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浪人の一年

 日本に十年ぶりに住むことになった私は、それまでの引きこもり生活に終止符をつかのように、行動的な日々を過ごすことになった。大学受験に向けて、予備校へ入ることを父に強く勧められたからだ。

「人生何とかなるさ。ケセラセラ」をモットーに二十四年間生きてきた自分にとって、予備校は大学のための通過点だと思っていた。つまり、予備校にさえ入れば大学への入学なんて約束されたのも同じである。今思うと顔から火が出るほど当時の自分の頭を叩きたい衝動に駆られるのだが、おかげさまで私は多方面から頭を叩かれる経験を、最初の一年間にて味わうことになったのだ。

 予備校初日。数年ぶりの集団授業を内心楽しみにしており、新しい友達に素敵な出会いがあるはずと、夢見がちな少女漫画のヒロインの如くウキウキに学校へ向かったのだった。
教壇の前から四つ目の席に、ちょこんという効果音がぴったりな感じで座っていた私は、早くも予備校の洗礼を受けていた。みなが静まり返っているこの教室は、殺伐としている重い空間で、まして友達を作るお調子者なぞ笑止千万。会話などもってのほか、物音を立てるだけでも四方八方から鋭い視線が向けられる。私は言葉の通り「塵」となって、このまま教室の片隅に人知れぬ埃となりたいくらい、軽い気持ちで予備校に入学したことに恥を知った。

 授業を受ける前日に予習をしなければいけないということも、義務教育を受けている学生からすれば当たり前である。その当たり前の環境から離れた自分にとっては、知らない世界に一人置いてけぼりされた浮浪者である。日本の受験戦争を甘く見ていたことに私はとても反省もしたが、それよりも長年勉強をしていなかったことが、ものすごく恥ずかしく惨めだった。
だが、神はそんな出来損ないの私を見捨てはくれなかった。たまたま席の隣になった女の子と友達となり、いろいろと親身に話を聞いてくれた。その子も地方から上京していた。友達がいないこともあって、海外から来た私に勉強のこともそうだが、定期券の買い方から百円ショップでのおすすめ文房具、浪人生として知っておくべき心構えなどを一通り教えてくれた。今でも彼女とは連絡を定期的に取っている数少ない友人の一人である。

 主人公からモブキャラとして降格した私はこの一年間、不登校を克服し毎日のように予備校へ通う日々を過ごした。最初はそれこそポカンとしながら授業を聞いていた日々であったが、見よう見まねでノートを取ったり、隙あらば隣の人のメモを盗み見したり、分からないときは休み時間に講師の方へ確認しに行くなどを、側からみると「一人前の浪人生」っぽく成長していた。だがどれだけ頑張っても、去年まで現役だった同級生たちと比べて、自分との学力の差は圧倒的だった。どれほど時間をかけてテキストの問題集から過去問を解いたとしても、彼らとの学力の差が一ミリも縮まらない感じがひしひしと心を痛めつけた。そして心が弱かった私は、何度も大学に受からないことを想像をしては、泣きながら夜遅く勉強をしていた日もあった。

 半年間ほどそんな日々を過ごしたら、気づけば周りからちらほらと会話が聞こえてきて、小さな学生同士のグループができ始めていた。私も順調に友人関係を広げていった。同じ街に住んでる同級生と待ち合わせて、近所のファストフードで夜遅くまで勉強をし、今思い返してもだいぶ充実な毎日を過ごしていた。殺伐としていた雰囲気が、いつの間にか「切磋琢磨」へと変化していく過程を体験できたことが面白かった。

当時も今も、私よりも五個年下の若者たちが、朝から晩までひたすら自分の将来のために勉強に勤しんでいる姿は尊敬に値する。日本では「浪人は贅沢だ」と口にする人もいると思うが、むしろ自分の大切な十代の一年を勉強に捧げ、より良い将来のために努力をしているその姿は、一度勉強を放棄した自分にとっては素晴らしかったし、みなとても輝いていた。

  当時、一番にお世話になった予備校の講師が仰っていた言葉が、今でも私の心の支えになっている。

「君たちが過ごしているこの一年間は、履歴書にも書けない空白の一年間になります。ただ、この一年間で経験した時間は、きっと君たちの人生の中でかけがえのないものになります」

そして先生が仰った通り、その一年間は少なくとも自分にとってかけがえのない大切な時間となった。勉強もそうだが、ひたすら自分自身と向き合い、がむしゃらに頑張ってきた時間は、きっと楽しいことよりも辛く悔しい出来事が多かったはずだ。でも、私のとって予備校は私が経験をしなかった「高校生活」におそらく近いものとなった。一番自分の弱さと向き合えたこの時期で立ち止まず歩み続けられたのは、講師の言葉もそうだが、何よりも辛い環境の中でできた友人たちの存在が大きい。

 彼らとの付き合いは今年で十年目となる。未成年であった彼らもお酒を一緒に飲めるような歳になり、中には家族を築き上げた子達もいる。年齢的には私の方がいくつか年上なのだけれど、彼らの成長姿を間近に見ていた自分にとって、今もなお尊敬のできる大切な友人たちである。

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