[音楽キュレーター雑記] 坂本龍一のすゝめ
日本が誇れる芸術家、坂本龍一
坂本龍一は、好き・嫌いを超えて、聴く・聴かないを選ぶことすら不可能なほどに世界にその知名度が浸透している芸術家です。私たち日本人が誇れる最高の音楽家・芸術家の一人と言えます。現在の音楽の教科書の年表では西洋のバロックや古典音楽で代表されるバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンから始まり、近代音楽のラヴェル、ストラヴィンスキーと続いています。もう数年も経てば、ここに坂本龍一の名前がしっかりと刻まれることになるだろうと私は思います。
戦場のメリークリスマス
坂本龍一の数多の楽曲の中で恐らく最も有名で、誰もが耳にしたことのある楽曲が戦場のメリークリスマスです。曲名を知らなくてもメロディーを聴けば誰もが一度は聴いたことがあるのではないでしょうか。正式な曲名は「Merry Christmas Mr. Lawrence」ですので、私が学生の頃には、最初に戦メリ(戦場のメリークリスマス)を聴くため音源を探すのは苦労した記憶があります。今は正式名称でも邦題(戦場のメリークリスマス)でも、簡単に検索できる時代になりました。「戦場のメリークリスマス」は故・大島渚監督の1983年に公開された映画作品で、坂本龍一本人も日本兵役として登場したことでも有名です。映画のエンディングで、ビートたけし扮するハラ軍曹が英国中佐に呼び掛ける「メリークリスマス! ミスターロレンス!」という言葉を最期に、静かに流れはじめるシンセサイザーのイントロの音色が耳に残ります。
ペンタトニックスケールという音階で、素人でも比較的演奏しやすいシンプルなメロディの繰り返しにも関わらず、一度聴いただけで万人の脳に自然に刻まれてしまう神秘性があります。オープニングの3連符の部分を除いて、テーマのメロディに入ってからはいわゆるクリスマス感を想起する箇所がありません。私としては、この曲はクリスマス・ソングのカテゴリには当てはまらない様に感じています。そのような特定のカテゴリを超越して、ある種の宗教音楽のように人々を広く包み込む楽曲だと思います。
この曲は、シンセサイザーの原曲アレンジに加えて、ピアノ・ソロのアレンジ、フルオーケストラのアレンジなど様々な形態に編曲されているので、曲名を見つけたらとりあえず全部聴いてみることをお勧めします。どのアレンジも素晴らしく、メロディが良い楽曲はどんなアレンジでも素晴らしい曲になるんだということを改めて思い知らされる名曲です。
最初に聴くべきアルバム「1996」
1970年代から活躍する坂本龍一の作品は膨大な量で、どれから聴いたら良いか迷う人は多いと思います。どれか一つのアルバムをしっかり聴いてみたいという人には、迷わず「1996」をお勧めします。坂本龍一の代表的な映画音楽作品が一通り聴けることもありますが、何よりも素晴らしいのがヴァイオリン・チェロ・ピアノというトリオ編成のアレンジです。原曲がシンセサイザーやオーケストラで演奏されている楽曲群から、少ない音色で曲の重要な骨格が切り取られている分、音楽の良さがより判りやすい内容になっていると思います。
「1996」は日本公演のライブ演奏を中心に収録した「Ryuichi Sakamoto Trio World Tour 1996」というタイトルのDVD(発売当初はセル・VHS)も販売されています。「1996」は映像作品もお勧めです。CD版には収録されていない曲が多数収録されていて、坂本龍一のデビュー作「Thousand Knives」のピアノ・チェロの各ソロパート、YMOの名曲「Tong Poo」の粗削りながらもスピード感あふれる演奏は、CD音源化されていないのが悔やまれるほどのクオリティです。
1996にCDが発売された後、2012年に同様のトリオ・アレンジのアルバム「THREE」が発売されています。「THREE」で演奏しているジュディ・カーンのヴァイオリンも大陸的なドライ感があって良いのですが、「1996」の演奏のほうが、若さと勢いが色濃く出ていてどこか挑戦的でワクワクする感じが味わえます。
「1996」は、坂本龍一の視聴ビギナーが聴いても凄く良かったと答える人が多く、何度もリピートできる名盤です。絶対にお勧めできる、坂本龍一の究極のベスト盤と言えます。
坂本龍一と小室哲哉
私が日本の国内の作曲家として常に対比しているのが坂本龍一と小室哲哉です。いずれも私が尊敬するアーティストですが、小室哲哉を秀才とするならば、坂本龍一は天才です。
小室哲哉の楽曲は不協和音はあまり用いられず、ダンスミュージックやロックミュージックで多様されるシンプルなリズムとコード進行が使われることが多いです。坂本龍一の楽曲は、時期に応じてその傾向がまちまちで、YMOの時代のようなシンプルなリズムを採用することもあれば、日常の自然音をコラージュ(装飾)したり、ピアノの弦を指ではじいたり、実験的な要素を取り入れることが多いように思います。小室哲哉は音楽に特化した楽曲制作、坂本龍一は音楽というよりは美術や芸術に近いスタンスで楽曲制作をしているような印象を私は持っています。
あまり知られていませんが、坂本龍一と小室哲哉が共作した楽曲が存在します。この唯一の共作曲「VOLTEX OF LOVE」は、1995年の豊洲で行われた音楽フェス(avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP)で生演奏されましたが、スタジオ音源としては未だに発表されておらず、今後も発表されることは無いでしょう。小室哲哉のベーストラックの上に、坂本龍一の即興的なピアノがのった作品で、小室哲哉の坂本龍一に対するリスペクト(お膳立て)に呼応するような形で坂本龍一のメロディが目立っている印象です。
全体的に、小室哲哉のピアノソロは練習すればある程度弾ける気がするのですが、坂本龍一のピアノソロは即興性と不協和音のバリエーションが豊富すぎて若干難易度が高いように感じます。
坂本龍一の最高傑作
坂本龍一の最高傑作の楽曲はどれか?
これは当人であってもなくても選べないものだとは思いますが、私が推薦する最高傑作は、日本人初のアカデミー音楽賞を受賞した楽曲「The Last Emperor」(ラストエンペラーのテーマ)です。
イントロの不協和音から始まるオーケストラアレンジは勿論、ピアノソロのアレンジも素晴らしいです。
特に驚異的だと感じるのは、この曲の各メロディのモチーフを部分的に切り取っても映画のワンシーンの挿入曲として成立していること、変拍子の扱い方が常人にはとても真似できない程に自然に組み込まれていることです。何度か繰り返して聴くまで、この曲が変拍子であることに気付かないくらい自然な流れです。イントロから6/8という3拍子調のメロディとサビに対して、4/4(4拍子)の間奏を挟んでまた6/8に戻るという構成ですが、これ程までに自然な拍の変化を体感したことがありません。そして、これから聴くどの楽曲でもここまで自然な体感できないような気がします。テンポやメロディの素晴らしさに加えて、静と動、強と弱という観点でも素晴らしいです。
これを読んでくださった方が、一人でも多く坂本龍一の音楽を聴いて共感していただけたら幸いです。