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【不登校】の娘が元気になる物語①

私の子どもは息子も娘も二人揃って仲良く不登校😀

娘が不登校になっていく経過

💚娘は現在小学3年生💚

娘が♪ピカピカの1年生♪になった時には、すでに3つ年上の息子は不登校の傾向になっていました😥(出席日数は詳しく覚えていませんが、息子の学校に行きたくないは始まっていました。)

当時は、私は看護師として病院で働いていたため、娘は学童保育に放課後に通っていました。

息子は2年生までは学童保育に通っていましたが、学童保育の自由がきかない時間や、友達関係、学童の指導員の先生との関係がつらくなり辞めたいと希望したので、一人で放課後留守番をすることを約束に学童保育を退所しました😕

娘もお兄ちゃんが家にいることを理由に、1年の2学期で学童保育を退所しました。娘とは、宿題を私が帰宅するまでに頑張ってやることを約束しました🤨

娘が学童を辞める時に、お金💰でそれが助かってママよかった?と聞いていました。何を意図として娘がそう言ったかはその時は深く考えませんでしたが…

学童保育を退所してすぐは宿題も近所の友達と一緒にやって元気よく過ごしていました😄

そして、

コロナによる『一斉休校』がやってきたのです😥

仕事を休めない私は、小学1年生の娘と小学4年生の息子を家に置いて、毎日仕事に行っていました。(今思えば、職場から休校で有給で休むとかの配慮はなかったですね…)う~ん😰これはどこの病院でも一緒だったのでしょうか?いまだに疑問です。夫も私も近くに頼れる両親や兄弟もいませんでした。仕方なく、子どもを留守番させるしかなかったですよね😥

昼間、子どもの生活を管理する大人が不在になり、子どもたちは生活リズムがだんだんと崩れていきました😱

学校が分散登校で再開された時には、新しい学年。

娘はクラス替えはなく、担任の先生も一緒でした。息子は、学年が変わり、クラス替えに担任の先生も新しくなり、すぐに登校しなくなりました。

それから、お兄ちゃんが完全不登校になったころに娘が「私も学校へ行きたくない」が始まりました😥

最初は何とかごまかして学校へ行くように頑張らせましたが、お兄ちゃんが行っていないのに娘だけ無理に登校させることに私自身も矛盾を感じて、子どもの意思を尊重する形で不登校を選びました😔

不登校の親の正直な気持ち(当時を振り返る)

それが良い選択であったとは、当時の私は思っていませんでした😣

学校に元気に行くことが当たり前と思っていた私には理解できませんでした😤

不登校の原因を探し始めますよね?

いじめがあったんじゃないか、先生と何かあったのではないか、勉強がわからなかったのか、友達となじめなかったのではないか などなど

不登校を経験している親御さんはみなさん同じことを考えたのではないかなと勝ってに想像しています😟

だって、原因を探してそこを解消すればまた学校へ行くようになるのじゃないかと期待しますよね。

誰かの責任にしたくなりますよ。なんで、私の子どもがそうなってしまったんだろうと考えますよ。間違いであって欲しいと願いますよ。でも、現実は私の子どもは不登校に変わりないのです😓

仕事を理由に、私は子どもと向き合うことから逃げました。

自分の子どもが不登校。しかも、二人揃って不登校だなんて😨

自分の子育てが悪かったのかな?

子育ても仕事も家庭も両立して一生懸命にやってきたのにと自分のことも責めました。夫に私の子育てが悪いんだと言われたこともありました。

正直、辛すぎました😭

私が頑張ってきたのは何だったのか。途方に暮れます。それでも、何も現実は変わりません。

出口のないトンネルに入ってしまいました💦

でも、辛くても毎日の家事や仕事には追われます。それからは逃げることはできませんでした。

その結果、子どもの存在を私の中で消していました💨

子どもの不登校を受け入れているように見せかけていましたが、

本当の意味では受け入れることはできていませんでいた。なんでそんなことになったのか?から考えは変わっていませんでした。

そんなことばかり考えても考えても答えなんかでないので、私はあきらめにはいりました。子どもの人生が終わったかのように…

そう考えると、急に子育ての意欲がなくなったかのように、子どもが学校へ行っていないことで、学校へ行きなさいとか、学校の行事の予定も気にしなくてよくなったことがわたしにとっては楽だなと感じ始めました。

学校に行ってない方が楽だと感じている。そんな母親はダメなのかなと思いながら、でも、少し肩の荷が下りたような気がしていました😌

次回は、

💙私が退職した経過とその後に取った行動を書いていこうと思います💙

最後まで読んでくださってありがとうございます🌾

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