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母の入院:入れ歯ラプソディー その1

 2017年12月1日に亡くなった実母の、人生最後の入院生活についてのあれこれ。リアルタイムプラス数ヶ月というタイミングで書いたものを3年経った12月に掘り起こして発表します。

いつの間にか かなりの入れ歯になっていた

 正直言うと母の上あごの歯が残っていないってことを、あたしは彼女の入院まで知りませんでした。

 下あごにはまだいくつかの歯が残っており、そこに金具でひっかけた形で部分入れ歯をはめ込んでいましたが、上顎は(娘にとってはいつの間にか)総入れ歯になっていたのでした。


 親しく行き来をしているといっても、一緒に暮らしていないっていうのはそういうことなのだなあと、あたしはその入れ歯のひと揃いを眺めて思いました。90近くなっても眼も耳もまるで衰えていませんでしたが、歯については「こんなことに」なっていたんだわ、と。

そう言えば入れ歯に悩んでいた時もあった


 入れ歯が合わなくて、痛みで食欲が落ちた時に、保険適用で満足度の高い入れ歯を作ってくれる医者を捜してあげたりしたのは12年ぐらい前でしょうか?そんなことがあったのを思い出しました。

 あたしはmixiのコミュニティで、歯医者同士が入れ歯のいろいろについて話し合っているところをみつけたのです。
 その時母は長くつきあってきた歯医者について、はじめて不信感を持っていました。痛くて思うように食べられなかったからです。

  家族みんながお世話になった歯医者ですから、あたしもその医者を知っていました。大先生と若先生、の二世代でやっているところでした。


 「得意不得意があるんでしょう。入れ歯作りの上手いところに変わったらいいんじゃないの?」とあたしはいいました。
 それで専門家の意見をきいて、家から通いきれる場所に新しい歯医者をみつけて、提案しました。入れ歯を得意とする歯医者が「名人」だと褒める人でした。

 しかし母は気が進まないようでした。入れ歯の出来に不満があっても、「長くお世話になった先生」を変えるのは抵抗があったのでしょう。

 それも年配の人にはよくあることだし、満足度というのは総合的なものでもあるので、あたしは無理にとはいいませんでした。

これが最終形の入れ歯?


 その後入れ歯については「もう大丈夫」と言って来ました。若先生のほうに、いろいろと細かい注文をつけて調整してもらうコツを、母はのみこんだようでした。

 若先生も、まだ発展途上にいたのでしょう。患者のひとつひとつの不満を良く聴いて、だんだん腕も上がってゆくのならOKでしょう。


 入れ歯はそれ以来、母の口の中の変化に応じてモデルチェンジを繰り返していたのでしょうが、その最終形(?)とおぼしきものが、病院の洗面所であたしの手の中にありました。
 食事のたびにそれを母に取り外してもらって、歯ブラシで洗ってあげる、ということをやっていたわけです。

 背中の激痛から救急搬送された母は、まもなくベッドから動いてはいけない、という身の上になってしまったので、入れ歯のお手入れは、看護師さんか家族の仕事になったわけです。
 そこで初めて娘のあたしは、母のお口の中の「実態」を知ったというわけです。


 聞けば母は入院してからも歯医者にかかったとのことでした。噛みあわせに違和感でもあったのでしょうか。
 

 かかりつけの歯医者に来てもらうわけには行きませんが、病院内の歯科はベッドまで来て様子を見てくれるのだそうです。
 かつて老人総合病院だったところですから、さぞかし入れ歯についても場数を踏んだ医者だったことでしょう。


 「ずいぶんよくできた入れ歯ですねって褒められちゃった」と母は言いました。


 微細な不満でもいちいち話して調整してもらうということを習慣にしていたから、入院中にも歯医者にかかったのだと思います。
 来てくださった先生からみて、その入れ歯は非常にフィットしていて、なんの不満があるのだろう?といったレベルのものだった可能性があります。

 この入れ歯が、その後の入院生活で、母の変化を如実に物語るアイテムとなりました。


つづく

おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。