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モノクロ写真、その変遷 -04

いよいよ完結編となる予定のモノクロ写真語り。
前回の記事はこちらから

Black frameのシリーズを投稿し終えて少し経った頃から、LUMIX S5にSummicron 50mmを付けて撮る事が多くなった。

この頃の写真を見返していると相当に苦戦しながら、悩みながら撮っていたんだろうなと思う。纏まらない構図、撮りたい絵が撮れないもどかしさ。
当たり前だ、24-105mmを主に使ってきてそのほとんどを70mm-100mm付近で撮ってきているのだから。
50mmという画角は僕にとって広すぎて、遠過ぎるのだ。

修行である。これは修行なのだ。
得意としている画角をあえて使わず、写真の表現を広げる為の修行なのだ。
偉人たちは50mmを愛し、愛されてきたじゃないか。
僕にだって50mmを愛する事が出来るはずだ。

そんな風に自分を奮い立たせてシャッターを切っていた。

惨敗だった。
納得のいく写真が撮れない。100点は無理でも80点くらいは取れるだろうという考えが甘かった。良くて60点、そんな写真たちを量産していく。
纏まりきらないフレーミングとモノクロ写真の相性はすこぶる悪いのだ。

知人から「そんなに50mmに拘らなくてもいいんじゃないか、得意な画角があるならその画角で撮ればいいじゃない」と言われた事もあった。
その通りだと思う。必ずしも50mmで撮れないと駄目なんてルールはないのだから。だけど自分に負けた様な気がして受け入れられなかった、ここからはもう意地である。ひたすらシャッターを切り続ける日々が続くことになる。

写真は割愛する。

訪れた転換期

ここからはこれまでにnoteに書いた内容が含まれてくる。愛猫との別れと、カメラの購入。
慣れた機材から離れる事で変化した撮影スタイル、それに伴う被写体の捉え方の変化。
結論から言うと僕はまだ50mmと仲良くなれていない。
だけど少しだけ、自分なりの捉え方を理解し始めた気がする。

中望遠の様に切り取れないのであれば、また別の切り取り方をしていくしかないのだ。被写体との距離を見直せばいい。これまで撮ってきた写真と違う見せ方で表現を模索すればいい。
当たり前の事だけど、気づくまで長かった。
自分の写真に引っ張られていたのだと思う。

最近はフレーム中にある要素から伝わる雰囲気や、質感を意識した写真を撮る事が多くなった。
これは本来モノクロ写真の強みとなる部分なんだと思う。これまではハイライトとシャドウへの意識が強く、その結果で損なわれている質感に気づけていなかった。
これからはまた自分なりの表現が出来そうな気がする。

今後撮りたい写真のイメージや、取り組みたい事もいくつかある。
もっと沈み込む様な、深く潜る様な写真を撮りたい。
知らない街を撮り歩いて一つの作品として纏めたい。
Behanceで新しいプロジェクトを作成する事。
勿論、いづれも、モノクロで撮るつもりでいる。

やはり僕はモノクロ写真が好きだ。
きっとモノクロ写真は僕の表現の根幹で。
この鮮やかな世界に生きながら、モノクロで写されたその写真に堪らなく魅了されているだ。
出来るなら自分の手で、そのモノクロ写真を撮り続けていきたい。


なんか上手く纏まらないのだけど、ここまで4つの記事に渡って書いてきた、僕のモノクロ写真とその変遷はここで終わりになります。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
もう少し文章上手く書ける様にならなきゃなと改めて思いました。精進します。
今後も写真、note含め投稿を続けていくと思いますので、引き続きお付き合いいただけますと幸いです。

それでは、これで終い。

Shu

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