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源河亨『悲しい曲の何が悲しいのか-音楽美学と知覚の哲学-』読書ノート⑥

悲しい曲

源河亨『悲しい曲の何が悲しいのか-音楽美学と知覚の哲学-』

前回。

第6章 音を見る、音に触れる


そもそも、音とはなんだろうか。本章では、音楽について考える前に、音について考える。

(p.102音とはなんだろか→なんだろうかの誤植)


出来事としての音


音がもつ最も明確な特徴は、時間を通じて展開するものだ、ということだ。この点から、音は出来事(event)という存在論的カテゴリーに属していると言われることが多い。


音そのものは性質ではなく、むしろ音量や音色、音高といった性質を担う出来事である。


出来事の特徴としては、以下が挙げられる。


①「〜の途中」「前半部分」「後半部分」と言った存在のあり方である。物体とは存在の仕方が異なる。
②一般的に出来事には一回性がある。


とはいえ、出来事には様々な種類がある。音は、どのような出来事なのだろうか。


近位説proximal theory


音は、聴覚システムが反応するという出来事である。そのため、主体がいなければ音は存在することもない(反実在論)。そして、聴覚システムの反応は主体の反応であるため、音は主体が位置するところに位置していることになる。


中位説medial theory


音は、空気や水といった媒質の中を伝わる振動、つまり音波である。そのため、音は知覚主体とは独立に存在するものである(実在論)。そして音は、物体の振動と主体のあいだに位置していることになる。


遠位説distal theory


音は音波を生み出した物体の振動である。知覚主体から独立して存在している(実在論)。そして、物体の振動は知覚主体から離れたところに位置している


近年の知覚の哲学では、遠位説が支持されている。それは、どのような理由からだろうか。


音が定位する場所


一般的に考えると、音については近位説か中位説が正しいようにみえる。が、ここでは遠位説が支持される。

ここでの遠位説を擁護する理由としては、以下の2点があげられる。


①音量の恒常性。恒常性とは、ある対象を知覚したときに、環境に依存して変わらない要素と依存して変わる要素の二つがあると気づく現象と特徴付けられる。音で言えば、音量は変わらないが、環境が変わることによって聴こえ方が変化する、という例が挙げられる。


②音を聴く環境の違い。音波は、様々な物体に反射・吸収されてから鼓膜へ届く。このことから、音波は環境の情報もになっていると考えられる。
つまり、コンサートホールや野外といった環境の変化によって、音の聴こえ方(音量は変化していない)が変わるのは、音波にそれぞれの環境の情報が付け加わったからなのだ。


だが人間の聴覚システムは物体の振動と環境を区別できる。と、いうことは、その音は物体の振動と同一だ、と考えられるだろう。


知覚のマルチモダリティ


さらに、遠位説を支持する根拠として、知覚のマルチモダリティについて考えてみよう。


知覚のマルチモダリティとは、視覚や聴覚と言った感覚モダリティは、それぞれ独立に対象を捉えているのではなく、共同して対象を捉えているということだ。これを理解するためには、「多感覚錯覚cross-modal illusion」という現象を見てみるのが良い。


これには様々な現象がある。


①腹話術効果(視覚の影響で聴覚的知覚が変化する)


②マガーク効果(「ガ」と言っている口の映像に「バ」という音を重ねると、「ダ」と言っているように聴こえる)


③音によるフラッシュ錯視(短い光のフラッシュを1回見るときに短い音を複数回聞かせると、複数回フラッシュしたように見える)


これらの現象は、視覚が空間的な情報に対して優位に働き、聴覚が時間的な情報に対して優位に働くと言う特性によって、得た情報に対してどちらの感覚が信頼できるか、といった観点から情報が調整されることによって生じる。


また、羊皮紙錯覚parchment-skin illusionという現象などから、聴覚と触覚が捉えているものが同じ対象である、ということが示される。


ポテチは味より音が大事、と言う記事がある


これらのことを踏まえれば、聴覚と視覚が捉えているものが同じ対象だ、ということになり、やはり知覚的意識に現れるのは、音波ではなく、音波を生み出した物体の振動だ、と考えられる。このように、マルチモーダルな知覚の情報処理に最も適するのは、音と物体の振動を同一視する、遠位説だ、と言うことができる。


確かに、音量や音色、音高と言った音の性質は聴覚でしか知覚することはできないだろう。しかし、その性質の担い手である音は、物体の振動と同一であり、見たり触ったりできるものなのである


これで、音とは何か、ということが明らかになった。では次に、音楽とは何かについて考察し、その上で音楽聴取とマルチモーダル知覚がどのように関わるかについて見ていく。

おそれいります、がんばります。