、妻は「本気じゃないいいよはいらない」と言った。

僕としては、僕の言える最大限の本気のいいよを言ったのだけど、それは妻にとっては「本気のいいよ」ではなかった。

僕は「本気のいいよを言ったら、もし「じゃあ本当に行こう」ということになったら、本当に行くことになるよね? 「いやほんとに行くの!?」みたいなことになったら駄目だよね?」と言った。

妻は「それはどうでもいい」と言った。

「無理って言われることが無理なの」と妻は言った。

「分かった。今度から、「北海道行こう」とか言われたら、「行くー」って言うね」と僕は言った。

しばらくして、妻が「今から北海道に行こう!」と言った。

僕は「よし、行こ〜」と言った。

2人で北海道に行く準備をした(と言っても、北海道は寒いから暖かい服を着る、ぐらいのことだ)。

2人で車に乗って、僕の運転で、走り出した。

走りながら、少し雑談をした。

しばらく走ったところで、妻が「これはどこに向かっているの?」と訊いた。

僕は「成田空港」と言った。
「でも、よく考えたらもう夜遅いから飛行機ないね、今日は無理だったね〜」と僕は続けた。

妻は、黙った。

「なんか、対応間違った?」と僕は訊いた。

「うん」と妻は言った。

そこからしばらくして、僕は、

「どういうふうにしてほしかった?」と訊いた。

妻は「分かんない」と言った。

僕は、そうだよね、とうっすら思った。

「でも、叶えてくれたら嬉しい」と妻は続けた。

僕はそこで、胸がいっぱいになってしまった。
なぜそうなったのかはよく分からなかった。

妻は、本気で、ぎりぎりだった、たぶん。
「翔ちゃんを困らせたい」と妻は言ったけど、僕を困らせることによって楽しむために僕を困らせようとするほどの余裕は、妻にはなかった。

妻はぎりぎりのところをなんとか生き切るために、僕を困らせることを言いたくなった。

胸がいっぱいになった僕は、黙った。

しばらくして、妻は、

「私が無茶なことを言ったら、代わりの案を出して欲しい。それだけでも叶えてくれたら、愛されていると感じられる」と言った。

僕はやっぱり再度胸をいっぱいにして、そうだよね、と思った。

「教えてくれてありがとう」と僕は言った。

「教えてくれてありがとう」は「代わりの案を出して欲しい」と妻が教えてくれたことに対して(別々の人間が一緒に生きていくためには「どのように行為すれば上手く過ごせるか」という実務的な選択肢が明確になったり増えたりすることは重要だ)で、だから、そうだよねと思ったのは、「叶えてくれたら愛されていると感じられる」に対してだ。

舞佳は、愛されてこなかったのだろうか。
愛が足りなかったのだろうか。
それこそ、実務的な、愛が。 
あるいは、愛とは実務的なものなのかもしれない。

妻は、幼い頃親にされたことが虐待だったのかについて、最近考えていた。
これまでは虐待はなかったと言ってきたけれど、虐待だったと言いたい、という気持ちだった。
精神科の主治医に、母親にされたことを説明し、それが虐待だったと言えるのかを妻は尋ねた。
主治医の答えは、ひとことで言えば、「虐待とまでは言えない」というものだった。

僕がその話を妻から聞いたとき、そのように主治医から言われた体験は、とてもつらいものだな、と感じた。
つらかったね、と妻に言ったら、妻は「そうかな」と言った。

「つらいことばっかりだから、慣れちゃったのかも」


妻は、ある就労継続支援A型事業所(主に障害を抱える人が支援を受けながら働く場所)を利用していたとき、そこの支援員からセクハラを受けた。
これについては、こちらから労働局に連絡し、労働局が妻側、A型事業所側双方からの話を聞き、調査し、半年ほどの時間をかけたのち、「「虐待あり」と決定された」「そのA型事業所に雇用機会均等法(の第◯条)を行使した」と労働局から連絡を受けた。つまり、性的な虐待があったと認められ、そのA型事業所に労働局から指導が入ったということだ。
 

妻は今、心理検査の結果を待っている。
自閉スペクトラム症や発達障害などがあるのかを検査するものだ。
正式な結果はまだ来ていないが、前回の外来時の主治医の話によれば、おそらくそのような障害はあまりないと判断された可能性が高いようだ。
そういう障害があると認められたらいいな、と話していたが、無理そうで、妻はショックを受けている。


記録、終わり。

引き続き、舞佳との生活を送る。

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