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わたしと関わった人がみんなしあわせであればいいのに

小学生からの友達から手紙が届いた。そこまで頻繁に連絡をとりあうこともないけど、SNSでつながっていて、連絡しようと思えば、気兼ねなくできる人。2日ほど前に誕生日を迎えていたので、それで便りをくれたのだろうと思った。彼女らしかった。

私があなたにできたことを思い出そうとしても、なにができていたか分からない。ここ数年会うこともできていない。それでもあなたは手紙をくれた。それどころか私に寄り添ってくれた。

わたしのnoteを読んで、これからでも支えたいと言ってくれた。弱さをひらいたら、より深くつながれた気がした。すごくあったかかった。少しだけ、泣いた。

あなたは大学を立派に卒業して、就職して、一歩ずつ人生を歩んでる。その中に絶対苦しいことがあって、誰かに寄りかかりたいときがあったはずだ。そのとき、物理的な距離と連絡を取り合わない時間でできた、わたしとあなたの間を初めて悔やんだ。

なんだ、愛されているんじゃん。って、思った。
目の前の寂しさや不安にいっぱいになって、ついつい自分は愛されていない人間だと、マイナスな方ばかり数えてしまう。でも、思い出したらこうやって気にかけてくれている人は、絶対にいる。

気にかけ続けることは難しい。とても人任せだけど、せめて、私が関わった人たちが誰かに寄りかかりたいとき、私の存在を少しでも思い出してくれたのなら、なんの遠慮もなく私に連絡してくれたらと思った。
勇気のいることだ。まるで連絡を取ってなかったのにいきなり相談させてほしいなんて言えないと思うかもしれない。きっと私もその立場であれば思うだろう。

だけどね。

あなたのこれまで出会った無数の人たちの中で、私という存在を思い出してもらったことがこの上なく嬉しいし、寄りかかりたいときに思い出してくれるということはきっと、連絡の頻度は少ないかもしれないけど、あなたも私のことを気にかけてくれているんじゃないだろうか。それだけで、なんかもう幸せだ。解決には至らないかもしれないけど、私はできる限りあなたのためになることをしたい。

頼るという勇気ある行動をしたあなたを、広く、深く、包みこめるような慈愛に満ちた人になりたい。

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