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芸術は言葉にできないは本当か?

音楽をはじめ、芸術は言語では表せない何かを表現する、とよく言われる。

それは確かに事実だと思う。確かに、言語ではどうやっても言い表すことのできない感情や微妙なフィーリングなどがある。どうやって表現すればいいのかわからない、というもどかしさ。

芸術がそのような非言語的な表現を助けるのは間違いない。語りえない何かを、芸術によって表現する。そのために芸術は生まれ、発展してきたのかもしれない。

しかし、だ。この言説が一般化した今、何でもかんでも言語で表すことを放棄してはいないだろうか。それはアートだから、言葉じゃわかんないよね、とか、音楽は言葉でどうこういうのは野暮だよね、とか。それは本当だろうか?

先ほど言ったことと矛盾しているだろうか。そうは思わない。確かに、語ることのできない部分はあるだろう。しかし、語りうる部分もあるはずだ。そして、語りうる部分を語り尽してこそ、語ることのできない部分を表現する芸術にさらに畏敬の念を持つことができるのではないか。

芸術の全ては言語によってすくいきる事はできないかもしれない。しかし、おそらく芸術を語ろうとするために発展してきた言語の用法もあるはずだ。そのような言語までも最初から放棄して、語ることなんてできないよね、というのは違うだろう、と最近は思う。

言語化していく先に、語り得ない何かを見る。そして、それを表現しようとする芸術に触れる。逆説的かもしれないが、芸術を語ろうとすることを通してはじめて、芸術の本質に気づくことができるのかもしれない。それは、最初から言語化を放棄している人には見えてこないのではないだろうか。



おそれいります、がんばります。