母の入院:入れ歯ラプソディー その3
パズルとしての入れ歯
母らしさを支える必需品である入れ歯の話のつづき。
「入れ歯はどこに行ったのかしら?」
それまでの生活習慣からか、母が入れ歯をはずす時間というのはとても短かったのです。その入れ歯がだからこそきちんとフィットしていなくてはならず、入院中も3回ほど、院内の歯医者に口の中を診てもらっていました。
それがない、とは「あら大変」なことです。しかしどこかに勝手に歩いて行くようなものでもありません。捜すと、それはホーローのカップの中に洗浄剤と一緒に漬けてありました。
「ポリデントしていたみたいよ」あたしは言いました。
「ああそうか」と母は言いました。「ということはわたしはだいぶ長いあいだこれをしていなかったのね」そんなことははじめてだ、というふうなニュアンスでした。入れ歯のことを忘れていた自分が意外だ、という風にあたしにはきこえました。
おそらく、昼ごはんが終わってから、看護師さんが母にはずさせて、口腔ケアをして、そのあと洗浄剤に入れていたのです。
母は強烈な痛み止めを処方されていたし、そうでなくても入院中は患者は夜昼の区別なくよく眠っているものですから、そのままにされていたのでしょう。
食事の時間が来ていましたから、元通り装着して噛めるお口になって、準備するというのを手伝いました。
食後の儀式のその順序
食欲は芳しくないと言うしかありません。それでも一通り味は見て、料理の質についてやんわりとあたしにだけ文句をいいつつ、“晩餐”は終わりました。
家族が来ている時は、介添えは家族に任されるようになっていました。
あたしと弟はなるべく食事の時間を狙って見舞いをしていました。ほぼ毎日、そのように通ったのです。
食事のあと入れ歯をはずし、裸のおくちの中をブラシで掃除しつつ、「くちゅくちゅぷー」と呼ばれる儀式、つまりうがいをして、口のなかをきれいにし、そののち、洗面台で磨いて来た入れ歯を再び装着する、というのが一連の手順でした。
その「くちゅくちゅぷー」は、
1.白い樹脂製のマグから水を口に含んで、
2.口の中で水をくちゅくちゅと動かし
3.(名称は知らないけれども)ゆるやかなカーブがついたピンク色の容器の中に水を「ぷー」と吐きだす
という行程によって成り立っております。
ベッドの上で、ベッド用のテーブルから水のマグを取り、口に含み、マグをテーブルに置き直して、ピンクの容器を顔に当てて的確にその中に水を命中させる作業は最初母にとってまったくたやすいことでした。
だんだん上達してゆき、「プロになってきた」などと冗談を言っていたものです。実際失敗することはほとんどありませんでした。
しかし、鎮痛剤が医療系麻薬に移行した頃から、それがだんだんやっかいになってきました。
投薬の量は様子を見て増してゆくのですが、その過程で、増えたあと一日二日の間、身体が慣れず、非常にぼんやりするのです。
つまり母の「頭の良さ」にアップダウンが生じておりました。
考えることが難しくなり、目を使うことが億劫になり、アテンションスパンが短くなり、憶えていることが つらくなります。
クスリの量に体が慣れると、また再び意識ははっきりしてくるのですが。
母はこのプロ並みに(?)慣れた「くちゅくちゅぷー」と「入れ歯装着」の儀式を、時には夢遊病の人みたいに、ろくに目を開けないで適当にやろうとするようになりました。
そうしますと、
●水を入れたマグや吸い飲みが正しく口に命中しない
●くちゅくちゅしたあと、間違えてごっくんしてしまう
●「ぷー」をするピンクの容器のかわりに白いマグの方にぷーしてしまいそうになる
●逆に、ピンクの容器にぷーした汚れた水を再び口に含もうとする(きゃーやめてー)
●水を取るつもりで、テーブルの上の花瓶を手に取る
●洗った入れ歯の上下と方向がにわかにはわからなくなる
などの問題が生じるようになりました。
だからといって、これをいちいちド親切に助けていますと、それは母の衰えを加速してしまいます。頭は使いにくくなっても使わないといけないのです。
弟はスパルタ教師だった父とそっくりの口調で、「はい、目を使って。よく見て!」「頭使って。白い方が水。見ないとだめ」「それは上下どっちかなー?考えて」と、指導するようになりました。
母は「このコップは白。だから水」「ぷーするのはピンクの方」と言いながら努力して行程をこなしておりました。
しかし、入れ歯の装着はひやひやします。下顎の部分入れ歯には、健常な歯に入れ歯を固定するための鋭い金属がついているのですから。
上下さかさまに入れようとするのを、あたしたちは「いやいや、噛むためには歯はどっちを向いていないとならないかな?」などと諭しながら見張っていなくてはなりませんでした。
「大きい方は上の歯。前は歯があるほう」「小さい方が下の歯」とつぶやきながら、母はこの上下前後の組み合わせに迷い、時にその装着に5分もかかっておりました。
きちんと装着が完了しますと、「ママ、すごい。できたじゃない」などと弟が褒めます。母は苦笑しながら「まるで幼稚園よね」と言っておりました。
この「入れ歯パズル」は、繰り返し行われていましたが、くちゅくちゅぷーと違って、上達というものはありませんでした。まるっきり意識しないでそれが出来ていた日常が最高地点なのですから。
こんなことに苦労するようになるんだ、という発見は、あたしに強い印象を残しましたが、あの時一番戸惑っていたのは、当人だったことでしょう。
つづく。
おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。