白梅
「しらうめ?何それ」
「しらうめさ、ま、じゃ。白梅様。この町を守る御神木じゃ」
煙を吐きながらじいちゃんは言った。
「昔はわしも白梅様と話せたんじゃがのう…」
「今はしらうめとお話できないの?」
「まだ若かった隣のじいさんと、近所の悪ガキを川に流そうとしてサツに世話んなったり、そこらのばあさん騙して金せびろうとしたりしてたら、いつの間にか声すら聞こえんようになっとったな」
かっかっ、と笑いながら、また煙草を吸った。
「会いたいのう。お前はわしの孫じゃけ、きっと話せるようになる。まあ、悪いところは似るなよ?」
にいっと笑った口元は、入れ歯が落ちそうになっていた。
「お義父さん、ずいぶんと立派なお家を残したわね」
「まあ親父は、持ってる家だけは立派だったな」
軽トラックから降りた二人が、辺りを見回していた。
じいちゃんは、親戚みんなから煙たがられていた。
これだけ大きな家を残したというのに、相続も皆放棄した。
唯一、父さんだけが、俺がもらうと手を挙げた。
ここよりはもっと都会の町で暮らしていた私たち。
じいちゃんの死を機に、この田舎町に引っ越してきた。
「この辺り、よく兄さんたちと遊んだなぁ。あそこの道を登ると神社があって、あそこでよくかくれんぼをした。神社の裏側の小道を進むと水飲み場があって……誰が先に飲むかでよく喧嘩をした。更に奥に進むと御神木があってな。お、そうだ。ちょっとご挨拶してきなさい。これからお世話になりますって」
「私が?なんで」
「いいから!ほら、お前は我が家の代表だ!これは名誉あることだぞ〜!しっかりご挨拶しておいで」
「…わかった」
段ボールから重い腰を上げた。
我が家の代表。
悪い気はしなかった。
階段を登ると神社があった。
いつも父さんたちがやっていた通りに、二度頭を下げて、手を二回叩いて、また一回頭を下げた。
神社の裏を回って、小道を進むと……あ、あった、水飲み場。
そこを更に進むと、
目に入ったのは、真っ白な樹だった。
「え…なにこれ。しろっ」
理科の授業でも習ったことがない、真っ白な樹だった。
枝から幹、根本まで真っ白い。
幹は、私が三人いて、両手を広げてぐるっと一周したとして、やっと手に触れるかどうかというくらいに太い。
何の花かはわからないけれど、花びらも白い。
全てが白いその樹は、今まで見たことがない異様さもあって。
けれども美しい。
ひと目で『御神木』だとわかった。
「これとはなんじゃ。これとは」
そう言いながら白い樹の前に現れたのは、長い白髪の小柄な人だった。
白い着物に身を包み、袖から出る腕も血色が悪い。
まるでこの樹のように、白い。
「お前、瓦屋の坊主の子じゃろ。あんま似ておらんが」
「かわら屋?坊主?あ、じいちゃんのこと?昔、かわらってやつ、売ってたって聞いたことあるけど」
「そうか、坊主の孫か。まあ匂いが似てるわけじゃ」
「え、やだ、私たばこくさい?」
「そういうことではない。…というかお前、驚かんのか」
父さんは吸わないし、匂いなんてつかないはず、と袖の匂いを嗅いだ。すると、目の前の白い人は目をまん丸くする。
「珍しいのう。見える者の多くは、驚いて頭を地べたにこすりつけて白梅様と媚びへつらうか、名前なぞ呼びもせず、ただ妖怪だと叫んで逃げるかのどちらかだというのに」
「あんた、しらうめ?」
「しらうめさ、ま、じゃ。白梅様。様をつけろ。外からの匂いもすると思ったが、私のことはすでに聞いておったか」
「じいちゃんと父さんからね。これからここに住むことになりました。よろしくお願いします」
「ほう、無礼なガキかと思っておったが、挨拶はまともにできるようじゃのう。さっきもしておったしな」
まあ、よい。と、白梅は枝に腰掛けた。花は揺れず、枝はしなりさえしない。
「坊主…、いや、今はじいさんか。お前のじいさんはどうした。死んだか」
「死んだよ。先月ね」
「まあ、そうじゃろうなぁ」
「いつも白梅に会いたがってたよ。どうして会ってあげなかったの?」
「どうしてって、あいつが勝手に私の声を聞こうとしなかっただけじゃ」
「ふーん?」
また来るね、と言い残して家に向かった。
白梅様に会えたか?と聞いてくる父さんに、まあねー、と適当な返事をした。
え!嘘!?と、驚く母さん。
父さんは、そうかそうかと嬉しそうに笑っていた。
学校が始まると、クラスの子たちはとてもよそよそしかった。
私を見て、こそこそ話してるやつら。
先生に言われたのだろう、学級委員長とやらが正義面して話しかけてきたり。
なんなの?
ばかなの?
話しかけて来ないでよ。
私は一人で大丈夫だから。
「ひねくれとるのう」
「は?何が」
「お前のその心がひねくれとる。このままだと友達できんぞ。素直に、みんなと仲良くなりたい。声かけてくれてありがとうでいいではないか。何をそんなに敵視しておるのじゃ」
「別に敵視してないし。だって本当のことだもん。私一人で大丈夫だし」
母さんに作ってもらったクッキーを持って、また白梅のところに遊びに来た。
温かいお茶を水筒の蓋のコップに注ぐと、私より先に白梅がお茶をすすった。
「今までもそうやって来たのじゃろう?前の学校は楽しかったか?」
「楽しかったわけないじゃん」
「突っぱねるのは疲れんか」
「…疲れる。すっごく」
「疲れない方はどちらかのう」
今日はたまごサンドウィッチをパックに入れて、また白梅に会いに来た。
「白梅」
「しらうめさ、ま、じゃ。白梅様。どうした?…ほう、よかったのう」
「心読まないでよ。友達、できた」
「まあ私は最初からできると思っておったよ」
「友達できないって言ってたじゃん!」
「このままだと、と言っておったろう。人の話を聞け。よかったではないか、できたのだから」
「まあね〜」
気づくと、持って行ったサンドウィッチのたまごの部分だけ無かった。
御神木様はたまごが好きらしい。
「母さんがジュケンジュケンうるさいんだけど」
「キジの鳴き声みたいじゃのう」
「ケーンケーンね」
母さんは、お手製の玉子焼きをタッパーに入れて、持たせてくれた。
私が持つ玉子焼きに気付くや否や、くれと言わんばかりに手を差し出して来た。
「あーあ、受験なんてしなくていいのに。将来のため!って言うけどさ、私は自由にやりたいの!今どき動画だけで一発当てた人もいるくらいだよ!?」
「お前は動画で一発当てたいのか?」
「いや…?」
「やりたいことは?」
「うーん、まあ友達とこれからも楽しく遊べるならいいや〜」
「その友達は?」
「…大学行くって」
「お、この卵焼きうまいのう」
「しゃーない、みんなと同じ大学行くか〜。そのうちやりたいことも見つかるだろうし」
「今度は、ぷりんも持って来てくれ」
「いぇーい、受かったよ〜!」
「ほう、まあ受かるとは思っておったが」
「また言ってる。はい、プリン」
「おお!これじゃこれじゃ!」
白梅はプリンを口に含むと、恍惚とした表情を浮かべている。
「ねえ、そういえば白梅って男なの?女なの?」
「お前ずっと知らなかったのか」
「うん。ねえ、どっち?」
「白梅様は白梅様じゃ」
「答えになってないし…」
「次はかすたあどをよろしくな」
プリンの空を三つ転がして、白梅はそう言った。
「白梅、ここから大学通えるかと思ってたら、無理だった。三時間かかる」
「お前、四年間通うつもりだったのか」
「だって白梅んとこあまり来れなくなるじゃん!」
「人はいつかは別れるものじゃ。それに、お前のことじゃ、時々帰って来るんじゃろう?私を思い出したとき、たまに顔を見せに来てくれればそれで十分じゃ」
「春休み、夏休み、冬休み」
「年三回も会えば十分じゃろう」
たい焼きのカスタードを頬張り、口元を押さえながら白梅は笑った。
「白梅様!!」
「しらうめさ、ま、じゃ……って、合っとるか。珍しい。お前も様をつけることができるのか」
「やばい!就職先が見つからない!神様!白梅様!」
「こんな時だけ様をつけるか。お前、絵はどうした」
「絵は…趣味で描いてるくらいで、お金もらおうなんて考えてないし…、絵で食べていけるなんて思ってないし」
「本当は?」
「絵で!食べて行きたいです!!」
「ほう…成長したものじゃのう」
「白梅!聞いて。さすが私。イラストお願いされた。専属で働くことになった。まあ就職できると思ってたけどね!」
「また様をつけなくなったか。まあ…成長したものじゃのう」
「もっと喜んでよ!驚いてよ!」
「お前が絵で売れることくらいわかっておったからのう。嬉しいが、驚きはせん」
「お金がっぽがっぽ入ったら、銀座の高級プリンいっぱい買ってこれるんだよ!?」
「よくやった!!!えらいぞ!!でかした!!」
「はい、約束の〜」
「おお!これじゃこれじゃ」
銀座の高級プリンを手土産に、私も缶チューハイを一本持って白梅に会いに来た。
「なかなか会いに来れなくなっちゃったなぁ」
「そうか?」
「年ー回がやっとだもん」
「十分ではないか」
「売れるようにはなったんだけどね。もっと白梅に会いたいし、本当はこっちに住みたい。友達も何人かこっちに戻って来てるし。難しいなぁ」
「難しいか?」
「難しくないの?あ、」
両親用に買ったプリンを一緒に入れておくべきじゃなかった。
一箱六個入り。
全て空になった状態で返却された。
「…食べすぎ」
「うまかったぞ」
時間に追われ、仕事に追われ、気づけば二年が経っていた。
できた彼氏も、すぐに別れてしまう日々。
疲れ切ってベッドに倒れ込んだ。
うとうとと眠りそうになったとき、スマホが鳴って目が覚めた。
母さんからだ。
「わかった…。明日、帰るね」
電話の内容は、御神木が切られるという話だった。
古くからあの町に住む者たちにとって、白梅は御神木だった。
崇められ、大切にされ、愛されていた。
しかし、外から来た者にとっては違ったらしい。
いい土地は無いかと探しに来たどこかのおっさんが、神社の奥の広い土地に目をつけた。
白梅がいるところだった。
おっさんは、白い樹なんて御神木でも何でもない。
ただの病気の樹だ。
このまま放っておくと、そのうち他の木々にも感染し、資源にすらならなくなる。
早くに切り落としてしまおう、と。
血の気が引く思いをしながら布団を被った。
早く夜が明けてくれ。
こんなことなら、仕事も何もかも全部放って、帰っておけばよかった。
白梅、どうか無事でいて。
夜が明け、できる限り早くに出発した。
新幹線の中でもひたすらに祈った。
家に着くと、両親が驚いた顔をしていた。
そして、笑った。
「大丈夫みたいよ。町のみんなが猛反対して、考え直したみたい。他の土地を探すって」
大きなため息が出た。
スーツケースと、暑くて脱いだコートを玄関に置いたまま、白梅のもとへ向かった。
「よかった…白梅」
「しらうめさ、ま、じゃ。白梅様。なんじゃ、お前。私を心配して戻って来たのか?」
「そりゃ心配もするよ…。町のみんなが守ってくれたんだね」
「まあ、皆私のことが好きじゃからのう」
「白梅様だもんね」
「そうじゃ。で、銀座の高級プリンは?」
「んなもん買ってくる余裕なかったわ!」
「やっほ」
「お前ついこの前も来んかったか」
「帰ってきた!」
「ほう」
「仕事、辞めて来ちゃった!だって楽しくないんだもん!初めはね、楽しかったんだけどさ、なんか段々仕事内容も変わって来てさ、好きな絵も描けなくなって、しんどくて、苦しくなって……投げて来ちゃった!」
「その笑顔はなんじゃ。心と顔がどうして違う」
「だって〜〜!!私、仕事選べる立場じゃなかったのに、投げて来ちゃった。仕事なかった時拾ってくれたのに、恩返しできなかった」
「ばかじゃのう」
「私何なんだろう。何様なんだろう」
「お前はお前じゃ」
「答えに、なってないし…」
ぼろぼろ泣きながら笑うと、ひっくとしゃっくりが出た。
「ねえ、私すごいかも。また仕事見つかった!この町に住みながらできる仕事!依頼された内容にある程度沿ってたら、絵も好きなように描いていいって!」
「まあ、そうなると思っておったがのう」
「ふっふーん!私も!と、こ、ろ、で…!こっちに住むようになったことで、銀座の高級プリン、食べれなくなったじゃないですか。しかし!聞いて!駅前に支店がオープンするらしいです!」
今秋OPEN!と大きく書かれたチラシを白梅に見せた。
「まことか!!!よくやった!でかしたぞ!」
「いや、これは私のおかげってわけじゃないんだけどね」
「プリン屋さんできるまで、これで我慢してね」
そう言って、タッパーに入った玉子焼きを渡した。
「お前、料理できたのか」
「玉子焼きくらい作れます」
「前は作る気も起きないと言っておったではないか」
「まあ…ね。いや、ね、なんていうか、ね」
「ごにょごにょしおって。よかったのう。よかったのう」
「私が言う前に喜ばないで!」
「お前喜べと言ったり喜ぶなと言ったり、難しいやつじゃのう」
「彼氏もね、卵料理好きなんだって!だからね、私の料理の腕前お披露目しようかな〜なんて!」
「だいぶ塩辛いぞ」
「え、うそ」
眉間と鼻筋にシワを寄せ、おー…辛!と、額をぺしぺし叩いていた。
「白梅!私!結婚します!」
「ほお!よかったのう!…って、しらうめさ、ま、じゃ。白梅様。あの玉子焼きでも結婚できるのか…おっと危ない口が滑るところだった」
「いやもう滑ってるから」
「玉子焼きの練習はいらなかったな」
「そう!彼が作る玉子焼きの方がずっとずっとおいしいの!今度彼が作った玉子焼き持ってくるね!」
「ほう、それは楽しみじゃ。やっと塩辛い玉子焼きから解放される…おっと口が」
「もう滑ってる」
「見て、可愛い子でしょう」
「お前に似てるな」
「でしょ〜!私に似て可愛い子でしょう!」
「耳が詰まって聞こえなかった。もう一度」
「御神木って耳詰まるの?」
「この前、お前の娘が挨拶に来たぞ。こんにちは、白梅様、とな。母親と違ってええこじゃ」
「だって、白梅は白梅じゃない」
「なるほど、父親に似たのか」
「そんなこと言うと、夫の玉子焼きあげませんが」
「母親に似て、と〜っても可愛くてええ子じゃったぞ!」
白梅はすっかり、夫の玉子焼きの大ファンになっていた。
「白梅、あんたは老けないのね。いいなぁ」
「しらうめさ、ま、じゃ。白梅様。私も少しずつは老いてるぞ。ただ、人間の寿命より、あまりにも長いから、老いてないように見えるだけじゃ」
「あの子、お菓子職人目指すって。来週から留学するみたい」
「お菓子職人とは、ぷりんや、かすたあどもつくる者のことか」
「うん、その道のプロね」
「それはそれは素晴らしい夢じゃ!!!応援するぞ!!ばんざい!!」
「あんた私のとき、そんなに応援してくれたっけ」
「白梅、ほら、見てこの髪。おそろい」
「ほう。似合っとる似合っとる」
「本当に?ふふ、嬉しい」
毛先まで白くなった髪を手に取り、白梅に見せた。
「あの子、旦那さん連れて来月帰ってくるみたい。白梅って外国の人にも見えるのかなぁ?旦那さんきっとすごく驚くと思う!」
「日本人でも皆初めは普通驚くんじゃがのう…。驚かんのはお前らだけじゃ…」
「白梅、あまり来れなくてごめんねぇ」
「しらうめさ、ま、じゃ。白梅様。気にするな。お前が元気でいてくれればそれで良い」
「私はまだまだ元気よ〜!白梅とこうしてずっとお話してたいなぁ」
「私もだよ」
「おばあちゃんまた独り言〜?あ!そっか、なんだっけ?白梅様だっけ?」
「ここ来るとな〜んかよく喋るんだよね〜。ここ連れてくると元気になるし、やっぱり今日来てよかったよ。本当に白梅様とやら、いるのかもね」
「白梅、ありがとねぇ」
「しらうめさ、ま、じゃ。白梅様」
「白梅、ありがとねぇ」
「お前がいなくなると、私の名前をそうやって呼んでくれる者もいなくなるんじゃ」
「白梅、ありがとねぇ」
「寂しいのう」
「白梅、ありがとねぇ」
「こちらこそ……ありがとう」
「おばあちゃん、白梅様に会えたかなぁ」
「うん。笑ってたから会えたよ、きっと」
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久々に長文書きました!
はぁ〜〜楽しかった!!!!笑
しらうめ、音の響きも好きです☺️
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