源河亨『悲しい曲の何が悲しいのか-音楽美学と心の哲学-』読書ノート⑧

悲しい曲

源河亨『悲しい曲の何が悲しいのか-音楽美学と心の哲学-』

第8章 聴こえる情動、感じる情動


音楽と情動は、どのように結びついているのか、その関係についての考察。

音楽と情動の関係を考える上で、

・音楽の特徴として「知覚される情動perceived emotion」/「音楽のうちにある情動emotion in music」(例えば、悲しいメロディというときの悲しみ)


・音楽を聴いた人が「感じる情動 felt emotion」/「聴き手のうちにある情動:emotion in listner」

を区別しなければならない。


前者を表出的性質、という。情動用語を使って記述されている芸術作品、パフォーマンスの特徴は、表出的性質/表出的性格(expressive property/--- quality/--- character)や表出性/表現性(expressivensess)と呼ばれる。


この表出的性質としての悲しみは、O・K・バウズマが「音楽にとっての悲しみは、サイダーにとってのゲップではなく、リンゴにとっての赤さのようなものだ」という時の赤さ--つまりリンゴを知覚した主体がリンゴの特徴として見て取る赤さ--と同様に、鑑賞者が曲の特徴として聴き取るもの、対象の特徴として認識されるものなのである。だからこそ、表出的性質は鑑賞者の側にではなく、音楽が持つ性質として説明される必要がある。


このような情動用語の適用には、音楽的な性質ではない要因が影響することもある。それは、以下のようなものだ。

連合:過去の経験や記憶と特定の曲が結びつき、曲それ自体は悲しい曲ではないにもかかわらず悲しい曲だと認識されるケースなど。
社会的な慣習も連合のひとつ。結婚式で演奏されるような曲調は「喜ばしい」と言われ、葬式で演奏されるような曲調は「悲しい」と言われるし、長調短調の楽しい悲しいという印象も慣習によると説明されたりもする


テキスト・イメージ:歌詞や曲のタイトル、標題音楽が情動を喚起するケース。



では、情動用語の適用を促す音楽そのものの特徴とはなんだろうか。
これを考えるために引き合いに出されるのが、歌詞や表題を持たず、音楽で特定の何かを表現するのではなく純粋に音の配列を鑑賞させるために作られた「純粋器楽音楽」だ。


このような音楽であっても、悲しい曲や楽しい曲、と言われることがある。ではその要因は音楽のどんな点にあるのか。


なお、本書の考察では言語情報を与えられた時とそうでない時で曲の印象が変わるような曲は除外されている。つまり、本書で問題になっているのは、言語情報の影響を受けても、聴こえ方や表出的性質の認識が変化しない曲である。


表出的性質に関する四つの理論


これまでに述べてきた音楽が持つ表出的性質がどういうものかに対して、代表的な見解は以下の四つ(五つ)。


・表出説expression theory:表出的性質は作曲者/演奏者の情動を伝達するものである(Tolstoy、Dewey、Collingwood)


・喚起説arousal theory:表出的性質は、鑑賞者に特定の感情を喚起する力ないしは傾向性である(Matravers)


・類似説resemblance theory:表出的性質は人の表出行動と似たものとして認知されるものである


・ペルソナ説persona theory:表出的性質は情動を抱く架空の人物(ペルソナ)を想像させ、その人の情動の表出として聴かれているものである

(隠喩説Metaphorism:音楽の記述は隠喩の一般理論で説明されるべきであり、情動との関係を重視する理由はない(Goodman、Zangwill)。この説については、情動用語の適用が隠喩であったとしても、なぜ情動の隠喩が使われるのか、という問題が存在する。)


表出説と喚起説


表出説の問題点は、作曲者が抱いた情動状態を記述する情動用語と、表出的性質を記述する情動用語が一致するとは限らない、という点だ。
また、グレイシックによれば、表出説はロマン派音楽で流行した考えだが、それが全ての音楽に当てはまるわけではない(インド古典音楽などには当てはまらない)


次に、喚起説の問題だが、最初に述べたような知覚される情動と感じる情動を区別できていない、という点がある。つまり、同一視してしまっている。ある曲を悲しいという時、自分が悲しみを抱いている、と主張している。


これには、表出的性質は自分が抱いた情動の原因として知覚されている、と考えることもできる。しかし、そうだとしても、聴き手の情動状態を記述する情動用語と、表出的性質が記述する情動用語が一致するとは限らない。知覚した対象に特定の情動用語を適用したくなる場面とは、その用語で記述される情動を自分が抱いている場面であるとは限らない。


また、こうも考えられるかもしれない。つまり、悲しい曲を聴いて悲しくならない場面もあるかもしれないが、それは悲しみが生じることを邪魔する何か(阻害要因)があったのだ、というものだ。


この方針を取るためには、その阻害要因を排除する、つまり音楽を聴くための適切な条件とはどんなものであり、そしてその条件を阻害するものはなんであるかを提示する必要がある。さらに、この作業をクリアしたとしても、喚起説には「もし悲しい音楽が悲しみを喚起するものなら、そうした曲が好んで聴かれることはないはずだ」という問題に直面する。


おそれいります、がんばります。