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坂本龍一 関連文献:龍一語彙 -3/3-

龍一語彙 二〇一一年 - 二〇一七年

2011年から2017年にかけて坂本龍一が発言した言葉をもとにピックアップされた用語を、36のカテゴリ毎に分類して収録した用語辞典。「一般的語彙」、「龍一的語彙」、「(龍一の)語録」の順で解説されており、坂本龍一の一般用語の解釈を捉えやすい構成になっている。
この語録の掲載期間に起こった主要なイベントとしては、日本国内では2011年3月に東日本大震災が発生し、米国では2017年1月にドナルド・トランプがアメリカ合衆国の第45代大統領に就任した。また、2014年7月に坂本龍一にとって初めての大病となる中咽頭癌に罹患している。全3回の3回目。

映画

1983年、ブームとなった『戦場のメリークリスマス』の映画音楽をこれで封印=終章とするという意味で、同映画のサントラ曲をピアノ曲版アルバム『コーダ』としてリリースしたこともある。

龍一語彙|P.270

・コーダ(coda):演奏順序を表す音楽記号の1つ。楽曲の最後に追加される終結部分のこと。イタリア語で「尾」や「終わり」を意味する

ピアノアルバムのcoda(Avec Piano)は、自分の学生時代に勉強時間のBGMとしてよく聴いていた。ピアノの譜面も買ったが、収録曲の「The Seed」「Sowing The Seed」などは、広範囲の和音で指が届かずにかなり苦戦した記憶がある。

当時そこにいた日米の元兵士、どちらも90歳ぐらいのおじいさんが再訪してのドキュメンタリー番組なのですが、悲惨な記憶が蘇って、もう言葉が発せられない。「あ~」「う~」しか言えなくなってしまって、人間の感情の発露とは究極的にはこのようにならざるを得ないんだ、それは多分、音楽の根源でもあるんだろうということを思い知りました。

龍一語彙|P.271

記憶する限りでは、自分がこのような究極的な感情の発露をしたことはないが、身体的・精神的に無力に近かった幼児期にはこのような感情の発露があったようにも思う。これは動物の感情表現に近い。ヒトが言語化できない感情表現にはまだまだ奥深い要素がありそう。

文学

高橋和巳は何度も家に遊びに来て、親父と朝まで飲んでいたのを子供心に覚えています。高橋和巳がガンになって入院してしまった時は、親父が1年以上、毎日病院に張り付いていました。それぐらい親父は高橋和巳のことが好きだったようです。

龍一語彙|P.283

坂本龍一による父に関する記述はとても興味深い。純文学編集者の父親の影響が、坂本龍一本人の趣味・嗜好や音楽作品にかなり影響を与えている。文学や哲学に造詣が深いのも、父親の影響を多大に受けていることが容易に想像できる。

宗教・信仰

古代人はまれびとを、この世に幸福をもたらすために訪れるとも言っており、日本人の信仰・他界観念を探るための手がかりとして民族学上重視されている。秋田のなまはげもまれびと信仰のひとつである。

龍一語彙|P.316

・まれびと(稀人・客人):時を定めて他世界から来訪する霊または神。日本人の信仰・他界観念を探る手掛かりとして民俗学上重視された概念・思想

・なまはげ:秋田県の男鹿半島周辺の年中行事、あるいはその行事において仮面と藁の衣装をまとった神の使い(来訪神)のこと

古代人の多くは来訪者をもてなす習慣があった。現代の社会では、面識のない来訪者は警戒の対象となることが多いので、今と昔では全く異なる価値観。
昔、「浮浪者がうちに来て、お金を少し恵んでもらう代わりに缶切りを置いていった」と母親から知らされた。幼少期の頃の出来事で、自分は外に遊びに行っていたためにその浮浪者(来訪者)に会えなかったことをとても残念に思いながら置いていった缶切りを眺めていた記憶がある。この残念な気持ちは、稀人信仰のような希少体験に対する憧れに何か近いような気がする。

音楽ジャンル

もっと予想外の音楽、僕らが思いもつかないような音楽がどんどん出てきて、僕はおいてけぼりになるのかなと思ってたんですけど、そうでもない。

龍一語彙|P.323

音楽のジャンルの変遷や音楽的進化はかなり緩やか。テクノロジー(ソフトウェア)は進化しているが、自然音を出すタイプの新しい楽器(ハードウェア)は滅多に生まれてこない。国内外のYouTuberが大掛かりな創作楽器を制作し演奏していることはあるが、それらが汎用的な楽器として普及することはない。
それだけ古代や古典的な楽器の完成度が高いとも言える。今後スタンダードになるような新しいタイプの楽器(ハードウェア)が出てきたら面白い。

電子音楽に関しては、理屈から言うと無限の可能性がある。人類がまだ聴いたことのない音色を作ることもできるし、通常の音楽と違ってスケール(音階)の縛りからも自由です。

龍一語彙|P.324

ハードウェアの楽器は、その音色・音域・奏法などあらゆる制約が存在するが電子音楽はその制約がない。人間が再現不可能な奏法も実現できるしチューニング(調律)も自由にできるから、ドレミファソラシドのどれにも該当しない音を意図的に出すこともできる。
チューニングをあえてずらした楽器で、合奏曲を作ってみたら面白い作品ができるかもしれない。

音楽家

マーラーの場合は曲によっては演奏家的な気持ちが勝ちすぎちゃっているところがあるなって思う。そっちにずるずると引っ張られて、なまじ曲を書く能力が高いからそれでも曲が成立するように書けてはしまう。実は、演奏家が作る曲はよくないことが多い。

龍一語彙|P.348

演奏される楽器の特性・制約や、人間が演奏することによる制約(特に自分自身の演奏能力の制約)が、楽曲制作に影響することは良くある。
一方で、最近の音楽配信で発表されている楽曲の作者は、楽器演奏が出来ない作曲者・編曲者が多くなってきた。楽器演奏が出来ないため、演奏上の制約に引っ張られることなく良い音やフレーズの制作に集中できる利点がある。
ボーカルのメロディ制作も同様で、人間の歌唱能力の制約を受けないため、日本語歌詞を高速なフレーズで表現したり低音から高音へ一気に飛ばすメロディも目立つ。このボーカロイドが歌う難解なフレーズを人間が頑張って歌うという逆のアプローチによる歌唱も増えてきていて、電子ボーカル(ボーカロイドなど)と物理ボーカル(人間)の切磋琢磨や、電子楽器と物理楽器の切磋琢磨は日々行われている。

インタビュー6(2016年6月11日)

僕たちは自分たちが作り上げた文明やテクノロジーに囲まれた生活の中で安穏としているわけじゃないですか。その日常が続けば忘れちゃうわけですけど、常に自然というものにはあれだけの力がある。一瞬にして地球上の全生命を死滅されるくらいのことも起こりうるということを忘れたくない。

龍一語彙|P.352

自然災害等によって、これまで積み上げてきた人類の全ての叡智や資産が一瞬で無くなってしまう可能性はある。
その起こりうる確率がかなり高いことが事前に判っていたとしても、人間の思想が無くならない限り、人類は常により良くあるために叡智と資産を築き続けるだろうというポジティブな予感もある。但し、人類が自然現象を完全にコントロールできるわけではないことをたたたい。

音楽産業

坂本龍一はアメリカなど海外のタワーレコードは終焉を迎えつつあるが(2009年に全店閉店)、日本のタワーレコードは元気。そこには音楽産業においてなにかのヒントがあると発言している。

龍一語彙|P.379

海外のタワーレコードが既に廃業していたことは知らなかった。日本のタワーレコードは物販事業というよりライブハウス事業に近いポリシーで運営していることが良い結果に繋がっているのかもしれない。
音楽や文学は消耗品ではなく、永続的な記録メディアとして扱う感覚が根付くと良い。

演奏

メッセージ・ソングばかりが必要とされる世の中というのは、戦争のプロパガンダ音楽があふれた戦前戦中の世の中と表裏一体の合わせ鏡みたいな社会。

龍一語彙|P.390

藤田嗣治の戦争画のように、芸術が戦争のプロパガンダに利用されることは多い。音楽も同様に軍歌のようにプロパガンダに利用された過去がある。
ただ、人間が芸術作品を制作している以上は何らかの社会的背景が影響しないことはあり得ない。つまり、芸術作品がある特定の社会的メッセージに偏ることが問題なだけで、多様性のある芸術作品が生まれる社会であれば健全だと言える。

ピアノという楽器も、もとはといえば自然物の集まりでできている。自然のものを集めて、人間がむりやり造形したもの。そうした人工物であるピアノも、人間が手を触れないで放っておけば、何百年かかけて分解されて自然のものに還っていく。

龍一語彙|P.398

自然物であるから、自然に還ろうとする過程でチューニングが変化するのも当たり前だという考え方が面白い。ボーカリストの声質が、年齢を重ねるにつれて段々と渋みを増していくことに似ている。

インタビュー7(2017年4月15日)

なぜか人間はシンクロナイゼーションしているものに快感を感じることが多いんですよね。オーケストラがジャン!と一緒になると「ワー!」ってなったり。これは本能だと思うんですよ。

龍一語彙|P.396

間違いなく人間はシンクロすることに惹かれる性質がある。音楽も一定のテンポで合わせて弾くことが一般的だし、スポーツにおいてもシンクロすることに美しさを感じる。これは人類が進化する過程で、相互にコミュニケーションすることで生存率を上げてきたことに関係しているような気がする。相手が笑えば自分も笑うなど、相手の真似をすることがコミュニケーションの基本である。真似をすることが即ちシンクロナイゼーション。

ソロ

現実の地図に対して、それぞれの頭の中にある主観的な文化地図と言うかな?<中略>心理的な面や文化的な面で近かったり遠かったりする個人的な面白い地図。

龍一語彙|P.423

坂本龍一による「NEO GEO」の言葉の再定義。とても面白い発想。東京から北海道までの実際の距離は、東京から沖縄までの実際の距離の半分程度だが、自分が訪問したことのある沖縄の方が心理的に近く感じるのもその一つ。NEO GEO(新しい地図)は、個人のそれぞれの体験によって異なる唯一無二のもの。

音楽にあったヒエラルキーみたいなものがなくなってきた。良い音楽を誰も教えてあげないで育っちゃう子が増えているような気がして。大人が、これは良いから聴いてみたらくらいのことは示してあげてもいいんじゃないかと思って始めたんです。

龍一語彙|P.434

音楽も文学も、非常にフラットな発信と受信ができるようになった。哲学書等を含む『古典文学』は良く認知されているが、『古典音楽』はあまり認知されていないような気がする。後世に残すべき音楽(将来の古典音楽)は、坂本龍一のような人にリストアップしてもらいたい。

プロジェクト

ガンジーは「その国の動物に対する意識はそのまま国の民度を表している」ということを言っていて、僕も同感です。

龍一語彙|P.449

・愛玩犬:家庭で飼われ、主に愛情や娯楽を提供するために飼育される犬

愛玩犬の存在にとても違和感を感じる。人権と同じように、犬の権利というものが今後根付くことがあるかもしれないが、現代でやっていることはフランス革命以前の女性権利が低かった状態に近いようにも感じる。
ただ、動物園の存在には肯定感があるので、自分自身でもかなり矛盾した感覚だと思う。


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