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学びたいと思った時が学び時

【学びの場】『ライフステージという考え方』

人間の一生を「少年期」「青年期」「中年期」などいくつかの段階に分けて考える「発達段階」というコンセプトに沿って社会の精度が設計されています。

学校に通う年齢が決められている義務教育制度はもちろん、働き始められる年齢が15歳からと決められている労働法、数十年にわたって組まれる住宅ローン、支給年齢が決まっている年金などがその例です。

私たちの人生は、法律によるいろいろな仕切りで区切られているのです。

『学生』

社会の実体験が少ないため、内容がちっともピンと来なくて、一体何のために勉強しているのかわからなくなってしまう。

だからと言って学校に行かないというわけにはいかず、ただ単に単位を取るためだけに、やりたくもない勉強をしているという状況です。

『社会人』

社会人になってからは仕事をして経験を積めば積むほど自分が何も知らないことを強く感じ、もっと深く学びたいと思うようになります。

しかし、時間がないと思い込んでしまっていることを理由に「今更大学なんか行けないし… 」と諦めてしまって学ぶことをしません。

本来学びは大学に行かなくたって、いつでもどこでもできるものなのに、ライフステージの仕切りに囚われて、そう考えることすらできなくなっているのです。

医療の発達と共に寿命も大きく伸びた今、ライフステージはもはや実態と合わなくなってしまいました。

定年後の人生は余生というにはあまりにも長すぎます。

学びたいと思ったから学ぶという素直な気持ちで、生涯勉強という目標を掲げ、人生を全うして生きるという生き方を、私はしていきたいと思っています。

『読み』『書き』『そろばん』という基本的なことを学ぶと共に、基本的なことから人生について考えるきっかけを得る学びの場を求めている人は、『読書』という世界から入ってみるのはいかがでしょうか。

今この瞬間からも、学ぶことはできるのです。

私の生きた半世紀

遂に私も、半世紀を生きた。
自分でも信じられないが、半世紀という時を重ねたのだ。

ライフステージで言えば、もう、中年期を越えたのかもしれない。
しかし、自分の死期というものが、自分ではわからないように、今、現在が人生にどの辺りかなんて、誰にもわからない。もちろん、自分にも。

人に限らず、生命には寿命というものが存在する。
生命の寿命というのは、その個体の大きさに比例するらしい。
シロナガスクジラは、90年。
イルカは、50年。
チンパンジーは、40年、
犬は、15年。
モルモットは、2年。
という具合に。

しかし、人間は、その生命の摂理に逆らって、寿命というものを、伸ばし続けているそうです。不思議ですね。

私は、その生命の寿命というものは、逆らえないものであるため、その寿命に合った時間というものが与えられていると考えています。
すこし、説明しますね。

ウスバカゲロウを例にとってご説明します。

ウスバカゲロウの寿命は約数時間と言われています。
対して、人間の寿命は約80年です。
この、両者の寿命には、79年と11か月と29日と20時間ほどの開きがあると考えられると思います。
そこには、『両者には同じ時間が流れている』ということが大前提にあるため、そのように考えられると思うのですが、この前提は果たして正しいといえるのでしょうか。
私は、「両者には時間の差があるように見えるだけ」なのではないかと思うのです。
ウスバカゲロウは、数時間で命が尽きているように見えているだけで、実は、体感としては、人間の80年と、同じだけの時間を、過ごしているのではないかと考えます。
ですから、ウスバカゲロウの数時間と、人間の80年は、同じ長さの時間の流れを体感しているのです。

同じ人間でも、100歳まで寿命を全うする人も居れば、病気で20歳に満たず亡くなる方も居ます。
しかし、私は、その両者もこの世では、同じだけの時間を過ごしたのではないかと、考えているのです。
時間とは、私たちが作り出した概念であり、形の無いものである以上、『表面的に平等である』とは言い難いのではないでしょうか。
そもそも、平等とは何なのか。
『時間』という、私たち人間の『ものさし』と、ウスバカゲロウの『ものさし』が、同じものであると、どうして言い切れるのでしょうか。
そして、私が感じている時間と、あなたが感じている時間が、同じ『ものさし』であるとは、言い切れないはずです。

前提として、そう考えると、私の過ごした半世紀というのは、どのくらいの密度で、どのくらいの質量だったのか、わからないのです。

しかし、泣いても笑っても、本日で40代は最後。
明日からは50代という、新しい舞台に上がることができます。
これまで、大きな病気一つしなかったことに対して、両親に感謝したいと思います。

これまでの人生がどうであれ、これからの人生の方が良くなることは、間違いありません。
人は愚かな生き物ですから、自分は100歳まで生きると思って生きている人がほとんどです。
志半ばで、人生の終焉を迎えることになっても、決して後悔しないように、日々を悔いなく生きたいと思います。

今日が、人生最期の日だと思って、やるべきことをやり残さず、やりきって今日を終える。
そのように生きた、一日、一日が、積み重ねとなって、人生をつくっていくのです。

私は、これからの10年、60歳までに自分の生き方を確立します。

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