ナムコvs任天堂 あとがき

ごめんなさい(初手謝罪二回目です)。

肝心要の部分の多数を私の脚色で補っています。毎度のことですが、今回は本当に、本当に思惑の部分がさっぱりわからないので、整合性がつきそうな説明を勝手に此方で行っています。以下、脚色部分の解説です。

1975年のアタリジャパン買収で、中村製作所との仲が悪くなったわけではない、という解説は、翌年要人の行き来が行われ記念撮影も行われているために書いたのですが、本当に仲が悪いわけじゃなかった、というのはちょっと疑問符がつきます。
なぜならアタリジャパンを買収して専売権を有しているのにもかかわらず、Breakoutのライセンスをタイトーにもアタリは売ってしまっています。ここらへん、なんでこんなことをしてしまったのかさっぱりわかりません。中村製作所も怒って良いと思うんですが。

また、Breakoutのコピー問題が発生した際、中村社長はブッシュネルに対して法的措置を取るようにお願いしていますが、ブッシュネルは他に訴訟を抱えていたらしくとても手がまわらないためか、これを黙殺しています。

こういったいざこざがあってのアタリ買収の流れなので、わりと荒れる要素は色々と含んでいます。

あと、本章にもありますとおり、確かにナムコはアタリの株を過半数握る買収を行ったのは間違いありません。しかしその後、1989年4月1日のゲームマシン紙上では「子会社のナムコアメリカが株式を26%有しているに過ぎない」と説明しています。どっかのタイミングでワーナーに買い戻してもらったんだろうと思いますが、他のソース(それは「ポン」から始まったですとか)だとその時点でも40%程度持っていたことになっています。このあたり矛盾していて首を傾げるんですが、14%分中村社長が個人でもっていたり、ナムコ本体がもっていたりしたら一応つじつまはあいます。が、そんな詐欺みたいな解説ナムコがするかな? とも思いまして、悩んだ結果ナムコの説明を全面的に信じて26%説を取りました。40%説でもただちに間違いではないと思います。


そうそう、今回ナムコのファミコンのロイヤリティ料も数十円と記載しています。私は以前100円説を取ったのですが、変えた理由として「日本デジタルゲーム産業史」にはっきり「10円」と書かれてしまっているからです。

ロイヤリティ料として任天堂側は100円、ナムコ側は10円を主張し、最終的にナムコ側の金額で締結された。

日本デジタルゲーム産業史 P111

これの元ソースはナムコ開発者だった水上恵太さんの講演「ファミコン時代の新規開発と参入」なので、信憑性としては十分にあります。
で、一方でロイヤリティは21円だったという説もありまして。

同じく元ナムコの宇田川さんは契約期間5年、ロイヤリティ21円、任天堂からの技術仕様書を1000万円で購入、というとても詳しい解説を行っています(ただし宇田川さんは別のところで記憶違いがありましたので注意を)。

つまり元ナムコ側から「100円ではない」という説が二つもでてきてしまっていて、いったい何がなんやら、という状況なのです。
そのためお茶を濁す形でロイヤリティは「数十円」とすることにしました。誰か詳しい方、本当はいくらだったのか、教えて下さい。ちなみに宇田川さんはNC-1を最初からCD-ROM搭載機だったと語っていて私の頭を痛めてくれてます。いったい真実は何処なのか。


また、任天堂とナムコのロイヤリティに関しての裁判所への仮申請の思惑は、ご想像のとおり完全に脚色です。ナムコ側からこの目論みがどのような理由付けで行ったか、解説することは全くありませんでした。ですが目的が「優遇措置の延長」であって、なんとかナムコがそれを実現してやろうという手段の一環であるというのは予想がつくので、おそらくはこうだろうという枠に治めた形です。ただ、アタリゲームズが独占禁止法で訴えたことが中村社長の想定外だったのは事実で、だからアタリも売られてしまったのかな、と思います。なお、山内社長が「ロイヤリティが高いという根拠もわからない。何か基準でもあるんですか」といったのはスーパーファミコン任天堂の野望に書かれているソース付き発言だったりします。


で、それが失敗して生産委託契約へ……というのは先述の日本デジタルゲーム産業史にも書かれていることですが、私はちょっとこれに疑問符をつけたいのです。女神転生2の発売日は契約更改後の90年4月なのですが、これを任天堂がチェックした話というのがでてきません。初めて任天堂チェックを受ける羽目になったのは真・女神転生のほうという話でした。なのでナムコの更改した契約というのは、生産委託ではなく、本数制限あり、ロイヤリティアップのライセンス契約なのかもしれません。しかしそれを保証するソースがないので、一応日本デジタルゲーム産業史に則っています。ここらへんがとても気になったので、別途記事を挙げます。


後半部、ナムコが任天堂と提携した流れも多くが謎につつまれています。いったいどこから提携話が生まれたのか、ちょっとみつかりませんでした。2002年でインターネットの拡大期にあたるので、もしかしたら消えてしまったページに欠片が残っているのかもしれません。ご存じの方が居られましたら教えて下さい。毎度のごとく、以降の箇所は脚色マシマシです。ただ、岩田社長じゃなく、山内会長の名で祝電送ってるところになにかあるな……? という感触があり、そこから広げていきました。


なんか無理矢理いい話にしたてあげようとしてないか? と感じた方へ。私も命が惜しいです。はい。

それではまた、次の記事でお会いしましょう。

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