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悪玉菌と呼ばれる菌たちとその役割(「悪」を抱えて生きること)

悪玉菌、と呼ばれる菌たちがいる。

命にかかわる感染性の病原菌も広義には「悪玉菌」に含める場合もあるが、通常は感染症を引き起こす病原菌とは区別されることが多い。

最近では様々な疾患との関連が疑われる菌たちがこの不名誉なカテゴリーに放り込まれる。

この「悪玉菌」たちを腸から撃退してしまおう、と少なくない人が(研究者や医者を含めて!)考えているように見えるが、この考え方は実は危ない。
健康な腸内細菌を定義する一番古い指標でさえ、悪玉菌は全体の1割程度いるのが健康の指標だとしているのに。

悪玉菌がいなくなればいい、という思想の危険性についてストレートに書こう。
悪玉菌によってもたらされる悪を取り除こうとすることは、悪玉菌がひそかに担ってくれていたかもしれない機能を失うことを意味する場合もある。

※本記事は「健康な腸内細菌(とマイクロバイオーム)について最新の知見まとめ」の続き記事です。
最初から順番に読んでいくと、健康な腸内細菌とはどういったものか、より理解が深まります。


・本文中のカッコ付き番号は、記事下部の参考文献の番号を表しています。
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ピロリ菌は悪玉菌?

具体的な好例として近頃よく挙げられるのが、ヘリコバクター・ピロリ菌だ。100年前はほとんど誰もが胃に棲まわせていたこの細菌は、今の子どもたちの10%ほどにしか存在しない。

1982年に初めてピロリ菌の培養に成功した研究者の一人であるオーストラリア人のマーシャルは、1984年に自らピロリ菌を飲み、胃炎を発症した。
この勇敢な人体実験には欠陥があったし、人々はそれを少しオーバーに記憶したのだけれど、ピロリ菌が悪玉と認定されるには十分に決定的な出来事だった。

その後の研究で、ピロリ菌は胃潰瘍や胃がんの原因菌だとして、見つかった場合は除去対象になった。
今でも、医療機関での検査でピロリ菌が見つかると、たいていの場合は抗生物質を処方される。

しかし、ニューヨーク大学医学部のマーティン・J・ブレイザー氏はピロリ菌のいい面を見ようとした。

確かに、ピロリ菌は特定の症状や疾患を発症させるリスクを上げるかもしれない。けれど、もしデメリットしかないとすれば、ヒトの胃は長い歴史のどこかでピロリ菌を体外へ追い出していただろう。

彼の予想通り、ピロリ菌にはメリットも多く存在した。彼の関わる研究チームは、胃食道逆流症(逆流性胃腸炎)や喘息、アレルギー性鼻炎に予防的に働いている可能性を次々に示した。

彼はさらに一歩進んで、ピロリ菌がもたらす胃炎さえも、ヒトにとっていい面があるのではないかと予想している。
炎症は決して悪いことばかりではない。炎症は免疫細胞が「学習中」であることを示し、ヒトがピロリ菌と共生する上で欠かせない生理反応であるかもしれないのだ。詳しくは『失われてゆく、我々の内なる細菌』を参照されたい。

彼の予想は、決して突飛なものではない。

アフリカなどで致死的な感染症をもたらす微生物に、マラリア原虫やトリパノソーマという単細胞生物がいる。これらに対抗するための遺伝子を、ヒトは長年かけて維持してきた。

例えばマラリアに対抗できる遺伝子は、貧血を引き起こす遺伝子としても知られる。トリパノソーマの感染を防ぐヒトゲノムは、腎臓病へのかかりやすさを増してしまう。
このように、ヒトゲノムはトレードオフの関係を慎重に見極めながら、そのときどきの環境に応じてよりメリットの大きい遺伝子をあえて残してきた。

ある特定の疾患に対するリスクを高めるからといってすぐに排除しようとする今の医学のアプローチは、実はハイリスクな姿勢でもあるかもしれないのだ。

悪玉菌扱いされがちな菌たち一覧

ここで、悪玉菌と呼ばれがちな細菌たちの顔ぶれと、その理由を並べてみよう。

ちなみに、善玉菌悪玉菌という呼び方は腸内細菌研究のパイオニアである光岡知足博士の提唱だけれど、英語圏でもそのまま"bad bacteria"と呼ばれている。
1970年代に彼がこの考え方を発表した当時は、悪玉菌という呼び方よりも「善玉菌? 細菌に善玉がいるわけがなかろうが」という批判のほうが大きかったらしい。
なにごとも最初にやる人は批判されがちである。

古典的な悪玉菌の代表例

  1. 大腸菌(Escherichia coli)
    大腸菌の多くは無害でヒトに常在するが、病原性を持つ大腸菌(EPEC、EHECなど)は、食中毒や下痢症状を引き起こす。有名なO157株はEHECの株のひとつ。

  2. 黄色ブドウ球菌(Staphylococcus aureus)
    健康な人の鼻やのどにも常在するが、食品の中で増殖するときに毒素を出すため、食中毒の原因になる。100℃で20分加熱しても死なない。一部の株はメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)として知られ、院内感染の原因となる。

  3. 緑膿菌(Pseudomonas aeruginosa )
    健常者には通常ほとんど害をなさないが、薬剤耐性遺伝子を獲得しやすく、免疫力の下がった患者などへの院内感染が問題となっている。

  4. ウエルシュ菌(Clostridium perfringens)
    健康な人の便からも検出されるが、食品の中で嫌気的な環境があると大量増殖しやすく、食中毒の原因になる。小腸内で増殖して、菌が芽胞型に移行する際にエンテロトキシン(毒素)が産生され、その毒素の作用で下痢などの症状が起きる。

近年の研究で注目されている悪玉菌の例

以下は、ただちに病原性を持つわけではない常在菌たちだが、一定以上の割合で存在すると健康を損ねる可能性があるなど、あまり友好的な目で見られない菌たちだ。

  1. エンテロバクター科細菌(Enterobacteriaceae)
    多剤耐性菌(CRE:Carbapenem-resistant Enterobacteriaceae)として、感染症治療の大きな課題となっている(1)。

  2. クロストリジオイデス(以前のクロストリジウム)・ディフィシル(Clostridioides (formerly Clostridium) difficile)
    抗生物質使用後の腸炎の原因となり、患者に深刻な下痢等の症状を引き起こし、時に死に至らしめる。欧米で患者数が特に多く、FMT(糞便微生物移植)が第一選択治療法となっている。(2)。

  3. エントロコッカス属細菌(Enterococcus spp.)
    特にバンコマイシン耐性エンテロコッカス(VRE)は、院内感染の原因となっている(3)。

  4. フソバクテリウム・ヌクレアタム(Fusobacterium nucleatum)
    大腸がん、歯周病、炎症性腸疾患、妊娠合併症などと関連が深いとされており、近年になって悪玉視されている(4)。

  5. プレボテラ属細菌(Prevotella spp.)
    一部の研究では、プレボテラ属細菌(特にP. copri)の増加が炎症性疾患や糖尿病、肥満などの代謝性疾患(5)や、関節炎(6)と関連していることが示されている。

  6. バクテロイデス属細菌(Bacteroides spp.)
    バクテロイデス属細菌は腸内細菌の主要なメンバーだが、特定のバランスが崩れると炎症性腸疾患(IBD)やメタボリックシンドローム、Ⅱ型糖尿病との関連が指摘されている(7)。

  7. ミブリファクター属細菌(Bilophila wadsworthia)
    高脂肪食によって増加することが知られており、代謝性疾患(8)や炎症性腸疾患(9)との関連が研究されている。

  8. アッカーマンシア・ムシニフィラ(Akkermansia muciniphila)
    一般的には腸内の健康維持に役立つとされているが、特定の条件下では腸粘膜のバリア機能を弱め、腸内炎症やメタボリックシンドロームと関連する可能性があるとの報告もある。

悪玉菌排除を文学的に考えてみる

ここでちょっと寄り道をする。
だって、悪玉菌のリストなんて眺めていたら、悲しくなってくるじゃないですか。

村上春樹氏は、その作品の中で「光の当たらない部分(=影、井戸、悪など)」をよく取り上げている。
私は文学評論家ではないので分析的なところはよくわからないが、村上さんの作品は、それゆえに「フィクションなのに(だから)真実が書かれている」感じがする。

彼の作品を引用してもそのところはよくわからないが、彼の小説以外の文章を読むとそれがよくわかると思う。

彼が2016年に「ハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞」を受賞し、デンマークでの授賞式で行ったスピーチが『MONKEY』という雑誌に全文掲載されているので一部引用したい。

我々は時としてそのような影の部分、負の部分から目を背けがちです。あるいはそのような部分を力で排除してしまおうと試みます。人は自らの暗い部分を、負の資質を、できるだけ目にしたくないと望むものであるからです。しかし塑像が立体として見えるためには、影がなくてはなりません。影なくしては、それはただ平板な幻影となってしまいます。影を生まない光は、本物の光ではありません。
 どれほど高い壁を築いて侵入者を防ごうとしても、どれほど厳しく異分子を社会から排斥しようとしても、どれほど自分に都合よく歴史を作り替えようとしても、そのような行為は結果的に我々自身を損ない、傷つけるだけのことです。あなたは影と共生していくことを、辛抱強く学ばなければなりません。自分自身の内部に存在する闇をしっかり見つめなくてはなりません。ときには暗いトンネルの中で自らのダークサイドと対決しなければなりません。もしそれができなければ、やがて影はもっと大きく強い存在となって戻ってきて、ある夜、あなたの住まいのドアをノックすることでしょう。「さあ、戻ってきましたよ」と。

『MONKEY vol.11 ともだちがいない!』p146

さらに時代を遡った1998年に出版された『約束された場所で underground2』の巻末に、
『「悪」を抱えて生きる』という、故・河合隼雄氏(心理学者)と村上春樹氏の対談が掲載されている。ここにも、悪から目を背けること・排除することの危険性がしっかりと書いてある。

これらの文章に書かれていることは、人文科学、あるいは社会科学の領域にしか当てはまらないだろうか?

そんなことはない。
自然科学、もっといえば微生物の世界にも当てはまるはずだと私は考える。

悪玉菌を排除するとどうなる?

ほんの100年前、私たちには悪玉菌を効率的に排除する術はなかった。
腐った食べ物を口にしないという本能や、手を洗うなど近代になって意識された衛生習慣は、人々の命を助けてくれただろう。
けれど、悪玉菌という呼び名も、それを排除しようという意識もなかった。

一方で抗生物質(抗菌薬)のある現代ではそれに似たことができるし、特定の細菌を排除する薬も開発されていくだろう。

でも、それを続けていていいのだろうか?

大腸菌、黄色ブドウ球菌、ウエルシュ菌をはじめとした悪玉菌は健康な人の体に常在する。
彼らが病原性を持つのは、食品の中で毒素を出したときや、消化管の中で芽胞という状態になって毒素を出すときだけだ。

上記の一覧に含まれるバクテロイデス属の細菌や、アッカーマンシア・ムシニフィラはむしろ、文脈が変われば善玉菌として扱われることのほうが多い細菌だ。

悪玉菌と呼ばれる菌が病原性を発揮した場合には、基本的には私たちの体の免疫システムが、それらの細菌を排除しようとする。だから、下痢や嘔吐は必要なことなのだ。

むしろ、常在する「悪玉菌」が消えてしまうことのデメリットを考えておくべきだ。

デメリット①腸内細菌叢のバランスが崩れる

腸では善玉菌、悪玉菌、日和見菌がバランスを保ちながら共存している。仮に悪玉菌を完全に排除したとすると、このバランスが崩れ、腸内環境の不均衡が生じ、善玉菌の過剰増殖や他の病原菌の増加を引き起こしうる。
また、腸内細菌の多様性も低下する。

デメリット②免疫系への影響

腸内細菌は免疫系の発達と機能に重要な役割を果たしている。悪玉菌と呼ばれる細菌も含めた多様な細菌が免疫系を刺激し、適切な免疫応答を維持するのに寄与していると考えられるので、悪玉菌の排除により免疫系の過敏反応や逆に免疫力の低下が引き起こされる可能性がある。

デメリット③薬剤耐性菌の出現

悪玉菌を排除するために抗生物質を過度に使用すると、薬剤耐性菌の出現を助長する。
上述のリストでも、その細菌が薬剤耐性を持つという理由で悪玉菌認定されている細菌がたくさんいる。彼らに抗生物質を使いすぎると、新たな悪玉菌を増やしてしまうだけだ。

紹介した村上さんのスピーチにある「さあ、戻ってきましたよ」というひと言。
パンデミックのことを思い出した人も多いのではないだろうか。

じゃあどうすればいいのか?

悪玉菌と呼ばれる細菌たちは、特定の条件下で毒素を出したり、腸での割合が多くなりすぎるなどで、たしかに私たちの健康に良くない働きをする場合もある。

腸内細菌のバランスを健康な状態に戻すには、悪玉菌を排除するのではなく、逆に無害な細菌たちを外から追加するほうが有効だ。

この代表的な方法が、乳酸菌サプリなどのプロバイオティクスや、FMT(糞便微生物移植)などなのだけれど、この方法については別の記事で紹介したい。

悪は排除するのではなく、抱えて生きるのだ。それが長期的な健康につながる。
私の言いたいのはそういうことだ。

1. Bartsch SM, McKinnell JA, Mueller LE, et al. Potential economic burden of carbapenem-resistant Enterobacteriaceae (CRE) in the United States. Clin Microbiol Infect. 2017;23(1):48.e9-48.e16. doi:10.1016/j.cmi.2016.09.003
2. Drekonja D, Reich J, Gezahegn S, et al. Fecal Microbiota Transplantation for Clostridium difficile Infection. Ann Intern Med. 2015;162(9):630-638. doi:10.7326/M14-2693
3. Tacconelli E, Cataldo MA. Vancomycin-resistant enterococci (VRE): transmission and control. Int J Antimicrob Agents. 2008;31(2):99-106. doi:10.1016/j.ijantimicag.2007.08.026
4. Han YW. Fusobacterium nucleatum: a commensal-turned pathogen. Curr Opin Microbiol. 2015;23:141-147. doi:10.1016/j.mib.2014.11.013
5. Johnson EL, Heaver SL, Walters WA, Ley RE. Microbiome and metabolic disease: revisiting the bacterial phylum Bacteroidetes. J Mol Med. 2017;95(1):1-8. doi:10.1007/s00109-016-1492-2
6. Scher JU, Sczesnak A, Longman RS, et al. Expansion of intestinal Prevotella copri correlates with enhanced susceptibility to arthritis. Mathis D, ed. eLife. 2013;2:e01202. doi:10.7554/eLife.01202
7. Zafar H, Saier Jr MH. Gut Bacteroides species in health and disease. Gut Microbes. 2021;13(1):1848158. doi:10.1080/19490976.2020.1848158
8. Natividad JM, Lamas B, Pham HP, et al. Bilophila wadsworthia aggravates high fat diet induced metabolic dysfunctions in mice. Nat Commun. 2018;9(1):2802. doi:10.1038/s41467-018-05249-7
9. Devkota S, Chang EB. Interactions between Diet, Bile Acid Metabolism, Gut Microbiota, and Inflammatory Bowel Diseases. Dig Dis. 2015;33(3):351-356. doi:10.1159/000371687

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