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夢かうつつか 心の闇

かきくらす 心の闇に まどひにき
  夢うつつとは 世人定めよ

  
『古今和歌集』業平朝臣の歌です。

  〘『伊勢物語』『古今和歌集』の歌物語〙

この歌を導く歌も美しく、

  君や来し 我や行きけむ 思ほえず 
     夢かうつつか 寝てさめてか

「貴方がいらしたのでしょうか、それとも私が訪うたのでしょうか、定かではないのです。
夢だったのか現実だったのか、眠りのうちなのか、目覚めていたのかしら……」

『伊勢物語』には、この歌にまつわる物語があり、『古今和歌集』とも、詠者は「よみ人知らず」となっています。
伊勢斎宮とのひそかな逢瀬を匂わせる逸話で、
逢瀬の翌朝、後朝のふみを届けることができず思い悩む業平のもとに、「女のもとより」届いたとのみ、説明されています。
作者を明らかにすることを憚ったのでしょう。

夢かうつつか寝てかさめてか……
この逡巡する言葉の錯綜が、歌に読みながらも、夢うつつのたゆたいをつぶやいているそのままで、
訳さずとも、そのまま言葉を味わいたい歌です。

それに対する業平の返し歌が、冒頭に置いた歌で、

「暗闇を手探りするような、恋しさに想い惑う心の闇に彷徨う心地です。
夢かうつつかは、これが現実のうわさ話となるか否か、世の人々が定めればよい。(自分にとっては、うつつであれ、夢と変わらぬ)」
のような感覚でしょうか。

斎宮との逢瀬は最大の禁忌。
禁じられた罪深い逢瀬。本来なら、うつつに逢うすべがない関係ゆえに、その一夜が夢幻めいており、
現実離れした浮遊感覚があったのでしょう。

これが現実であれば、世の中に誹謗非難されるだろうし、夢であれば、妄想するのも恐れ多いとはいえ罪とまでは人は言わぬだろう、ということでしょうか。

『伊勢物語』では、末句の「世人定めよ」が、「今宵定めよ」となっており、
重ねて今夜も逢うて確かめよう、と歌っております。
なんと大胆なことでしょう。

『伊勢物語』を様々に踏襲した『源氏物語』で、
源氏の須磨隠棲は、表向きは帝の寵姫・朧月夜との密会の露見によりますが、
読者や、物語の本人たちには、誰知らずとも禁断の、源氏と藤壺の逢瀬の罪が意識されており、
同様に物語的には、在原業平の東下りを、数々の恋愛禁忌の浮名による隠遁と解釈されています。

この時代、浮世での身動きに制約があったぶん、
和泉式部の有名な歌、
  もの思へば 沢の蛍も 
    わが身より あくがれ出づる
        魂かとぞ見る
のように、今で言えば生霊が現実めいていましたから、
お互いの想いが募ったゆえに、身体を離れて魂だけでも、お互いにお互いを訪う、うつつならぬ逢瀬であって、
「これは夢であり、現実の罪にはあたらぬ」
などと、神の領域を侵した禁忌に対し、言いのがれしているのかもしれません。

在原業平は他にも、二条の后(藤原高子)との恋など、さまざまな逸話がみられ、
『伊勢物語』の“昔男”は、まるで禁断の恋の見本帳のよう。

…私は女性として、正直に言えば、いくらみやび男でも、女性を日替わり定食みたいに品定めする、物語中の業平や光源氏は、好きになれません。まぁ、主観ですが。

  〘心の闇を歌う〙

和歌は、詞書や物語がつけられると、その逸話に即した解釈がされます。
そのため、文学史の世界では、物語があって歌がつけられたか、もしくは歌が先にあって物語が付加されたかの議論がおこなわれてきました。

物語がつくことで、和歌の作者に特定の性格づけがされ、それが史学の上での人物評になることも少なくありません。
在原業平が、恋に浮名を流す奔放な風流男とされたように。

けれども、和歌には、本心を吐露した心情をそのまま読む場合と、テーマとする題材による架空の世界を読む場合とがあるため、
それをそのまま歴史事件としたり、本人の資質と解釈するのは早計です。

ミステリー作家に犯罪経験があるわけではないのと同じ。

ゆえに、そうした物語を抜きにして、和歌そのものを単独で味わった場合、
約束ごとを抜きにしても、自由に、自分の心に共鳴させて味わう自由があると、私は考えています。
人によって、別の物語を連想することだって、あるでしょう。

この和歌については、最初に単独の和歌として
「心の闇にまどひにき 夢うつつとは」の歌の言葉を知った時に、
私は、恋愛を抜きにして、誰しもが踏み迷う、孤独の闇を思いました。

心の闇。
心の鬼。

古典文学に見られる表現。

情報が噂話でしか知り得なかったり、出歩くことに制約があり、
貴族の多くは屋敷の中のみで過ごし、灯りがとぼしく夜はほぼ手探りの暗がりになる中、
夜闇は、良くも悪くも心を研ぎ澄ませ、孤を際立たせ、
そのまま、心の闇ともなり、鬼の心を生み出す力が強くなります。

では、夜でも明かりが絶えず、情報も得やすく、行動も自由な現代は、心も闇知らずかといえば、そうでもない。
不自然なまでの明るさ自由さが、むしろ、心の闇をかきたてるようでもあります。

家族に囲まれていても、友達がたくさんいても、恋人と仲良く過ごせても、
誰しも、時としてふと、孤独に気づきます。
ひとりだから淋しいわけではない。多くの人の中にいてこそ、気づく孤独が深い。

自分は何者であるのか。誰かにとり必要な者であるのか。生きる意味はなんなのか。

自分の心に問いかけることもあるし、
あるいは、自分より恵まれたように思える誰かや、
自分に苦悩を与えた誰かに対する恨みに、ふと囚われることもある。

心の闇…心の鬼……

そんな中で湧き上がる、邪念や妄念。

今のように自由な世の中でありながら、さらなる不自由さや満たされなさに苛まれ、
むしろ自由だからこそ、大海にさまようように、欲望はとりとめもなくなるのかもしれない。

他人の批判批評など氣にしたくないが、自分が知らぬ自分のことまで、知らぬうちに勝手に取り沙汰されているかも知れない。
そう思うと、誰が真の自分を知ってくれているのかと不安になったり、
心もとなくなったり。

現実が苦しく、夢に逃げるうち、
夢想に救いを求める心地にもなる。

王朝の人々は歌を読み、笛や琴を奏でるなどして、それに心を乗せてまぎらわせましたが、
現代でも、なんらかの表現により、孤独を紛らわせたり、孤独を利用できるすべのある者は、幸いに思います。

私は、和歌を鑑賞する際、まず、自分の心に寄せて理解してから、解釈を参照するのが常ですが、
業平のこの和歌、
 
  かきくらす 心の闇に まどひにき
    夢うつつとは 世人定めよ

を、最初に読んだ時、こういう意味だと思いました。

「日々の孤独の中、心を染める深更の闇にさ迷い、今が現実かどうかもわからなくなる。むしろ現実などどうでもいい。自分の存在ややることの価値など、誰かが勝手に決めればいい。自分は自分。人がどう言おうが、知ったことか」

我ながら厭世的……でも、若い頃、そう思うことがあったような気がする。
集団の中でジャッジされるより、独りで過ごしたかったし、親や学校や、集団において、縛られレッテルを貼られ、好き放題に扱われることにうんざりしていたから。

そんな中、自己嫌悪から救ってくれたのが、
読書であり、創作することであり、文章を書き連ねることであり、楽器を奏でることでした。
結局、往古も今も、心を寄せる手段は、そう変わらない。

外側を意識して、人に語り、聞かせるよりも、
自分の内側、心に問いかけ、おのれに語り、表す。

孤独を強みとできる手段が、古典的ながら、私にはあって幸いだと思うことがあります。
誰でもない自分と向き合う手段となり得る。

能楽『小塩』は、業平をシテとする演目のひとつですが、
その最後に、業平の歌ことばが、調べとなって謡われます。

〜 夢かうつつか 世人定めよ 寝てか覚めてか 
 春の夜の月 曙の花にや 残るらん 〜

この謡が、今も時々、夜の闇を思う時、ひとり口ずさみ、こぼれ落ちます。

心の闇が、心の花となり、咲きこぼれる趣…



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