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料理

料理が好きだ。
何かを生み出すことが苦手な私の、
唯一好きと思える創作かもしれない。

きっかけは
仕事に加えて祖父母の介護で
両親が疲弊・疲労していたこと。
農家だった祖父母の畑から
大量のナスとピーマンが採れてしまい、
とりあえず我が家にやってきた。

車の運転ができない私は
祖父母の病院や施設に行くこともできず。
当時通信制大学の学生で、
バイトはしていたものの在宅時間が長い。
何かできないかと、つくったのが
「ナスピーマン豚肉の味噌炒め」

教室で料理の基礎は習ったが、
ほとんど役立てることなく卒業。
レシピ検索サイトで見つけたレシピを見ながら、
時間はかかったものの何とか完成。
たったの一品ではあったが、
当時疲れ切っていた母が喜んでくれた。
その姿が嬉しかったのだ。
味をしめた私はそこから料理沼へ。

ダイエットしていたのも相まって、
「ヘルシーで、かつ美味しいものを食べたい」
から始まり、
徐々に「どうせカロリーを摂取するなら美味しいものがいい!」と料理に励んだ。
ここから外食にもお金をかけるようになっていくのだが、それはまた別のところで。

料理することのメリットは
節約と、自分の好きなものを食べることができることだろうか。
安く仕入れた食材を
綺麗に使い切ることによって達成感も得られる。

それともう一つ、作業中無心になれること。
これが自分にとってかなり大きい。
何もしないでいると、
余計なことばかり考えてしまう。
調理中は、料理の手順が脳内を支配してくれる。
野菜を切りながら、次はこれを切って、
とりあえず洗い物して、炒めて…
憂鬱なこと、将来への漠然とした不安。
そういったことから心を解き放つ時間なのだ。

そういえば、母が友人に
娘が毎日料理をしていることを伝えると大抵
「いつでもお嫁に行けるね」と言われるらしいが
(相手がいれば料理できなくてもお嫁に行けるのよ…)
ある人は「便利すぎて嫁にやれんね!」
と言ったそうだ。
後者の方が素直に褒め言葉として受け入れられた。

誰かに向けた料理を作るって
自分が"いい人"になった気持ちになれる。
「便利」ってことは「人の役に立てた」
ってことでしょう?
底辺にいる自己肯定感が少しだけ上がる。
この場合は自己効力感かしら。

何度か友人宅へ持って行ったこともある。
喜んでもらえた時、たくさん食べてもらえた時は
こっちが幸せな気持ちになる。
感想までいただけた日には踊り狂ってしまう。
あくまで心の中でだが。

味付けは目分量、丁寧な下処理なんて面倒!
褒めてもらうのも烏滸がましい料理ではあるが、
「美味しかった」のたった一言で
心が救われることがある。
だから私も誰かに「美味しかった」「面白かった」「すごいね」「ありがとう」
積極的に伝えていきたいなと思うのでした。