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ドライブ・マイ・カー #1

 「ドライブ・マイ・カー」The Beatlesのラバー・ソウルの1曲目、映画化もされた村上春樹さんの短編のタイトル。The Beatlesの楽曲は昔から好きな1曲であるし、村上春樹さんの短編も映画も年齢を重ねた僕の心に響くものがありました。  

 僕は人と向き合うということが苦手であり、嫌いです。でも「人と向き合わなければならない」これは社会生活をしている以上は避けては通れないものだとは思います。でも向き合うことは可及的に回避したいと考えて行動しています。

 僕はドライブが好きである。そして人と付き合う上での持論としての自動車のドライブというものがあります。それには「ベクトル」が大きく関わってきます。

 「ベクトル」理数系の話ではなく、抽象的な方向性や矛先の話です。向かう先を示す矢印の話です。これを人間関係では常に考えます。

 「ベクトル」が真逆を向いている人とはその場では終わりです。少なくとも今は相見えることはないだろうと考えます。僕は逆を向いている人をこちらに向けようと無理はしません。そこで一旦はさよならです。

 「ベクトル」がぶつかり合って、この先は関わり合いたくない時は僕は自分の「ベクトル」がずれているふりをして相手の反対側に抜けていきます。そして離れていきます。これもそこで一旦はさよならです。

 人の「ベクトル」は常に変化していきます。同じ方向を向いていない時は次の機会を伺うこともあっても良いのではないかと考えています。

 でも意見の相違がある人と向き合って話すことが避けられない時があります。これからも一緒に行動していく人、行動したい人と意見が合わないと感じた時に僕はその人をドライブに誘います。

 ドライブしながら話をすることは何が良いかと言うと、お互い同じ方角を見たまま会話ができることです。お互い自動車の進む方向を見ながらの会話になります。

 テーブルを挟んで向き合って顔を突き合わせて話すと、「ベクトル」がぶつかる方向にある人と対峙して会話がなされます。どうしても戦う構図になってしまうのです。

 その点、自動車では対峙せずに話が進んでいきます。そうするとちょっと難しいかもしれないと思っていたことでも円滑に話が進みます。僕の場合は少なくとも喧嘩別れになるようなことにはなりません。

 「ベクトル」を考えて行動していると人との関係性が悪くならない。それを考えていたら、いつしか僕にとって自動車でのドライブが人とぶつからないためのものとなったのです。そして僕は今日も自動車を走らせるのです。

 

 

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