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蒋先生と僕 2

先生は烏魯木斉(ウルムチ)の出身で、西安にある大学を出たと言っていた。エキゾチックな雰囲気はそのためだったのかもしれない。

ウルムチと言えば新疆ウイグル自治区で、色々な政情で話題になっている場所だった。
そして西安はウルムチから2,500㎞も離れている。(もちろん、日本はそれ以上に離れている。)
これまでの人生できっと色々な苦労があったんだと思う。
先生はそれ以上のことを話さなかったが、日本で教えている学生に伝える必要のないことも、当然たくさんあるのだろう。

世界のニュースはテレビや新聞の中にしかないものと思っていたが、先生との出会いは僕の国際感覚を大きく成長させてくれた。

一方僕は、店内が忙しいのに自分は働かない店長に対してだんだん腹が立ってきていた。
たぶん、厨房の二人の気持ちに共感した部分もあったと思う。
ある日、店長に向かって「手伝ってください」と声をかけてみた。
しかし店長は怒り、自分でやりなさいと言って常連のお客さんとの会話を続けるだけだった。常連さんとの会話で、あの子はもういいと思っているのよね、というようなことを言っていた。
(ここで注意が必要なのは、僕が仕事ができないということを忘れてはならない、ということだ。今なら少し、店長の気持ちも分かる。)

しばらくして、僕にはついにクビが宣告された。
いたたまれなくなった僕は、もっと働いている人の気持ちを考えた方が良いですよ、という手紙を残して店を去った。
今思えばこれも大変失敗だったと思う。

というわけで、僕はまた新たなバイト探しを始めることとなった。
貧乏学生には部活などをやるお金も時間もない。(レジャーには行く)

忙しく過ごしているうちに、4月の就職・引っ越しが近づいてきた。
当然、蒋先生の授業も終わる。

中国語を学ぶ機会の減ってしまった僕は焦っていた。

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