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言いたいことが言えなくなったSNS

私のInstagramのフォロワーは1000人、最近の投稿でのリーチ数が800人、いいねした人は100人。たったこれしかいないのに言いたいことが言えない世界だ。

少し前に、特定の誰かに向けてではない目的で、「Instagramの複雑な人間関係の煩わしさ」についてストーリーズで書いたところ。
自分のことを言われていると思ったフォローワーさんから集中砲火を受けた。
そのフォローワーさんは、私のストーリーズをスクリーンショットし、自分のストーリーズでやんわり、柔らかい言葉で非難しつつ投稿。
同時に裏では、私へ信じられないほどのきつい言葉でDMを何通も攻撃におくりつけてきた。

あなたのことではないです。と言っても

じゃあ、なんで私のフォローを外したんですか?と、、、

私の頭の中は???
ハテナでいっぱいだった。
え?会ったことも、話したこともないのにフォローを外すのに許可とかいるの??と

私は元来、批判的な意見を言いたい派の人間だが、この件をきっかけに、言いたいことを躊躇するようになり、現実でもSNSでも自分らしく意見できなくなった。

Instagramでは文字制限があり、言いたいことが上手に伝えられないのかもしれないからなのかしら?という根拠のない理由をあてがって以下noteに綴ってみる。

まず、発達障害当事者や良くわからない民間資格の支援者風でインターネットから拾ってきたような情報を得意げにさらしている人が私は苦手だ。解釈も浅く、根拠にも乏しい内容に対して、その信者のようなフォロワーが「また知らなかった事を教えてくださりありがとうございます。」と書いているのを見るとびっくりするし、可哀想でならない。
そんな薄っぺらい情報の投稿にコメントしちゃう人に言いたい。
まずSNSで情報を拾ったら、自分で確かめる習慣を身に着けたほうがいいとアドバイスしたい。

そして、Instagramに人間関係を持ち込む人も苦手だ。
フォローしようが外そうが、個人の自由ではないか。私自身、過去に仲良くなりかけていた人にブロックされてショックを受けた経験はあるが、所詮はSNSであり、仲良くなるのも離れるのもボタン一つ、その程度の人間関係ではないか。もっとライトに楽しむことはできないのだろうか。

ここで一つの考えが浮かぶ、、、
Instagramの語源は、撮影した写真をすぐに電報のように発信するというインスタント、テレグラムの造語である。
つまり、一生懸命、画像をつくって発達障害の情報を伝えるツールとして、また情報を取得する手段としては不適切なんではないだろうか?と

撮影したものをすぐにアップする行為は、確証やエビデンスとは対極で、衝動性の塊のようなツールである。

衝動性を発散させるツール、衝動性を解放するツール。
発信するものと、ツールの相性について今後はじっくり考えていきたい。


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