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シャニマスの非公式コミュランキングを読んでボロ泣きした日。または自分語りスマソ、とここ数年を振り返る日

 先日、ニュースオモコロウォッチを聴いていてふとダヴィンチ恐山氏がシャニマスのコミュについて言及していたので、久しぶりにシャニマスのコミュ読むか~と思い立って絆光記を読んだ。


 「久しぶりにシャニマスのコミュでも読むか~」とつぶやくほどにここ数年はシャニマスと自分との距離感は全盛期のそれと比べるとずいぶん緩やかでほんのり遠い所にあり、3年前のあの日、初めてnoteのアカウントをとって溢れるパトスをがむしゃらに書きなぐっていた頃からのありようの変化を想うと、思えば遠くに来たもんだ…とオタク並みのため息が出てしまう。

 ブランクオタクにありがちなことではあるのだけれど、いざ読むぞイベントコミュの一覧を眺めた時、未読コミュの多さにめまいがした。
 思わずGoogle先生の窓に「シャニマス おすすめコミュ」と打ち、現れた検索結果の中に、上記のような美味しそう過ぎる記事があったのでノータイムで食いついた次第。
 上の記事は2023年までのコミュの総括的なアンケート企画なわけであるけれども、それでも長くシャニマスから遠ざかっていた自分はこのランキング内にも多くの未読コミュがあっててんやわんや。セブン#スも読めてないしね…!
 それでもトップ3のコミュは読んだことがあったし、何ならまさにこの順位通りの熱量で大好きなコミュであったから、思わず「おまいは俺か(インターネット古語」と鼻息も荒く立ち上がり、久しぶりにキーボードをたたくに至ったのだ。

1位:Your/My Love Letter
2位:ヒカリと夜の音楽、またはクロノスタシス
3位:くもりガラスの銀曜日

 この並びを見た時に、このランキングが改めてnoteでシャニマスのコミュの感想を書いているオタク達の熱量のこもった票で成り立っているのだと思えて、胸の奥が「ありがとうのきもち」でいっぱいになる。
 Your/My Love Letterはシャニマスのコミュとしては勿論、そうじゃない一つのノベル作品として見ても素晴らしく心を震わせてくれる作品なので、ここを読んでるオタクなら一位であることは大体は予想が出来ていたと思う。

 でも何よりも嬉しかったのは、2位と3位がこの二作品だったこと。

 3年前にnoteでシャニマスの事を書いていた時、僕はイルミネの三人の事を「シャニマスの事を好きになればなるほど、この三人が大好きになっていく」と書いた。勿論今でもそう思っている。それはひとえに、イルミネの三人の物語を通して語られるものが、シャニマスの根底にあるもの、シャニマスというコンテンツが世に伝えたいことの芯の部分にあたっているからなんだろうなって。
 クロノスタシスも銀曜日も、僕が大好きなシャニマスの、中でも特に大好きな真ん中のことが描かれていたコミュだからこそ、こうして多くの人に愛されているのだと知ったことで、胸の奥がじ~んとするわけですよ。
 何より、クロノスタシスで描かれていた事が、まさに今回の自分の心の移り変わりそのもので、改めて再読してまたわんわん泣いたってワケ。

 3年で、シャニマスにも自分にも本当に色んな事があった。三峰が声変わりしたり、アニメが公開されたり、シャニソンがリリースされたり、新規タイトルとして学マスが大盛り上がりしたり。楽しいこと、そうでないこと、どうでもいいこと、新しいこと、嬉しいこと。本当に色んな事があった。
 世の中には多くのコンテンツが溢れていて、日々新しいもの、日々刺激的なものが次々とリリースされ、面白そうなものを手にとっては離れ、あるいは多少立ち止まってみてはまた離れ。そうしてまた、面白そうなものを探して所在投げにほっつき歩く。
 僕というのもオタクをずいぶんと長くやってきていて、色んなコンテンツを渡り歩いてきたものだから、シャニマスとの付き合い方、その距離感に対しても「いつも通りのこと」として、今更になって嘆いたり自己嫌悪に陥ったりなんてことはない。一つの作品を同じ温度感で愛し続ける事の困難さは何度も味わっているし、遠巻きに眺めたり離れたり、時々戻ってみたりを繰り返しては、コンテンツとの付き合い方を学んできた。

 シャニマスに触れていない時間の方が長かった3年間。年単位でシャニマスに触れていない期間もあれば、今回のように思い出して触れてはイベコミュに涙したり、限定SSRを引けなくてすねていた日もあった。そんな中でも、時折思い出したように、noteの通知が届く時があった。

 「〇〇〇さんがあなたの記事をスキしました」「○○○さんがあなたをフォローしました」

 いまだに、3年前にあげた記事に対してこうして反応があるというのは、本当に奇跡のようだと思う。

 新しくシャニマスに触れて感動した人が、同じ感動を分かち合いたいと思って感想をググった結果、こんな場末の名もなきオタクのnoteにたどりついて、ささやかなloveをくれるわけ。それだけで泣いていいと思うし今これを書きながら泣いてる。改めて、この場を借りて彼らにありがとうを言わせてください。おまいらとはうまい酒が飲めそうだw(インターネット古語)

 時は流れるし、流行は移り変わるし、ヒトは変わるし、想いの形も変わる。

 それでもこうしてインターネットに僕が書き残した「あの日の思い」に、「今」自分の思いを重ねてくれる人が現れる。それはもうクロノスタシスだよって。

 文章を書いていると時々、「自分が今これを書くことにどういう意味があるんだろう」と思う事がある。時々なんてカッコつけたけど、実際は殆ど毎回そうだといってもいい。ただのオタクの感想文一つ書くのに、何をそんなに肩ひじを張る必要があるんだ、というのはそれはそうなんだけど、やはり発信する以上は誰かに届いていてほしい、というのが本当の所だろう。
 
 今回読んだ「絆光記」では、強すぎる光では届かない言葉、救えないものについて語られる個所があった。今今、死にたくて死にたくてどうしようもない人に対してポジティブな言葉が届かない、というのは僕自身も身に覚えのある話だし、シャニマスから離れていた期間には似たような理由で遠ざかっていた時間があったような気もする。
 日向の光に救われる人もいるし、日陰の暗さに慰められる人もいるし、それは同じ人間であっても時期によって違う。
 きらきらと輝く星がそのあり方を変える必要はない。ないけれど、それでも、何という言葉ならば日陰の人々にそれが伝わるのかは考え続けていきたいね、ってイルミネの三人はまた祈る。

 ちょっぴりずれるのかもしれないけど、一介の名もなきオタクでありながらも、こんな自分が書いた文章がどこかの誰かに届くはずだと願いながら、こうして文章をこねくり回せるし、それをしていいんだ!と勇気ももらえた。3年越しに記事を上げるモチベを、まさか46歳の自称若手ルポライターから貰うとは思わなかった。

 この記事を上げたら、気になったイベントコミュをまた読んでみようか。それとも眠くなって力尽きて、起きたらまたシャニマスの事は忘れてYouTubeでゆっくり解説とか流してるのだろうか。

 それでもいつか、一年後でも一週間後でも、はたまた十年後でもいい。血迷ったオタクが偶然この記事を見つけて、「変なオタクw」と笑ってくれるだけでも、きっと僕は救われる。

 何年後かわからないけど、またシャニマスの事について書けたらいいな。
ここまで読んでくれてありがとう。歯ぁ磨いて寝ろよ。
 

 

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