おともだちパンチ / 『夜は短し歩けよ乙女』

夜は短し歩けよ乙女

これは私のお話ではなく、彼女のお話である。
役者に満ちたこの世界において、誰もが主役を張ろうと小狡く立ち廻るが、まったく意図せざるうちに彼女はその夜の主役であった。そのことに当の本人は気づかなかった。今もまだ気づいていまい。

これは彼女が酒精に浸った夜の旅路を威風堂々歩き抜いた記録であり、また、ついに主役の座を手にできずに路傍の石ころに甘んじた私の苦渋の記録でもある。

読者諸賢におかれては、彼女の可愛さと私の間抜けぶりを二つながら熟読玩味し、杏仁豆腐の味にも似た人生の妙味を、心ゆくまで味わわれるがよろしかろう。

願わくは彼女に声援を。

森見登美彦(2012) 『夜は短し歩けよ乙女』 pp.7

10年前に読んだ時の話

 この本を初めて読んだ当時の私は、まだ二十歳そこらの時で、バリバリの南米人だった気がする。日本には10年以上帰っておらず、ましてやインターネットも近年のように充実していることもなく、得られる情報はいろいろと限られていた。
 そんな中、当時Amazonやブクログでランキング上位に上がっていたこちらの作品が気になり、日本にいる父親にわがままを言ってわざわざ送ってもらった。
 SAL便で送られてきた本は約1.7万kmの長旅を終えて、無事私の手元で舞い降りた。本のブックカバーを描かれたのが中村佑介さんだったこともあり、当時アジカンのファンでもあったため、テンションがとても上がったのを覚えている。

 高鳴る心と共に本を読み始めた。そして物語が進んでいくにつれて、どんどんその高鳴りが平常に戻っていき、次第に読むのが辛くなってきた。
見たことも読んだこともない単語と地名、入れ替わる視点に、癖のあるキャラクターとストーリー展開に、私の脳は早々とオイル不足のエンジンと化した。
おまけにファンタジー要素もところどころ出てくる、終いにはおともだちパンチという幼稚なフレーズに、私はそのまま白旗を上げることにした。お前には完敗だよ、おともだちパンチ。その本は段ボールの奥底にしまわれ、日の目を浴びさせることもなく、私は数年後日本へ旅立った。

苦手の正体

 日本には10歳まで暮らしており、行ったことのある地方は強いて宮城県と静岡県(熱海)のみ。日本での義務教育も小学5年生までで、当時の記憶もあやふやなまま。唯一、当時の私が知っている京都の知識といえば、海外で流行った『SAYURI』という映画である。ただこの映画も、ところどころツッコミを入れたくなるシーンが多々あるので、それはまた別の機会で記事にしたい。渡辺謙さんがめちゃくちゃかっこいいんです、この映画。

 ピーナッツ程度の知識を踏まえて、この作品を読むことは今思うと大きなハンデであった。それもそのはず、いきなり序盤から京都の地名がバンバンと現れる。「四条」さえも「しじょう」と読むのか、「よんじょう」と読むのか、はたまた私の知らない読み方もあるのか。ひどく混乱している私に関係なく、ストーリーはどんどん進む。章ごとに京都の観光地と思われる場所が登場するも、私にとって果たしてこれが現実の場所なのか、空想な場所なのか、判断ができない。

 キャラクターの語り口調もどこか古風を感じさせる独特な言い回しや、むつかしい単語を使用する。今ほど電子辞書がかしこくなかったこともあり、読み方が分からなければどう調べていいのか、さすがのグーグル大先生もお手上げである。

 日本語レベルが小学5年生で止まっている自分にはまさしく未知の小説であるといっても大げさではない。この物語の前提として、読み手側は「京都」の知識がなければいけない。いわゆる「一見さんお断りだよ」状態である。私は見事に追い返される新規客となった。

そんなこんなでまた読むことになった

 そんなときに大学の課題本の一つとしてピックアップされていたのがこの本である。私は確信した。あの苦い時の思い出を克服する時が来たと。日本に帰ってきて早8年。京都にはすでに2回行った。準備は万全である。もう何も怖くない、今なら魔法少女にもなれそう。作中にあった像の尻の壁を今なら可愛くさえ見えてくるはずだろう。そしておともだちパンチを、むしろこっちが食らわせよう。いざ参る。

10年ぶりに読んでみて 


京都の地名と観光地の名前が読める、読めるぞ! 見ろ、文字がまるで映像のようだ!!!

 心の中に潜むムスカさえ大声で叫ぶ。私はやっと数年の時を経て、この本の面白さを受け入れることができた。
 日本に住み始めて8年間の月日は決して無駄ではなく、今回で三回目の京都旅行のおかげでスラスラと読めることができた。
当時読みにくいと思っていた文体も、キャラクターもストーリー展開も、自分の足で歩いてみてきた京都の風景を思い浮かべながら、どんどん物語の世界に引き込まれた。
何よりも当時許せなかった象の尻におともだちパンチというフレーズも、それさえ愛おしく思えてしまう。きっとこれは森見登美彦と京都でなければ成し遂げることのできないハーモニーだろう。

 ファンタジー要素が含まれる内容であっても、「あ、でも京都だしありえるよね、わかるわぁ」って納得してしまう自分に驚きつつも、数年間抱えていた苦手意識を克服できた自分の方が嬉しかった。

最後に

 読書感想といえるほど大層な仕上がりにはなりませんでした。
ただ作品を通じて当時の自分と向き合えたこと。また、自分がいろんなことを経験し、知識を蓄えたことによって、好きな作品が人生の中で一つ増えたのは大きかったです。

 森見登美彦が描かれる世界観は言葉ではうまく表すことのできない不思議さがあります。
「フィクションだけど、フィクションじゃない。本当に存在していてもおかしくない、そんな京都の日常」
大きなストーリー展開はないけれど、読んでみるとなぜかどうしても、京都に行きたい気持ちが増してくる。お馴染みの某鉄道会社のCMが脳内再生されます。そうだ。京都、行こう。本を読むことで人の心を動かせるのが、芸術の醍醐味です。

 多くの人がこの作品を通じて、森見登美彦の虜になったといわれても、今なら何の疑問もいだきません。京都を愛しくて止まない方におすすめのできる作品になっています。

おまけ

 森見登美彦が原作の「有頂天家族」っていうほっこり系アニメも最高です。弁天さまがめちゃくちゃ綺麗で可愛いんです。そして何より声優が豪華なのです。ぜひ見てください。
なお私はまだ原作を読んでいません。いつか読みたいけれど、同じく四畳半シリーズとペンギン・ハイウェイも読みたいんです。積読がはかどりますね。


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